(5)
迷宮は通路と広間、そして各階層をつなぐ螺旋蛇道にて構成されている。
最深部には迷宮核があり、膨大な量の魔素を放出していて、その魔素が各階層の吹き溜まりに集まって魔核を生み出し、魔物たちを形作る、とされていた。
ゆえに最深部に近づけば近づくほど魔素が濃くなり、大きな魔核を持つ強力な魔物が現れる。逆に浅い階層は魔素が薄く、魔物たちも弱い。
無限迷宮、地下第一階層。
適正レベルは、一。
光苔に照らされた通路は、多くの冒険者たちの足跡によって踏み固められていた。
「出現する魔物は、満月毛玉、窮歯鼠、骨犬、泥蛞蝓、多足甲虫、妖魔精、犬頭人、宝炭、臭腐草、切穂芒等々……。ただ、第二階層へと続く道は掃討されているからね。主要路順に魔物は少ない。戦いたいなら、少し道を外れようか?」
「いい。下にいく」
地下第一階層の広さは、王都の十倍くらいあるという。薬草などが採取できるポイントもあるが、すべての領域を回っていたのでは、何日もかかってしまう。
途中、迷宮泉に立ち寄り休息を取ってから、地下第二階層へと向かうことにする。
幸か不幸か、魔物とは出会わなかった。
「地下第二階層も、魔物の種類はほとんど変わらない。ただ、南東の領域には妖精花が群生していて、約八パーセントの確率で落成果する紅花弁は、香水の原料として高値で買い取ってくれる。取りにいくかい?」
「いい。下にいく」
今回の探索計画は、地下五階層まで。
その目的は魔物の無作為討伐――つまり経験値稼ぎだ。
マリエーテとしては、できるだけ深い階層で稼ぎたいらしい。
だが、地下五階層の適正レベルは二。
これはパーティレベルが二――つまり、四人組で冒険者レベルの平均が二のパーティが探索するのに適した階層という意味である。
マリエーテの冒険者レベルは四だが、単独であるため、単純計算をするとパーティレベルは一になる。
浅階層での適正レベルはあまり意味をなさないとはいえ、それでも命を落とす危険がないわけではない。
「じゃあ、地下第三階層に向かおう」
「うん」
また、心の準備が整わないまま、いきなり強敵と戦えば、思わぬ不覚をとる可能性もあった。
そのことを危惧したロウは、あえて主要順路を外れると、ちょうどよい敵が残っている広間へと足を踏み入れた。
視界の先、空中で何かが動いている。
「妖魔精だね。数は三体」
蝶の羽を生やした小型の魔物である。体の大きさは拳大くらいで、不規則な動きをする。遠目には蝶のようにも見えるが、姿形は醜悪な蝙蝠に近い。
「武器は牙だけど、やっかいなのは鱗粉だ。目に入ると涙が止まらなくなるし、吸い込むと呼吸できなくなる。攻撃する時には息を止めて、体の中心を貫くといい。それと――」
針突剣を引き抜くと、マリエーテは飛び出した。
足音も立てずに移動し、魔物に向かって突進する。
『ギギィ?』
妖魔精たちが気づいた時には、すでに間合いに入っていた。三連続の突き。狙いは正確で、魔物たちは回避する間もなくその体を貫かれた。
マリエーテは構えを解かず、暴れる妖魔精の鱗粉を避けるためにバックステップして距離をとる。
断末魔の声を上げることすらできず、魔物たちはぼとりと地面の上に落ちた。
複数の魔物を相手にする時には、囲まれないようにすることが大切。速やかに、一撃で仕留めること。そう助言しようとしていたロウは、妹の思わぬ剣技に驚いた。
ユイカと同じ突属性の武器を使っているのは、剣術の師匠が同じだからだという。
確かに動きが似ている。
これならば、魔法を使わずとも単独で、地下五階層くらいは無理なく探索できるだろう。
「すごいな、マリン」
「……」
よしよしと頭を撫でてやると、マリエーテはぷいとそっぽを向いた。家にいる時にはよくねだってくるのだが、さすがに自重しているらしい。
その後、主要路順に戻った二人は、なるべく多くの種類の魔物と戦いながら、下の階層へ向かって進んでいく。
「満月毛玉だ。飛び跳ねながら攻撃してくる。ただ、ジャンプの予備動作に時間がかかるから、着地したところを狙うといい」
