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「攻略組族の事務所というよりは、まるで宿泊施設ですな」
「もともとは、教団関係者が利用する慰労施設として使われておりましたので」
「なるほど。ベッドも絨毯も、調度品の質は見事なもの。一流の宿泊施設にも引けを取らない豪華さですな」
「お恥ずかしい限りです」
銀髪の執事ハリスマンの感想に、シズは恐縮したように答えた。
清貧を貴ぶ大地母神教の者としては、ユイカが教団の広告塔として活躍した時代に、潤沢な寄付金を使って建てられた上級聖職者向けの慰労施設など、負の遺産でしかない。はからずも資金集めの片棒を担ぐことになったシズとしては、身をつまされる思いである。
実際、ユイカを失い教団の財政状況が厳しくなると、この豪華な施設は批判の対象となり、責任回避をはかる上層部の意向で、すぐさま売りに出されることになった。
だが、清らかな信仰心にて建築され、女神の祝福を受けた施設を投げ売りするわけにもいかず、高値で買い手もつかないまま、苦い経験からできた古傷のように放置されていたのである。
「では次に、地下にご案内します」
「地下に何が?」
「もともとは倉庫だったのですが、訓練場として利用する予定です」
“暁の鞘”の拠点を案内するシズと、穏やかそうな表情だが、鋭い観察眼で確認していくハリスマン。
その後ろには、二人の少女がいた。
カトレノアはどこか落ち着かない様子でそわそわしている。いっしょに案内してあげなさいとロウに命じられてしぶしぶ従うことになったマリエーテは、無表情のままカトレノアの隣にいるだけだ。
「ハリスは、お父さまとお母さまから絶大な信頼を寄せられていますの。もしここが、わたくしに相応しくない場所だと判断されたなら、その時は――」
「家出すればいい」
こともなげに言ってのけたマリエーテに、カトレノアはぱちりと瞬きをする。
「……わたくしが家出をしたら、ここに住まわせてもらえますの?」
「お兄ちゃんがいいと言ったら」
「マリンさんも、いっしょに説得して下さいます?」
予想外の要望に、マリエーテは戸惑いつつも了承した。
「別に、構わないけど」
「それならば安心ですわ」
三階は女性専用の居室フロアー、二階は男性専用の居室フロアー、そして一階には玄関ロビー、食堂、調理場、談話室を改造した執務室、応接室などがある。もと宿泊施設だけあって、風呂やトイレも男女別で、巨大な地下倉庫と氷室まで備えている。
また、敷地面積の三分の一ほどもある立派な庭には――
「ふむ。日当たりも良く、お茶を楽しむには良さそうな場所ですが、少し寂しいですな」
かつては様々な草花が咲き誇っていたはずの場所には、小石が敷き詰められていた。
「攻略組族は、お客さまをもてなす場所ではありませんので」
残念ながら、迷宮攻略に不必要な設備に人手や金をかけられないという、シズの判断である。
「この場所に、例のものを作ってはどうかと考えています」
「なるほど」
何かを検討するかのように、ハリスマンは頷いた。
施設内の案内が終わると執務室に戻り、タエとプリエが作った焼き菓子と、ミユリが入れたお茶で一服する。
ちなみにロウは何も仕事をしていない。“暁の鞘”の影の支配者たる彼であるが、表向きは一介のシェルパである。
「そ、それで。どうですの、ハリス?」
ハリスマンは、カトレノアの両親――バロッサ会長とロージィ夫人の意向を受けて、“暁の鞘”の施設と設備を確認するために訪問していた。
カトレノアはこの視察が“暁の鞘”へ加入するための最終審査だと思っているようだが、実際のところは違う。
どちらかといえば、工事のための下見だった。
「そうですな――」
お茶を前に談笑する余裕すらないカトレノアを見ていると、シズはどうにも居たたまれない気持ちになる。
これまでの自分であれば、幼さの残る純粋さに苦笑しつつも、全力でカトレノアを応援したことだろう。
