第七章 (1)
誰もいない応接室でひとり、タニスは落ち着かない様子でソファーに座っていた。
最初はごく軽い気持ちで――いや、気の迷いで申し込んだだけだったのに、ここに来て、やはりやめておけばよかったと後悔し始めたのだ。
きっかけは、冒険者ギルド内にある掲示板に貼り出されていた、一枚のお知らせだった。
『あなたのパーティに関する悩みや問題ごとについて、ご相談をお受けいたします。お申し込みは受付窓口にて。パーティ相談役担当』
タニスが率いる冒険者パーティ“悠々迷宮”は、少々やっかいな問題ごとを抱えていた。
それは、メンバー間の人間関係だった。
迷宮探索における目標の相違、収益性の悪化による生活苦、性格の不一致、有用なギフトの差――パーティ内の不協和音は数あれど、その解散の理由は、便利なひと言で言い表せる。
すなわち、“冒険性の違い”である。
冒険者たちは我が強い。しかも命が懸かっているため、妥協を許すことができない。よほど気の置けない関係か古くからの知り合いでない限り、結成当初のパーティのままで、末永く冒険を続けていくことは難しいのだ。
そんなことくらいタニスも重々承知していたのだが、自分だけは違うという根拠のない自信は見事に崩れ去り、結局のところ“悠々迷宮”は、他の凡百のパーティと同じ状況に陥ってしまっていた。
「どうも、お待たせした」
扉が開き、応接室に入ってきたのは、ふたりの男だった。
ひとりは浅黒い肌をした中年の男で、眉がなく、彫りが深く、かなり強面の……。
「――って、ギルド長?」
元勇者パーティ“宵闇の剣”のメンバーであり、現冒険者ギルドの長、ヌークである。
王都出身で子供の頃から冒険者に憧れていたタニスは、冒険街道を行進する冒険者たちを欠かさず見物しており、玄人好みの冒険者スタイルでいまいち人気のなかったヌークのことを、記憶していたのだ。
「お、お会いできて光栄です。しかしギルド長が、どうしてここに?」
「……」
無言のまま、ヌークはタニスをじっと見据えた。
「い、いえ。別に、文句があるわけではなくて。その……」
恐ろしいまでの重圧を感じ、タニスは震え上がった。
さすがは伝説の冒険者である。レベル三の初級冒険者である自分とは、格が違う。
「ああ、ギルド長のことは、気にしないでください。怒っているわけではなくて、地顔ですから」
のんびりとした口調で話しかけたのは、おさげにした青年だった。こちらはにこにこと、愛想の良い笑顔を浮かべている。
「はじめまして。迷宮道先案内人のロウと申します」
「こちらこそ。その、“悠々迷宮”のタニスです」
「冒険者ギルド長のヌークだ」
「は、はい。どうも」
三人が着席すると、おさげ髪の男――ロウが説明を始めた。
「基本的に冒険者ギルドは、自分の組織に所属する冒険者たちに対して不干渉というのが原則でした。もちろんそれは、公平や平等といった名分があったためですが、そのために、ギルドと冒険者たちとの間に壁を作ることになり、互いにいらぬ不信感を持ったり、防げていたはずの問題が大ごとになったり――とまあ、少し残念な関係になっていたわけです」
何となくではあるが、タニスはロウの言わんとすることを理解することができた。
冒険者にとって冒険者ギルドは、対等の仲間という感じではない。冒険者が命を懸けて迷宮内から持ち帰った貴重な薬草や鉱石結晶、そして魔物の成果品などを無理やり買い上げ、莫大な利益を得ている。
また、冒険者のギフトや魔物の情報を無償で提供させるくせに、ちっとも還元しない。
そのくせに、何かと問題ごとを起こす冒険者のことを、ギルド側は迷惑に思っている節がある。
だからといって、ギルド自体は存在してもらわなくては困るし、敵対するわけにもいかない。
ロウの言う通り、見えない壁を挟んで互いに不干渉という関係が、しっくりくるように思えた。
「ですが、このままでは」
さらりと、ロウは言った。
「無限迷宮を攻略することはできません」
思わず頷いてしまったものの、タニスは驚きを隠せなかった。
「む、無限迷宮を攻略、ですか」
「ええ。もちろん、冒険者はそれぞれの理由と目標を持って迷宮探索を行っていることは、存じ上げています。ですが冒険者ギルドの本分は、大地母神ガラティアさまの教えに従い、世界中の迷宮を攻略して、“終焉の予言”を回避することにあるのです」
かつて、この壮大な目標を本気で実現しようと立ち上がったひとりの冒険者がいた。
その者は美しく、強かった。魔物を操るギフトを使い、わずか五年足らずで“東の勇者”の地位にまで登りつめたのである。
彼女は、もういない。
「タニスさんもご存知かもしれませんが、ここ数年、王都における迷宮探索の実績は落ち込んでいます」
勇者パーティであったとしても、到達階層は地下第七十階層がせいぜいといったところ。圧倒的なカリスマを誇る冒険者はいない。番付表の入れ替わりは激しく、期待できる冒険者パーティが出てきても、すぐに解散し、メンバー全員がそろって引退したりしてしまう。
「この事態に、冒険者ギルドとしても大いに危機感を持っていまして。今後は、様々な改革が必要だと考えているのです」
基本方針は“冒険者とともに戦う”だという。
「はぁ」
としか答えようがない。
「その一環として、ギルド内にパーティ相談役部門を開設しました」
相談内容は多岐に渡る。
パーティ内の問題解決はもちろんのこと、“遠征”を行うパーティ間の調整、パーティ戦術の構築、冒険者の斡旋など、様々なサポートを行うそうだ。