無限迷宮の名物とされる魔物である。
二本の触覚らしきものを生やした桃色の毛むくじゃらの球体で、成果品である月毛糸は、衣類関係の素材として珍重されている。
その武器は自在に動かせる体毛で、冒険者の顔に取りついて窒息死させようとする。
ただ、力は弱いので、単独で囲まれない限り、命を落とす危険は少ない。
「飛び跳ねる瞬間、毛先が収縮するから。ほら、今っ!」
ロウの合図で、マリエーテは満月毛玉の攻撃ををひらりと交わし、着地した魔物を切り裂く。
「こいつは、切穂芒。植物系の魔物で、通路や広間全体を覆っていることが多い」
風もないのに揺れるギザギザの葉もやっかいだが、穂先から飛ぶ種にも気をつける必要がある。短期間で発芽し、冒険者たちの神気を吸って疲れさせるのだ。
「一番効率のよい倒し方は、スコップで光苔ごとはぎ取ること、だけど。時間がかかるから、今回は別の順路を進もうか」
特に苦戦することもなく、地下第五階層に辿り着いた。
光苔の色がわずかに変わり、階層内に漂う魔素の密度も若干濃くなる。
そうと指摘されなければ気づかないほどの変化だが、適正レベルが二に上がったという証拠でもあった。
魔物の種類も変化する。
螺旋蛇道から一番近い迷宮泉で昼食をとりながら、ロウが魔物の種類と特徴を説明した。
「特に警戒すべき魔物は、甲羅蟲だね。硬い岩石の殻を被った昆虫系の魔物で、光苔に擬態する。不用意に近寄った冒険者に向かってジャンプして、重たい殻で押し潰すんだ」
特製のシチューを深皿によそって、マリエーテに差し出す。
「それに、甲羅蟲は一度殻の中に引っ込むと、なかなか出てこない。倒すにしても、突属性と斬属性に強い耐性があるから、針突剣だとちょっと厳しいかな」
物理攻撃には、斬、打、突という三属性がある。
刺突剣や針突剣といった突属性の武器は、力がなくても敏捷性の数値によりダメージに補正がつくという利点があるが、防御力の高い――例えば岩石系の魔物相手だと苦しくなる。
マリエーテの針突剣は、迷宮の深階層から算出された魔銀を使った逸品で、そう簡単に欠けたり折れたりはしないそうだが、戦闘中に武器を破壊されることは、致命傷になる恐れがあった。
「もし遭遇したら、魔法を使ってみようか」
「うん」
それにしても、迷宮内に潜行してから、マリエーテの様子がおかしい。
あまり喋らないし、ひっついてもこない。さすがに緊張しているのかと思ったが、戦闘中の動きには目を見張るものがあった。
「シチューのお代わり、いるかい?」
「ううん、いい。お兄ちゃん食べて」
地下第五階層の戦闘でも、特に苦戦することはなかった。それほどまでにマリエーテの剣術の腕は卓越していたのである。
「 “幽歩”――」
また、呼吸を止めている間、足音を無音化できるという特殊なアクティブギフトも、有用だった。
パワーはあるが動きの遅い土人形の後ろに回り込むと、魔物は敵を見失ったような反応をみせた。
すかさずマリエーテが、背後から魔物の体を穴だらけにする。土人形が持つ種族固有のパッシブギフト“再生”が発現し、体が修復されていくが、針突剣の三連突きが頭部にある魔核を捉えた。
「お見事」
「……違う」
魔物にとっての魔核は、人でいえば心臓のようなもの。ここを破壊すれば、どんな強力な魔物でも一撃で倒すことができる。特殊なパッシブギフトや耐性を持つ魔物には有効な攻撃だった。
単独の場合、魔物を倒しきるまで身体を休めることはできない。マリエーテに持久力を回復させるポーションを渡して、しばし休憩をとる。
「ちょっと早いけど、あと一戦したら戻ろうか」
冒険者養育学校の実地研修では何度か潜行したことがあるとはいえ、本格的な実践は初めてのはず。本人も気づかないうちに、精神力が消耗しているに違いない。
それに、よい感じで迷宮探索を終われば、次に繋がる。
ならば――
「ほら、あそこ」
ロウが指し示した広間の一角には、光苔が盛り上がっている部分があった。
山の数は、みっつ。