だが世の中は、表面上は美しく見えたとしても、水面下においては打算と欲望が渦巻いていたりする。
そのことを、シズは思い知らされた。
カトレノアの“暁の鞘”への加入のための面談は、当の本人である彼女が二階の自室に戻った後、少々きな臭い話となった。
「どうかね、お前。“暁の鞘”さんは、信頼できる攻略組族だと、わたしは思うのだが」
バロッサ会長の言葉に、ロージィ夫人は力強く頷いた。
「ええ、あなた。それに、カリンはこれほどまでに望まれて、あちらさまに迎え入れられるのですもの。とても幸せなことだと思いますわ」
まるで娘を嫁に出す両親のような会話だと、シズは思った。
「お前もいいな、アル」
「……」
やや妹思いが行き過ぎている感のあるアルベルトは、頷きもせず、口元を引き締めただけだった。
「それはそれと、ロウさん」
「なんでしょうか」
バロッサ会長がずいとにじり寄ってくる。
「先ほどの資料ですが、攻略組族の戦闘要員の中に、“妹巫女”さまのお名前がありましたな」
「ありましたね」
「ひょっとすると、彼女は」
「ええ、私の妹です」
ユイカの義妹であるマリエーテ。そしてミユリの父親であるロウ。これらの情報から、ロウとマリエーテの関係を推察することは難しくはない。
ロウもあえて気づかせたふしがある。
「息子のミユリは、キャティさんと同じ学級だそうですし、妹のマリエーテはカトレノアさんと同じ学年で、しかも同じ冒険者です。我々は、何かとご縁があるようですね」
「いや、まことに」
バロッサ会長は上機嫌に笑った。
「商売とは、縁を繋いで互いに花を開かせるもの。我々ボルタック商会としても、“暁の鞘”さんの活動に協力させていただきたいと考えているのです。ハリス、例のものを――」
「こちらにございます」
いつの間にか銀髪の執事が抱えていたのは、淡い色の液体が詰まったガラス瓶だった。
「これは、双効ポーションですか?」
「ご慧眼ですな。我々の新商品です」
迷宮内で採取される薬草から抽出される魔法薬には、体力回復、持久力回復、精神力回復、魔力回復といった様々な効果がある。
双効ポーションとは複数の効果をもたらすポーションのことだが、異なる種類のポーションを混ぜ合わせればよいというわけではない。触媒となる素材が必要となるし、効果も薄れてしまう。
バロッサ会長は自慢げに説明した。
「ですが我々は、とある特殊な製法を使うことで、それぞれの効果を打ち消すことなく、共存させることに成功したのです」
ここ数年、ポーション業界においてボルタック商会が苦戦をしていることを、シズは知っていた。
おそらく、巻き返しを図るための新商品なのだろう。
だが、迷宮内で使用する道具や消耗品は、信用が第一である。多少良いものが出たとしても、冒険者たちは簡単に飛びついたりはしない。
「ぜひとも、迷宮内でお試しくだされ」
ようするにボルタック商店としては、今をときめく“妹巫女”御用達の看板が欲しいのだ。交渉相手が“妹巫女”の兄ということであれば、申し分ないというところか。
「父上!」
先ほどから不機嫌そうにしていたアルベルトが、もはや我慢ならぬとばかりに立ち上った。
「カリンの命がかかっているというのに、商売などと、正気ですか?」
「ええい、黙りなさい!」
バロッサ会長は言い返した。
「カトレノアは一度言いだしたら聞かない性格だ。私やお前が説得したところで無駄だし、むしろ逆効果だろう。最悪、家を出ていくことになる。つまりいくら心配したところで、冒険者になることは決定しているのだ」
「……うっ」
「その上で商売のことを考えて、何が悪い」
アルベルトはソファーに腰を下ろすと、両手で顔を覆ってうな垂れた。
「ああ、可哀想な私のカリン。昔はお兄さまお兄さまと、危なっかしい足取りで駆け寄ってきたのに。抱き上げてやると、とても喜んでくれたのに。迷宮の奥深くでは、助けてやることもできない」