「とはいえ、今のところは“お試し期間”でして。みなさんの反応や評判を確認しつつ、今後の方針を決めていきたいと。そういう事情もあって、ギルド長自らが同席しているんです」
「な、なるほど」
安っぽい貼り紙一枚にしては、ずいぶん壮大な計画ではないかと、タニスは気を引き締めた。
「お話の趣旨は分かりましたが、ロウさんは、その……シェルパだと」
冒険者たちにとって、シェルパは頼りになる存在ではあるが、彼らはあくまでも荷物持ちや道先案内人としての役割に過ぎない。冒険者に助言できる立場にないのではないか。
そんなタニスの疑念に対し、ロウは明確に反論した。
「むしろ、シェルパだからこそですよ」
「え?」
「もっとも多くの冒険者パーティの戦い方を知っているのは、誰でしょうか?」
戸惑うタニスに、ロウはにこりと笑った。
「もちろんギルド職員ではありませんし、冒険者自身でもない。実は、シェルパなんです。守秘義務がありますので決して口外はしませんが、我々は番付表上位のパーティ戦術すら、間近で見ているんですよ」
「……」
「また、迷宮泉での休憩中には、冒険者の愚痴や不満などもよく耳にしたりします。時には言い争いの末に、取っ組み合いの喧嘩になったりすることも」
タニスはぎくりとした。
「シェルパをやっていると、今後伸びそうなパーティやそろそろ解散しそうなパーティは、すぐに分かります。余計なお節介になりますので、あえて助言などはしませんが。また、パーティの実力やメンバー間の関係性は、シェルパ自身の生還率に直結します。ゆえに、我々は冒険者たちの動向に、常に注意を配っており……」
笑顔でつらつらと説明されると、妙に説得力があった。
「わ、分かりました」
「では。タニスさんに納得していただけたところで、ご相談をお受けしましょうか」
相談役業務を終えて、ギルド長室に戻ると、ヌークは戸棚から芸術的な形をしたボトルの酒瓶を取り出して、ふたつのグラスに注いだ。
「お前も付き合え」
「まだ就業時間内では?」
ヌークはぎろりとロウを睨んだ。
「最近、誰かのせいで気苦労が絶えなくてな。酒でも飲まんとやっておれん」
王都における冒険者ギルド長の地位は高い。ある意味、すべての冒険者を統べる立場ともいえるだろう。何もしなくても贈り物は届けられてくるし、こういった酒は意外と飲む機会がなく、戸棚の飾りとなっている。
「それで、彼をどう見た?」
「少し、もの足りないですね」
ヌークの問いに、ロウはあっさりと答えた。
タニスは将来有望と目される若手冒険者である。冒険者として登録してからまだ半年だというのに、冒険者レベルはすでに三。冒険者育成学校の卒業生と比べると、レベルこそ物足りないかもしれないが、その分実戦経験を積んでいる。
そして――ここが冒険者ギルドとしては一番の評価ポイントであるが、生真面目な性格で問題を起こさない。
高価な酒を飲みながら、ヌークは“悠々迷宮”の資料を確認していた。
「魔法使いこそいないものの、重戦士がひとりと、アクティブギフトを持つ軽戦士が三人、そして遊撃手か。バランスはいいと思うが」
「鍵となるのは、遊撃手の“泥沼”ですね」
それは、円を描くようにして歩いた範囲内の地面が、泥沼化するという特殊なギフトだった。
「魔物を罠の中に追い込んで、そのふちで防御系のギフトを取得した重戦士が粘れば、飛行系以外の魔物を完封できるかもしれません」
もの足りないというのは、彼らが正攻法に拘っている、という点だった。
魔物に対して、メンバーが交互に襲いかかる“クラッチ戦法”は、戦闘における華といえる。うまくハマれば実に気持ちがよい。メンバー同士の結束を高め、充足感を得ることもできる。
だが、特殊なギフトや性質を持つ魔物に対しては、通用しない場合も多いのだ。
「一度くらい絶体絶命の状況に陥って、なおかつ生還することができれば、あるいはひと皮剥けるかも知れませんが」
「……おい」
もう酔っ払ったのかという感じで、ヌークが聞いた。
タニスの話では、パーティ内で火種になっている、とある冒険者の強引な提案により、自分たちの適正レベル以上の階層に、初めて潜行することが決まったようだ。
地下第二十階層。
適正レベルは四。
ここには“門番”と呼ばれている階層主が存在する。地下第二十一階層へと繋がる螺旋蛇道の前に陣取っており、この魔物を倒さなければ、下の階層へ降りることはできない。
多くの初級冒険者たちが脱落する原因、あるいは今後大成するかどうかの試金石にもなっている魔物だった。
“悠々迷宮”が探索する領域は、地下第二十階層の東南――“光の墓場”と呼ばれる領域だった。光玉虫という魔物が大量に発生するため、“美味しい”狩り場として有名である。
引き時さえ見誤らなければ、問題はないはず。
「大丈夫ですよ。タニス君には、“お守り”を渡しておきましたから」
「いざとなったら、助けに入るか」
「そういうことです」
ようやく安心したのか、ヌークはグラスの酒を飲み干すと、ひと息ついた。
それから“悠々迷宮”のメンバーに関する資料を眺めつつ、苦言を呈した。
「しかし、件の軽戦士は問題だぞ。典型的な“炎渦の蛾”だ」
身の程を知らず、適正レベル以上の階層へ潜行しようとする冒険者は、炎の中に自ら飛び込み身を焼かれていく蛾に例えられる。
「たったひとりの身勝手が、パーティ全体を危険に晒すことは往々にしてある。パーティリーダーとしては辛いところだろうが、彼は――決断を下す時かもしれんな」
幹を真っ直ぐに伸ばすために、歪な枝を切り落とす決断を、である。