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あくまでも経験則からくる印象に過ぎないが、一流と呼ばれる冒険者たちの多くは、あくが強い。
ともすれば、対人関係において害にもなりうる彼らの個性こそが、あるいは冒険者として大成するための不可欠な要素なのではないか。
理論的ではないと自覚しつつも、ロウはそう考えていた。
さて、愛すべき妹、マリエーテの場合はどうだろうか。
ロウの中では、四歳までの――争いごとが嫌いで、内気で大人しい子供という印象しかなかった。
おそらく、想像を絶するほどの覚悟とひたむきな行動が、少女を変えたのだろう。
目的のために必要でない他人を問答無用で切り捨てるような言動は、かつての自分を見ているようで、ロウとしては身をつまされる思いである。
結局のところ、冒険者時代のロウは何も手に入れることはできなかった。シェルパとして腰を落ち着けてからの方が、多くの尊敬すべき人たちと繋がりを持てたし、他の冒険者たちと潜行することにより、迷宮や魔物、戦いに関する考察もより深まったような気がする。
最短距離の本道よりも、一見不合理に見える寄り道にこそ、大切なものが落ちているのかもしれない。
しかしだからといって、年上の権威を振りかざすようにマリエーテを諭すつもりはなかった。
人が変われるのは、自分自身が変わろうとした時だけ。頭ごなしに押さえつけても、よい結果は生れないだろう。
自分にできることは、マリエーテを守りつつ、少しでもよい環境を整えることだとロウは考えていた。
「あの、お兄ちゃん、いますか?」
案内人ギルドの談話室の入り口にひょこりと顔を出した少女を、いかつい大男たちが睨みつけた。
「あん?」
ハゲ頭、モヒカン、傷だらけの顔、眼帯に髭面――凶悪な熊たちが、見知らぬ相手に対して見せる最初の反応は、威嚇である。
相手が怯える鼠であれば、自分たちの優位性を確信して上機嫌になるし、怯まず堪える狼ならば、なかなかの奴だと内心にやりと笑ったりもする。生意気にも挑発してくる虎の場合は、すぐさま暴力沙汰だ。
しかし、彼らは想定外の事態に弱い。
相手が可憐な兎で、こちらの圧力にも怯まず笑顔を返されると、途端に動揺してしまう。
「お、来たか」
談話室で準備をしていたロウが、自分を呼びに来たマリエーテを出迎えた。
「へえ、それが新しい装備品?」
マリエーテは袖なしの上衣にスカートという姿で、真新しい胸当てに肩当て、膝まである長靴を身につけていた。配色は白で統一されており、草葉をモチーフにした精緻な細工が施されている。
武器はまるで芸術品のような白い鞘と柄を持つ針突剣で、腰のベルトには棒や短刀をぶら下げている。
「どう?」
今日まで内緒にしていた装備品を自慢するかのように、マリエーテはくるりと一回転した。
いささか装飾過多のような気もするが、動きやすさは損なわれていないようだ。
ロウはふむと感心してみせた。
おそらくシズが、大地母神教の若い信者たちに戦装束を身につけた妹巫女を披露するつもりで、気合いを入れて注文製造したのだろう。
たとえ魔物との戦いで破損したとしても“逆さ時計”で新品に戻せるので、金をかける価値はある。
それに、身内びいきを抜きにしても、これは――
「似合ってる」
「えへへ」
ここひと月ほどの聖事の参加で、“妹巫女”の人気はかなり高まっているらしい。
この姿を版画絵にして売り出したら、売れるのではないか。ヌークを通じてヨハネス枢機卿に提案してみよう。無邪気に喜んでいる本人の前で、ロウはそんなことを考えていた。
「ああ、先輩方」
呆けたように固まっている先輩シェルパたちに紹介する。
「いつかお話しした、俺の妹です」
マリエーテがぺこりとお辞儀した。
「はじめまして、マリエーテです。お兄ちゃ――兄が、いつもお世話になっています」
幼い頃、タイロスの町の案内人ギルドで、厳ついシェルパのおじさんたちに良くしてもらったことがあるので、マリエーテは物怖じしない。
「お、おう」
「そ、それが、冒険者の妹」
「こんな、小っこいのにか?」
興味津々といった様子で近づいてくるが、彼らのほとんどは理由もなく子供に泣かれた経験を持つ。少女を怯えさせない距離で、遠巻きに観察するのみ。
「あ、そうだ」
マリエーテはおかまいなしのようで、軽やかな足取りでモヒカン頭のところに駆け寄ると、持参していた紙袋を差し出した。
「これ、うちで作ったの。よかったら、みなさんで食べて下さい」
モヒカン頭が袋の中からつまみ上げたのは、動物の形をした焼き菓子だった。