「助けることは、できますよ」
面倒くさい反応を見せるアルベルトに対し、まるで救いの女神のようにロウが言った。
「遺失品物です」
「……なに?」
どんなに優秀な冒険者であっても、慎重に慎重を重ねて迷宮探索を行ったとしても、危険がゼロということはない。
特に、魔法使いは不意を突かれると弱い。
そんな時に、合言葉を口にするだけで魔法が発現する遺失品物があれば、窮地を脱することができるだろう。
「ようするに、実のあるお守りというわけです」
「き、貴様――」
アルベルトは逆上した。
「口ではお為ごかしを言いながら、結局のところは、こちらの資金援助が目的ではないか!」
「これは、投資ですよ」
今度は商売人のように、ロウは語り出した。
「冒険者ギルドからは公開されていませんが、マリエーテは“逆さ時計”という時属性の魔法が使えます。その効果は、魔法品物の時間を、短時間巻き戻すというもの。つまり、一度きりの消耗品である遺失品物が、繰り返し使用可能となるのです」
“逆さ時計”は、生命を宿さない無機物――たとえば鉱物や岩石などにも効果が発揮される。対象物を魔法品物とし、巻き戻せる時間を限定したのは、この魔法の価値と危険性を考えてのことだった。
たとえば、歴史的価値のある美術品を壊し、保険金を受け取った上で“逆さ時計”を使えば、美術品も保険金も手に入れることができる。
このような犯罪行為に巻き込まれるわけにはいかないし、可能性すら排除しなくてはならない。
「それは、本当ですか?」
効果を限定した上でも、その価値は計り知れなかったようで、バロッサ会長は驚愕の表情を浮かべた。
「はい。いずれは誰かが気づくはずです。遺失品物の価値が、一気に跳ね上がるだろうと」
「ま、まさに」
「我々も、王都内で遺失品物を探させてはいるのですが、地方に散らばったものとなると、完全にお手上げでして」
だが、広大な流通経路を持つ大商会であれば、情報を集め、買い集めることができるはず。
「仮に遺失品物が入手できた場合、直接お嬢さんにお渡しいただいても構いませんが、教団を通して寄付していただければ、節税対策にもなります。もちろんどちらの場合でも、遺失品物の所有権はお嬢さんに設定しますので、ご安心を」
そして使用権は“暁の鞘”のもの、というわけだ。
「し、信じられるものか」
なおも食い下がるアルベルトに、待ってましたとばかりにロウが笑った。
「では、アルベルトさんの疑念を払拭するためにも、後日、マリエーテの紹介も兼ねて、実演をさせましょうか」
「おお、それは素晴らしい」
「父上!」
これはいったい何の話だったかと、シズは自問した。
カトレノアを“暁の鞘”へ加入させるための、家族への面談ではなかったのか。
半ば冗談ながらも、シズはロウに、ボルタック商会の援助を引き出すために、カトレノアを攻略組族に引き入れるかと聞いた。
苦笑しつつ、ロウは否定した。
冒険者は迷宮探索の要。攻略組族の運用とは別のアプローチが必要なのだと。
だが実際は、カトレノアに試練を与えた上で、まるで人質のように使って、ボルタック商会の援助を最大限に引き出そうとしている。
かつてシズは、ユイカからロウの評価を聞いたことがあった。
『……敵にすればそら恐ろしいが、味方にすればこれほど頼もしい男はいないぞ。なにせダーリンは、タイロスの町と冒険者ギルドと案内人ギルドを、たったひとりで手玉にとった男だからな』
恐ろしさと頼もしさ、その両方を経験しているシズとしては、素直に喜ぶことができなかった。
話は変わって、カトレノアの居住地についての議論になった。
同じ区内なのだから、実家から通えばよいと主張するアルベルトに、ロウが淡々と、攻略組族の拠点で生活することの利点を説明する。
すでに“暁の鞘”の概要書に記されていることでもあったし、迷宮からの生還率を高めるためにも、一流の冒険者になるまでは、集中して知識の習得や訓練ができる環境に身を置くべきだというロウの主張は理にかなっていた。
