(10)
本人の希望により、カトレノアは正式に“暁の鞘”に所属することになった。
ただし、両親の了承を得られたならば、という条件がつけられた。
「わたくしはすでに、冒険者育成学校を卒業して独り立ちした身。自分の将来くらい自分で決められます。両親の許可など必要ありませんわ」
「そうはいきません」
ぴしゃりとシズが言った。
「あなたは未成年ですし、あなたのご実家であるボルタック商会は、王都の経済界に対してとても大きな影響力を持っています。そのご令嬢を、ご両親の許可も得ず攻略組族に所属させたとあっては、我々の信用問題にもなりかねません」
一方のロウは、まいったなぁという感じで頭をかいた。
「優秀な魔術師が加入してくれるのは嬉しいんだけど。ほら、うちは吹けば飛びそうな零細攻略組族だから。君の身に何かあったら……ね?」
一向に煮え切らない態度に、カトレノアは苛立ちを隠せなかった。
このシェルパは、訓練と称して彼女に苦行を押し付けてきた。
犬頭人の惨殺に始まり、泥蛞蝓との格闘、臭腐草の刈り取り、多足甲虫の殲滅――と、不人気魔物との闘いばかり。
もはや嫌がらせとしか思えなかった。
マリエーテがいなければ、おそらくカトレノアは耐えられなかっただろう。淑女としてはあるまじき行為だが、ひとり高みの見物をしているシェルパの背中を蹴飛ばし、泣きながら逃げ出していたに違いない。
しかし彼女は耐えきってみせた。
「一応、俺とシズさんとでご挨拶に行ってくるから、カトレノアさんは面会予約をとってくれるかな? もし反対されたら、その時は……残念だけど、縁がなかったということで」
このシェルパからは、熱意というものがまるで感じられなかった。それどころか、世間知らずのお嬢さまは面倒だから、できれば追い払いたいなどと考えているふしすら見受けられた。
このまま任せてはおけない。
「わ、分かりましたわ」
カトレノアは決意の笑顔を浮かべた。
商売は根回しが重要。交渉人が頼りにならないのであれば、自ら親に訴えかけて説得してしまえばよいのだ。
戦う前から勝っている――それは商売の基本であり、また極意なのだから。
「少し、意外でした」
辻馬車でカトレノアの実家へと向かう道すがら、シズはロウに疑問をぶつけた。
「あなたのことですから、ボルタック商会から経済的援助を引き出すために、カトレノアを無理やり“暁の鞘”に引き入れるのではないかと思ったのですが」
「ヌークさんもそうですが、あまり人聞きの悪いことを言わないでください」
苦笑しつつ、ロウは説明した。
「冒険者の選定については、妥協するつもりはありませんよ。彼らは迷宮探索の要ですから。当然のことながら、攻略組族の運営とは別の対応が必要になります」
“暁の鞘”は金を稼ぐために迷宮探索を行うわけではない。金を浪費して、ただひとつの目標を達成するために存在するのだから。
「なるほど。理解しました」
目的と手段を履き違えてはいけない。
自分を戒めるとともに、密かにロウのことを見直したシズだったが、
「それに」
続くロウの言葉に、拭えぬ疑念を抱いた。
「あの年頃の子は、難しいですからね。特に大人が決めた生き方には、強く反発する傾向があります」
「……」
「ですが、自分で決めたことについては諦めがつかず、意固地になったりする。同じ場所で友だちが頑張っているとなれば、なおさらです」
まさかとは思うが、まだ成人もしていない少女を――焚きつけたのではあるまいな?
