(6)
“時間の魔女”のふたつ名を持つ新人冒険者マリエーテの動向を、カリンことカトレノアは注視していた。
冒険者育成学校を卒業したばかりの十五歳で、手入れの行き届いた金髪と青色の瞳を持つ、まさにお嬢様然とした少女である。
カトレノアの同級生でありライバルでもあったマリエーテは、まるで鋭利な刃物のような少女だった。
冒険者レベルを上げ、生活や商売に有用なギフトを取得することだけを目的に冒険者育成学校に通っている他の生徒たちとは、違う。
そのことを誰よりも、カトレノアは理解していた。
あの娘は、本気で無限迷宮に挑むつもりなのだ。
ただひとつのミスも許さないとばかりに勉学に打ち込み、寸暇を惜しむようにひとり自主訓練を行う。体調不良でふらふらになりながらも、決して学校を休もうとしない。
何がそれほどまでに彼女を駆り立てているのか。
尋常では考えられないほどの努力を注ぎ込むマリエーテに対して、カトレノアは強い関心を持った。そして人となりを知るにつれ、彼女の隣に並び立つことができる存在は自分しかいないと確信するに至った。
それなのに、マリエーテはカトレノアのことを見向きもしない。幼い頃から神童と呼ばれ、知識と技術、そして完璧な礼儀作法を身につけた、貴淑女たる自分だというのに。
育成学校在学時、カトレノアはことあるごとに、マリエーテに対して自己アピールを行ってきた。
その苦労も実り、ようやく愛称で呼び合える仲にはなったものの、それ以上の進展もないままに卒業を迎えてしまったのである。
だが、諦めない。
必ず自分を認めさせてみせる。
そのための準備は整えてきた。実家の財力を使って大量の魔核を集めさせたカトレノアは、すでに冒険者レベル五に到達していた。
レベルだけで見るならば、すでに中級冒険者クラス。遥か上の立場で颯爽と現れて、こう言ってやるのだ。
「あら、マリンさんお久しぶり。まだ初級冒険者でいらっしゃるの? 苦労しているようですわね。もしよろしければ、中級冒険者であるこの私が、貴方のパーティーに入ってあげてもよろしくてよ?」
だというのに。
肝心のマリエーテは、育成学校を卒業してすぐに冒険者の登録を行ったものの、特定のパーティに加入することもなく、また単独で無限迷宮へ潜行することもなかった。
やきもきしながら状況を見守っていると、驚くべき情報が入ってきた。
それは、マリエーテが“妹巫女”として、大地母神教団の聖事に参加するというものであった。
あの娘にとっては、迷宮探索がすべて。その他のことは、何の意味もなさない些事のはず。
「いったい、何をやっていますの?」
カトレノアは密かにほぞを噛んでいた。
その後、調査をさせていた執事から、マリエーテが“暁の鞘”なる攻略組族に加入したという情報が入った。
「“暁の鞘”? 聞かない名前ですわね」
どうやら最近冒険者ギルドに登録された攻略組族らしい。
攻略組族とは、つまり会社のようなもの。拠点を構え、代表者を据えて、冒険者と支援要員を内包する。身軽なパーティとは違い、よほどの知名度と実力がともわなければ存続することすら難しい組織だ。
代表者は貴族の道楽息子か、それとも豪商の子弟か。
「――っ。いけませんわ!」
冒険者界隈では大物新人として注目されているマリエーテである。しかも彼女は世間知らずで、性格的に不器用なところがある。
まさかとは思うが、怪しげな組織の陰謀に巻き込まれ、取り込まれたのではないか。
「わたくし自ら、“暁の鞘”の動向を調べます。すぐに馬車の用意を!」
「……お嬢さま」
古くから生家に仕える老執事は、諦観したようなため息をついた。
こうして空区の外れにやってきたカトレノアは、“暁の鞘”の拠点だという屋敷を監視することにしたのである。
門構えは立派だった。石垣は高く、敷地内の様子を伺うことはできない。
いきなり訪問するわけにもいかず、カトレノアは馬車の中でちびちびと冷めた紅茶を飲んでいた。
どれくらい時間が経っただろうか。西の空が染まる頃、不意に小窓が空いて、御者が報告してきた。
「お嬢さま、何者かが近づいてまいります」
窓から通りを覗くと、ひと組の男女がこちらに向かって歩いていた。
ひとりは背の高いおさげの男で、もうひとりは大荷物を背負った少女――マリエーテだった。
男は手ぶらだが、マリエーテはひとり重い荷物を背負ながら、よたよたと歩いている。
呆然としているうちに、おさげの男とマリエーテは屋敷の中に入っていった。
「どういう、ことですの?」
二日目も同じ時間に、張り込みをした。
夕暮れ前に二人は姿を現した。やはりマリエーテだけが大荷物を担いでおり、男は手ぶらのままだ。
まさかこれは――虐待?