少し不恰好なのは、愛嬌――などではなく、ロウが注文をつけて、タエとプリエにそう作らせたからである。
「ほら、お兄ちゃん、いこっ」
「まだ迷宮門は開いてないよ」
「門の前で待つの。私の――お兄ちゃんとの、初めての潜行なんだから!」
“妹巫女”として活動を初めてから、約ひと月。ほとんど抜け殻のようになっていたマリエーテにロウが迷宮探索の許可を出したのは、妹の精神的なケアのためだけではない。
ロウとしても、そろそろシェルパとして活動しなくては怪しまれるし、“妹巫女”の演説内容を“旅立ち後”のものへと更新するためでもあった。
今回、マリエーテのお披露目を兼ねて、案内人ギルドで待ち合わせをしたわけだが、ロウの思惑通り、この可憐な妹はシェルパたちに強烈な印象を残すことに成功したようだった。
「じゃあみなさん、いってきます」
「お、おう」
「気をつけてな」
「お嬢ちゃん、無理すんじゃねーぞ」
いかつい熊たちが、何故か一列に並んで手を振っている。
長外套に巨大な背負袋を背負ったロウと、真新しい白の装備品に身を包んだマリエーテは、王都の郊外にある無限迷宮の入口へと向かった。
頑強な石壁と鉄の門に囲まれた、まるで砦のような建物である。
その名も、迷宮砦。
「おはようございます」
外門番を務める役人にそろって挨拶をすると、訝しげな表情で頷かれた。
見るからに新入りの、しかも単独の冒険者にシェルパがついていることが、奇妙に覚えたのかもしれない。
冒険者証と案内人証を見せて、門の中に入る。入り口すぐにカウンターがあり、係の男が座っていた。
「こちらの受付簿に、探索される方のお名前と、探索予定階層、帰還予定日などを記入してください」
帰還予定日を大幅に過ぎても戻らない場合、冒険者とシェルパは喪失扱いとなる。
「間もなく迷宮門が開門されます。中央広間にてお待ちください」
広間の中央には石壁に囲まれた鉄格子の門があった。奥の空間から肌が泡立つような魔気が溢れ出てくる。
これが、迷宮門だ。
内門番の役人がふたり。年老いているが、わずかながら神気を発しているので、元冒険者なのかもしれない。
「マリンは、何度か入ったことがあるんだよな」
「うん。冒険者育成学校の実地研修で」
現役の冒険者とシェルパに連れられて、浅階層を探索するカリキュラムがあるようだ。希望制のため、参加する生徒は少ないらしい。
「マジカンさんに頼めば、ミユリの時にシェルパとして参加できるかな?」
「あ、じゃあ私も、冒険者で参加する」
和気あいあいと話しているのは、秘かに冒険者レベル十二を誇るロウと、どこかピクニック気分の抜けないマリエーテくらいのもの。大広間には他にも何組かの冒険者パーティがいたが、誰もが緊張した面持ちで待機していた。
上級や中級冒険者たちは、別の近道を使って中階層に入るため、ここにいるのは年若き初級冒険者ばかりである。
「開門っ!」
迷宮門の近くに備え付けられていた銅鑼が、派手な音を鳴り響かせた。
錠前が外されて迷宮門が開かれると、地下からぞろぞろと、十数人もの冒険者たちが上がってきた。
迷宮門が開かれるのは、朝から日暮れまで。夜の間に帰還した冒険者たちは、迷宮門の中で待機して開門の時間を待つのだ。
「お疲れさまです」
ロウは道を開けて挨拶をした。
冒険者はシェルパにとってお客さまである。常日頃から丁寧な応対を心掛けておいて損はない。
「今日は、魔物たちがばらけてるみたいだ」
「へえ、そうですか」
「窮歯鼠ですら、五匹がせいぜいだったよ」
相手の機嫌がよければ、時おりこうやって迷宮内の情報を教えてくれたりもする。
「お嬢ちゃん、新人かい?」
「うん」
「最初はビビるだろうが、態度に出しちゃいけねぇぜ。一歩でも引いちまったら、魔物、かさにかかって襲いかかってくるからな」
「わかった。ビビらない」
助言までしてくれたのは、マリエーテが真新しい装備品に身を包んだ可憐な少女だからだろう。
冒険者の男女比は九対一くらいで、希少な女性冒険者であっても、男勝りの筋骨隆々とした猛者が多いものだ。
迷宮探索を終えた冒険者たちが去ると、大広間で待機していた冒険者たちが、ぞろぞろと迷宮門を潜り、地下第一階層に降りていく。
マリエーテはロウのやや後方に立ったままだった。
「マリン、何してる?」
「え?」
ロウは入り口の奥を指し示した。
「シェルパの後ろについてくる冒険者なんて、いないぞ」
「あ――」
迷宮探索は冒険者の仕事。シェルパは支援者に過ぎない。
「じゃ、じゃあ、出発!」
少し浮かれているのではないかと、ロウは懸念した。