太陽城のお膝元、空区の一等地。
高級住宅街のど真ん中にあるカトレノアの実家は、予想に違わぬ豪華な屋敷だった。
玄関先のアプローチからは、中庭に咲き誇るバラの庭園の一部を覗くことができる。
「“暁の鞘”の、シズさまとロウさまでございますね。お待ちしておりました」
玄関で迎えたのは、銀髪を後ろに撫でつけた老紳士だった。ハリスマンという名の執事だという。
笑顔を浮かべながら、ロウは持参していた菓子箱を差し出した。
「つまらないものですが」
「これはご丁寧に」
案内されたのは、豪華な調度品が飾られた応接室だった。
「お二人とも、お待ちしておりましたわ!」
艶やかなドレス姿のカトレノアが入ってくる。ずいぶんと気合の入った表情だ。
おそらく彼女は、何日もかけて――健気にも両親を説得したのだろう。その心情を思いやり、シズは憐憫の視線を向けた。
続いて中年の男女と、二十代と思しき青年が入ってくる。
カトレノアが間に入る形で、自己紹介が行われた。
「こちらが、父と母ですわ」
豊かな髭を蓄えた貫禄の紳士、ボルタック商会のバロッサ会長と、柔和な微笑みをたたえているロージィ夫人である。
王都の名士であり、またかつての“宵闇の剣”の支援者であったため、当然のことながらシズはその名を知っていた。
「そしてこちらが、兄ですの」
カトレノアの表情が、少し不満げなものに変わる。
「同席する必要はないと、何度も申し上げましたのに」
「何を馬鹿な。可愛い妹の、将来に関わる大切な話ではないか!」
「お兄さまには関係のないことです。お忙しい身なのですから、早く仕事場にお戻り遊ばせ」
「仕事なんぞ、どうでもいい!」
面倒そうな人物が現れたと、シズは内心げんなりした。
話し合いの前からばたばたと落ち着きのないことだが、
「おふた方――」
こほんと執事が咳払いをすると、兄妹はバツが悪そうな顔になった。
「これは失礼した。私は、アルベルト。カトレノアの兄です」
年代物の古風なソファーに腰を落ち着け、香り高い紅茶が準備されたところで、ようやく場の雰囲気が整った。
「失礼ながら。神子さまのお父君――とお呼びした方がよろしいですかな?」
慎重さを含んだバロッサ会長の問いかけに、ロウはごくさりげない口調で答えた。
「ロウで結構ですよ。確かに私はミユリの父親ですが、攻略組族においては、ただの支援要員に過ぎませんので」
三月ほど前に行われた“レベルアップの儀”には、ミユリだけでなく、カトレノアの妹であるキャティも参加していた。
観覧席には彼女の両親と妹思いの兄も応援に来ており、そこでロウの存在を知ったのである。
「もともと私は、タイロスという田舎町でシェルパをしておりまして。そこで、迷宮攻略にきたユイカと知り合ったのです」
「ほほう、さようでしたか」
ごく端的に、ロウは事情を説明した。
あとはお察しの通り、というわけだ。
「巫女さまとシェルパの出会い。ロマンスですわねぇ」
うっとりと、ロージィ夫人がため息をつく。
「ご存知ですかな? 我々ボルタック商会と、ユイカさまが結成された“宵闇の剣”とは、浅からぬ縁があったということを」
バロッサ会長が切り出した話に、シズが応じた。
「ええ、存じ上げております。わたくしは“宵闇の剣”の資金運営を任されておりましたので。多大なるご支援をいただきましたことを、この場を借りてお礼申し上げますわ」
「おお、さようでしたか。いや、お気になさらず。我が社の商品を使っていただき、こちらも“黒姫さま御用達”の看板をいただきましたからな。あの頃は活気があってよかった。はっはっは」
豊かな笑い声が、応接室に響く。
互いに情報を出し合いつつ、その距離をつめていく大人の会話のやりとりに、主役であるはずの少女は我慢できなかったようだ。
頬を膨らませて、拗ねたように文句を言う。
「もうっ。今日は、わたくしの攻略組族加入についての、話し合いのはずですわよ!」
「すまんすまん、そうだったな」
口火を切ったのは、不機嫌そうな表情を隠そうともしない兄、アルベルトだった。
「わたしは、反対です」
「お兄さまっ」
「当然だろう。仮入隊とやらの間、お前はぼろぼろになっていたではないか。そもそも攻略組族などという組織自体が信用ならん。お前の実力ではなく、商会の援助をあてにしているのではないか?」
さすがに父親が諌めた。
「これ、アル。失礼なことを言うでない!」