怒りのあまり、カトレノアは震えた。
攻略組族という組織を維持するためには、稼ぎ手である冒険者が絶えず迷宮に潜り、大量の成果品を持ち帰らなくてはならない。
そのために、新人冒険者を使い潰しているのではないか。
そして三日目。
またもや同じ時刻に帰ってきた二人の前に、カトレノアは果敢にも立ち塞がった。
「お久しぶりですわね、マリンさん」
顔を上げたマリエーテを見て、カトレノアは衝撃を受けた。
目に生気がない。髪は乱れ、頬に擦り傷らしきものがついている。
背中の荷物からかすかに魔気が伝わってきた。
おそらく魔核が入っているのだろう。
まさか――“茸痩豚”?
カトレノアの疑惑は確信に変わった。
通常冒険者たちは、魔物から回収した魔石を迷宮内で“収受”する。魔核集めの依頼を受けた場合でも、冒険者ギルドですぐに換金するはず。
攻略組族の拠点まで魔核を持ち帰る理由など、ひとつしかない。
他の冒険者に使わせるためだ。
パーティ内の序列を理由に、先輩冒険者のために魔石集めを強要される新人冒険者がいるらしいという話を、カトレノアは聞いたことがあった。
彼らのことを、“茸痩豚”と呼ぶのだという。
“痩茸豚”とは、地中に埋まっている希少なキノコを掘り当てる特殊な豚のこと。常に空腹状態に置かれる上に、好物のキノコを見つけてもすぐに主人に取り上げられてしまう。その時に放つ叫び声が、とても哀れなのだという。
「知り合いかい?」
と、マリエーテに聞いたのは、おさげの男だった。ひょろりとした長身で、笑顔を浮かべている。
ぼそりとマリエーテが答えた。
「冒険者育成学校の同級生。カトレノアさん」
「カリンですわ。互いに愛称で呼び合うようにと、約束したはずです」
「そうだっけ?」
心底どうでもよさそうに、マリエーテはカトレノアから視線をそらすと、小さなため息をついた。
「……で、なんの用?」
「貴方を、助けに来たのですわ!」
育成学校の学年首席として、また貴重な魔導師として、マリエーテにはその才能と実力に相応しい待遇が約束されていたはず。
こんなに傷だらけで、ぼろぼろになって。
ひとり魔石を運ばされて――
「マリンさん!」
カトレノアはマリエーテの腕を掴んだ。
「貴方は、こんな怪しい攻略組族にいるべきではありませんわ。脱退なさい。今すぐに!」
その手は、あっさりと振り払われた。
「邪魔しないで」
「……え?」
思わぬ展開に、カトレノアは硬直してしまう。
「いこっ」
マリエーテはおさげの男の手を取ると、まるで逃げ去るように屋敷の中へ入っていった。
ひとり取り残されたカトレノアは、しばし呆然と立ち尽くしていた。
助けようとした相手に拒絶されたことに、大きなショックを受けたが、それでも彼女は諦めなかった。
翌日も待ち伏せをしてマリエーテを説得するものの、手痛い反撃を受けては悔しがる。
「まあまあ。せっかく友達が心配してくれてるんだから、話くらい聞いてあげたらどうだい?」
見かねたように、おさげの男がマリエーテをなだめた。
「オレは、迷宮道先案内人のロウといいます。カトレノアさんでしたね。よろしければ、“暁の鞘”の事務所へどうぞ」
客室の内装は、思いのほか豪華だった。
しっかりと厚みのある絨毯やカーテンなどは、デザインこそ古いが、重厚さを演出する装飾としては十分だろう。革張りのソファーも座り心地がよい。
正面に座った三十代前半くらいの女性が自己紹介をした。
「“暁の鞘”の代表を務めております、シズと申します」
「カトレノアですわ」
「当攻略組族に所属する冒険者、マリエーテのご学友であり、ボルタック商会のご令嬢ですね?」
「あら、よくご存知ですこと」
「冒険者育成学校を優秀な成績で卒業されたと記憶しております」
シズと名乗った女性の応対に、カトレノアは若干息苦しさを覚えた。
座った時の背筋の伸ばし方といい、人の所作を観察するような眼差しといい、なんというか、厳しいマナー教師と対面しているような感覚を受けたのである。
左側の席にはロウと名乗ったシェルパが座っていた。ちなみにマリエーテは迷宮内で軽い怪我を負ったそうで、別室にて治療中とのこと。