「よく見ると、周囲に何かを引きずったような跡があるだろう?」
甲羅蟲である。
マリエーテは針突剣を地面に突き刺して手放すと、代わりに棒を構えた。
棒の先端が空中に光の軌跡を描き、魔方陣を構成する。ひょいと手首が翻ると、魔方陣は真っ直ぐに飛んでいき、地面の上に張りついた。
氷属性の範囲攻撃魔法――
「“氷花”!」
複数の氷の刃が外側から内側に向かって突き出し、文字通り氷の花を咲かせる。
魔物たちは氷の刃に貫かれ、動きを封じられる。
それは、美しくも残酷な死の花だった。
「魔方陣の描写もコントロールも、問題なし。威力も十分だね」
三体の甲羅蟲の死を確認したロウが手放しで褒め称えたが、マリエーテは俯いたままだった。
「……違う」
「うん?」
「これじゃない」
初めてにしては順調すぎるほどの迷宮探索。
しかし、マリエーテには不満があるようだ。
「これじゃ、普通」
普通のどこが悪いのかとロウは思ったが、妹の主張を聞くことにする。
マリエーテも考えがまとまっていないらしく、うまく表現できないようだ。
「お兄ちゃんといっしょに迷宮に潜行できて、すごく嬉しかった。でも――」
あまりにも上手くいきすぎていると、マリエーテは言った。
「私は、お兄ちゃんに言われた通りにしただけ。私じゃなくても、同じようにできた」
ちょうどよい数の魔物と、ちょうどよいタイミングで戦う。
しかも、手厚すぎるほどの助言つき。
「これじゃ、育成学校の研修と同じ」
「……」
内心、ロウは冷や汗をかいていた。
大切な妹に万が一のことがないようにと、ロウは万全を尽くしていた。
シェルパの研修だけでなく、冒険者としても浅階層に潜行して最新の状況を把握するとともに、魔物たちの間引きを行ったのである。
ゆえに、どの階層のどの広間にどんな種類の魔物がどれだけ残っているのかを、事前に把握することができた。
なるべく多くの種類の魔物と、危険が少ない形で戦わせたい。
すべてはマリエーテのためだった。
「やっぱり、お兄ちゃんはすごい」
攻略組族“暁の鞘”が発足してから、マリエーテはずっとロウの行動を観察していたという。
「ヌークおじさまを使って、教団の協力を引き出して。私を使ってお金を集めて、高い遺失品物を競り落として」
その言い方では、極悪非道な兄である。
「夜の間、地下室で身体を鍛えているのも、私やミュウに内緒で迷宮に潜行しているのも知ってる」
ユイカを救うためには、尋常ではない手段をもって、ことに当たる必要がある。
「なのに、私の戦いは――」
想定の領域を出ていない。
それがおかしいと、マリエーテは言った。
「このままじゃ、私は見捨てられる」
「いや、マリンさん?」
慌ててロウは否定した。
「いくらなんでも、見捨てるわけないだろう?」
「冒険者として使えなかったら。きっと私は、ただの修理係になる」
破損した武器や防具、使用済みの遺失品物を、“逆さ時計”で復元するだけの人員。
そしてロウは、別の冒険者たちを引き連れ、無限迷宮の地下八十階層を目指すだろう。
「私はユイカお姉ちゃんを、お兄ちゃんといっしょに、この手で助け出したいの」
子供の頃のような涙目の上目遣いで。しかし子供の頃とは違う決意の意思を込めて、マリエーテは懇願してきた。
「だからお願い、お兄ちゃん。私を本気で鍛えて!」
「……」
「私を、見捨てないで!」
幼かったはずの妹の、鮮烈な光を放つような覚悟を受けて、ロウは嘆息した。
「やれやれ、まいったな」
ピクニック気分で浮ついていたのは、どうやら自分の方だったらしい。
大切な家族を、冒険者として使うことへの覚悟が、定まっていなかった。
ユイカを助け出すために、マリエーテの命を犠牲にすることはできない。だから無意識のうちに、マリエーテを危険から遠ざけようとしていたのだ。
本人の意思を、まるで無視して。
「分かったよ、マリン」
自分にできることは、マリエーテのために、よりよい環境を整えること。
ならば――
「地下第三階層に戻るぞ」