「父上、今回はカリンの大事。申し訳ありませんが、商売抜きで話をさせていただきます」
「伝統ある商会を継ごうという者が、身内のことで取り乱しおって。いや、“暁の鞘”さん、お招きしておきながら、まことに申し訳ない」
気まずい雰囲気の中、にこやかにロウが語った。
「いえ、アルベルトさんのご心配はごもっともですよ。わたしにも大切な“妹”がいますから、お気持ちはとてもよく分かります」
「……ほう」
バロッサ会長が目を細める。
「特に我々のように、現在の無限迷宮における最深到達階層――つまり、地下第八十階層を目指そうという、攻略組族であるならば」
「な、なんだと」
それほど本格的な攻略組族とは思わなかったのか、アルベルトが驚きの声を上げた。
「ですから、学生気分で所属されてはこちらが困る。申し訳ありませんが、お嬢さんを試させていただきました」
「――え?」
こちらも驚くカトレノア。
安全を確保できる浅階層で、もっとも不人気の魔物たちとの戦闘の繰り返し。
まともな人間性を殺し、不快感に耐え、身の毛もよだつおぞましさにさえ慣れる。
「熟練の冒険者でも根を上げるほどの試練を、お嬢さんは乗り越えたのです。大地母神への強い信仰心か、終焉を防ぐという使命感か。恐らくお嬢さんの中には、私などでは図りかねない強い目的意識があるのでしょう」
母親はにこにこしている。父親と兄が微妙な顔になり、少女に目を向けた。
少女は、ぎこちなく目をそらした。
カトレノアの動機については、シズも薄々感づいている。
何しろマリエーテを救うために、単身で暁の鞘の事務所に乗り込んできた、友達思いの少女なのだから。
ロウだけが気づいていないはずもないので、これは演技なのだろう。
交渉相手に対する、精神的な揺さぶりだ。
「こうなると、話は変わってきます」
ロウは熱心に、カトレノアが将来有望な冒険者であることを語り出した。
曰く、冒険者育成学校を優秀な成績で卒業した。強力な攻撃魔法ギフトを有した魔法使いであり、若いながらも冒険者レベルはすでに五に達している。また剣術においても専門の師がおり、その腕前は師範代級と聞き及んでいる。迷宮内での訓練に同行した感想としては、冷静かつ判断力も的確で、単体の戦闘だけでなく、仲間との位置関係や呼吸を読みながら行動することができる。これはパーティ戦略を考える上でも、非常に好ましい資質である。
予想外の評価に戸惑いつつも真っ赤になっているカトレノアを見て、シズは急に不安になった。
一度叩き落として、這い上がってきたところを手放しで褒め称える。心理状態の落差につけ込んだ、印象操作ではないのか。
「まさに天運と地運――天賦の才を授かり、大地母神の寵愛を受けた、類稀なる冒険者と言えるでしょう。当然のことながら、他の冒険者パーティも放ってはおかないはず。今後、熾烈な勧誘合戦が始まると予想されますが、その前にできれば、我々の攻略組族に招き入れて育てていきたいと考えています。シズさん、資料を」
「は、はい」
それはロウに命じられてシズが作成した、“暁の鞘”の概要書だった。
攻略組族設立の目的――もちろんユイカのことは伏せられ、当たり障りのないものになっている――と運営方針。拠点の設備および支援要員の紹介。専属契約している治療院について。また、所属する冒険者に対するメリット――食事や住居の提供、迷宮や魔物に関する最新情報の収集および提供、事務作業のサポート、さらには迷宮内で得た利益の分配方法なども明記されている。
将来有望とはいえ、新人冒険者に対してこれほどの条件を提示できるパーティは、どこにもないだろう。
これこそが、攻略組族の強みと言えた。
「我々は、王都にいるどの冒険者パーティよりも強い覚悟を持って迷宮探索に挑むつもりです。ですが、目標を達成するためには優秀な冒険者が必要なのです。是非とも、カトレノアさんの力をお借りしたい!」
熱い主張が終わると、しばしの沈黙が訪れた。
「“暁の鞘”さんのお考えは、よく分かりました」
穏やかな表情と口調で、バロッサ会長は娘を促した。
「お前は自室に戻っていなさい。私は“暁の鞘”さんと、少しばかり込み入った話があるから」
「で、ですがお父さま」
「ここ数日、お前の気持ちはいっぱい聞いたよ。一度決めたことを決して曲げない頑固さも、ようく分かっている。さ、二階にお上り」