「それで、カトレノアさま。本日はご交友を温めにいらっしゃったのでしょうか?」
「違いますわ」
臆することなく、カトレノアは疑惑をぶつけた。
シェルパが手ぶらなのに、冒険者であるマリエーテが大荷物を担いでいた。荷物の中身は明らかに魔石。マリエーテが“茸痩豚”として、攻略組族内で不当な扱いを受けているのではないか。
「それに、わたくしの知る限り、ここ数日マリンさんは無限迷宮へ潜行し続けています。明らかにオーバーワークですわ」
迷宮内で絶えず緊張に晒されている冒険者は、極度に消耗する。肉体的な疲労もあるが、精神的な疲労も大きい。
ゆえに、一度探索を終えた後は何日か休息を取ることが推奨されていた。
「何か異論はございまして、代表さん?」
当然反論されると思ったが、シズは眼鏡の奥で目を細めると、じろりとロウを睨んだ。
「だ、そうですが?」
「う〜ん。第三者からすると、そう見えるか。やはり専用の馬車が欲しいところですねぇ」
「予算がありません」
どこか他人事のような物言いに、カトレノアは怒りを爆発させた。
「見える見えないの問題ではありません! 同じ冒険者として、また学友として、マリンさんに対する扱いを看過することはできませんわ。彼女を即刻解放なさい。でなければ、わたくし、出るところに出ても――」
「失礼します」
その時、軽やかな鈴のような声とともに、客室の扉が開かれた。
台車に乗せられたティーセットが運ばれてくる。
ややぎこちない手つきでお茶を入れ、カップを差し出したのは、柔和な微笑みを浮かべた黒髪黒目の美少女――に見える美少年だった。
「お久しぶりです、お姉さま」
「み――神子、さま」
ミユリである。
「ど、どうして、ここに?」
「僕も“暁の鞘”のメンバーなんです。といっても、ただのお手伝いですけど」
驚きのあまり声も出ない。
「ありがとう、ミユリ。こっちにおいで」
「はい、父さま」
さらに驚くべきことが起きた。
ロウに声をかけられたミユリが、嬉しそうにその隣に腰を下ろしたのである。
「……とう、さま?」
思いだした。先日、モーリス神殿にて行われた“レベルアップの儀”に姿を現した、神子の父親――らしき人物。
あまりにも威厳がなかったので、今まで気がつかなかった。
「それで、カトレノアさん」
ミユリの肩に手を回しながら、ロウが言った。
「うちの攻略組族を、訴えるということですが」
「……え?」
目を丸くしたのはミユリである。
「そ、そうなのですか、お姉さま」
「あ、いえ。その――」
カトレノアの実家はボルタック商会を経営している。迷宮から産出される鉱石や薬草、魔物が残す成果品を加工して様々な商品を作り、王国中に流通させている大きな商会だ。
迷宮は大地母神のお膝元であり、その恩恵を受けているボルタック商会は、当然のことながら大地母神教団とも深い関係がある。
その神子が所属している攻略組族を訴えることなど、できようはずもない。
「くっ」
ミユリに向かって無理やり微笑むと、カトレノアはぎこちなく否定した。
「ち、違いますわ。わたくしは――そう、わたくしは“暁の鞘”に加入するために、こちらを訪問いたしましたの」
作戦変更である。
状況証拠だけでは何も変わらない。内部から観察して、虐待の証拠を掴むのだ。
頭の中を切り替えると、カトレノアは“暁の鞘”の代表であるシズに自分を売り込んだ。
「わたくしは、レベル五の中級冒険者。職種は魔法使い。火属性の攻撃魔法が使えますわ。どうかしら、代表さん? 間違いなくお役に立ちましてよ?」
「……」
やや呆れたようにシズが沈黙する。
確かにこの変り身は不自然に過ぎるだろう。だが、カトレノアには勝算があった。十五歳の若さでレベル五の魔法使いといえば、のどから手が出るほど欲しい人材のはず。
「わたしには、決定権がありませんので」
ひとつ息をつくと、シズはロウに目を向けた。
「そうですねぇ」
視線を受けて、ロウがにこりと微笑む。
「このままお帰りいただいても、おそらくカトレノアさんは納得されないでしょう。ここはひとつ、仮入隊ということで、一度我々と潜行してみる、というのはいかがでしょうか?」
願ってもない展開だった。