また、カトレノア自身が希望していることからも、アルベルトの意見は通りそうもなかった。
不利を悟ったのか、アルベルトは再び逆上した。
「父上も母上もご覧になったでしょう。可哀想なカリンの、あのやつれきった姿を。これからも同じようなことが起こらないとも限りません。そんな時に家族が気づいてやれず、元気づけてやることもできないのでは――」
「こちらから、定期的に報告書を出しますよ」
「信用できるものか!」
それならばと、ロウが提案した。
「実は、“暁の鞘”に所属する冒険者のために、専用の馬車が必要だと考えていたのです」
防犯対策にもなるし、移動によって冒険者を――つまりはカトレノアを、不必要に疲労させることもない。
「ですが、我々は攻略組族を立ち上げたばかりで、運用資金が乏しい状況にあります。もしよろしければ、馬車一式と御者の方をそちらから派遣していただく、というのはいかがでしょうか?」
信用のおける御者からカトレノアの様子を聞けばよい、ということだ。
「まったく、申し分ございません」
銀髪の老紳士――ハリスマンの答えに、カトレノアは安堵の吐息をついた。
椅子から立ち上がると、少し後方に下がって、
「これからお世話になります、カトレノアですわ。“暁の鞘”の皆さま、よしなに」
スカートの裾を摘んで、優雅に一礼する。
やや戸惑いがちながらも、拍手が沸き起こる。
「同じく。御者を勤めさせていただく、ハリスマンと申します」
銀髪の老紳士に対しても、拍手が送られた。
「それで、ハリスマンさん。お馬はいつ来るのですか?」
ミユリの問いに、ハリスマンはにこりと笑う。
「ハリスで結構ですよ、ミユリさま。馬小屋を建ててからになりますので、ひと月くらいはかかるかと」
「僕も、お世話をしたいです」
「もちろん、構いませんとも」
タエとプリエも喜んでいる。
「これで、辻馬車も呼ばなくていいし、買い物も楽になるわね」
「あのぅ、ハリスさん。私たちの家まで送ってくださるというのは、本当ですか?」
「もちろんです。タエ殿もプリエ殿も、“暁の鞘”の大切な一員なのですから。責任を持ってお送りいたしますよ」
ひとり、カトレノアはきょろきょろしている。
「ああそれから、シズ殿」
「はい。なんでしょうか」
「馬小屋と車庫を作ったとしても、ここの敷地には余裕があるようです。できれば、庭木や草花を植えたいと思うのですが」
「管理はできるのですか?」
「はい。奥さまの手伝いをしているうちに覚えまして。いつかは自分の庭園を持ちたいと考えていたのです」
シズはお茶を飲んでいるロウに視線を向けた。
「代表のよいように」
「では、お願いいたします。肩書きは、御者と庭師ですね」
「そうなりますな」
「ちょっと、お待ちになって!」
たまらず、カトレノアが疑問をぶつけた。
「ハリス、いったい何を言ってますの? 御者だとか、庭師だとか、どうして貴方が――」
「ハリスマンさんも、“暁の鞘”のメンバーになる。昨日発表された。なぜカリンは知らないの?」
逆にマリエーテに問い返され、狼狽えてしまう。
それは、彼女の家族とハリスマンが教えてくれなかったからだ。
「カリンお嬢さま、お忘れですか?」
銀髪の老紳士は、首につけていた紐ネクタイを取り去った。
「もともと私は、アルベルト坊ちゃまの剣術指南役として招かれたのです」
そして彼は、カトレノアの剣術の師でもあった。
「ですが、これまでお嬢さまにお教えしたのは、あくまでも対人の剣。迷宮内に棲まう魔物と戦うには、別の技も必要となりますゆえ」
つまりは、剣術稽古兼お目付役として、同居するというのだ。
「き、聞いてませんことよ!」
その後、ハリスマンがもと冒険者であり、引退した時のレベルが十三だったことが判明したことで、さらに大騒ぎになるのであった。




