(3)
心をすり減らしながら妹が集めた運用資金を、その兄は湯水のごとく使っていた。
広大な地下室に、魔物の仮面を被った人々がひしめき合っている。周囲は薄暗く、熱気があり、ひそひそ話が飛び交っている。やや明るい壇上では、派手な道化師の仮面を被った司会進行役が、身振り手振りを交えながら様々な商品を説明していた。
そこは、競売会場だった。
全員が魔物の仮面を被っていることから、落札者が知られない様式となっている。
「さて。次なる商品は、こちらです」
ガラス瓶に入った血のような液体が、台車に載って運ばれてきた。
「伝説級の魔物、水毒蛇の成果品、“天使の毒”!」
ざわりと、客席がざわめく。
「水毒蛇は、かの無限迷宮の地下五十階層に棲まうとされる幻の魔物です。成果品は液体であるがゆえに、回収することが極めて難しい。その効果はぁ……」
会場を煽っていた道化師の司会者が、急に声のトーンを落とした。
「寿命の、延長ぅ」
再び明るい声に戻って、
「しかしこの薬、毒でもありますゆえご注意ください。生存確率は、驚異の九十五パーセント。確実に助かるとは言い切れませんが、生き残った方は、隠しパラメータの中にあるという“寿命”の値が“一”上昇します。時の権力者たちがこぞって買い求め、争いまで発生したことから、品物図鑑からも削除された、いわく付きの逸品! さあ、天使は貴方に微笑み、死神を遠ざけるのか。紳士淑女の皆さま。ご参加あれ!」
薄暗い客席に光の線が動き出す。それは小さな棒付きのリボンで、光苔から抽出した液体を染み込ませてある。
光るリボンの動かし方で、落札額を司会者に伝えるのだ。
「始まりは、金貨四十枚から。さあ、来た。“天使猿”さんから四十三。まだまだ上がりそうだ。四十四、四十七。さあ切りのよい数字、五十がきた。他にいませんか? おっと出た。そちらの“黒曜狼”さん、六十!」
客席の隅の方に座っていた二人の男たちは、その争いに加わらなかった。
「なんとも、微妙な効果ですねぇ」
骸骨の仮面を被ったロウが、呆れたように感想を漏らす。
隠しパラメータを参照する“神眼”のギフトは存在するが、今現在、所有している者はいないはず。寿命の値が一伸びたとしても、確認することはできない。
大往生する直前に飲めば、あるいは実証できるかもしれないが、弱った身体では毒に耐えられないだろう。
「“天使の毒”だと? ご禁制の品物ではないか!」
こちらは可愛らしい“犬頭人”の仮面をつけたヌークが、怒りを露わにしていた。
「そもそも、迷宮で得た成果品は、冒険者ギルドでしか取り扱いができないはず。いったい、どこの冒険者がよ――」
横流しをしたのかと言いかけて、ヌークは口を閉ざした。周囲の客が不審そうな視線を向けているのに気づいたからだ。
「……ぐぅう」
唸るヌークに、ロウが助言を送った。
「水毒蛇が階層主なら、ギルドに討伐報告が出ているはずです。その中で、急に羽振りがよくなったパーティを探せばよいのでは?」
「見つけたところで、証拠がない」
「カマをかければいいんですよ。パーティメンバーを個別に審問すれば、誰かが話すでしょう」
ひそひそと物騒な話をしていると、お目当ての品物が出てきた。
「さあ、続きまして。こちらも貴重な商品です!」
運ばれてきたのは、一本の古びた短刀だった。刀身は魔銀製で、確かに切れ味はよさそうだが、この品物の真価は別のところにある。
「彼の伝説の賢者、“神の手”ファーによる、遺失品物。その名もぉ……」
道化師の司会者が拳を突き上げた。
「“蜘蛛糸の短刀”ぅ! 合言葉を唱えるだけで、水属性魔法“蜘蛛糸”が発動します。ご覧ください、この刀身に施された精緻な魔方陣を。実用性だけでなく、美術観賞用としても非常に人気の高い逸品となっております」
今から約百年前。伝説の賢者が冒険者を引退する直前に取得したギフト、“封陣”を使って、大量に制作した魔法品物のひとつである。
その効果は、自身の持つ魔法ギフトを魔銀に封じ込めるというもの。
当時は千本近く作成されたらしいが、一度魔法を発現させてしまえば、ただの魔銀短刀になってしまうこともあり、現存する未使用品は少ない。
ちなみにマリエーテも、卒業祝いにマジカンからプレゼントされたという“地雷砲の短刀”を所有している。
「さあ、参りましょう。スタートは金貨七十枚から。すぐに光が回った。はい、七十五は奥の席“火蜥蜴”さん。八十、八十二と。次々に参戦してくる。おおっと、“骸骨兵”さん、一気に百だぁ!」
光の合図を送ったロウの隣の席で、犬頭人の仮面を被ったヌークがずり落ちた。
「お、おい、ロウ。落ち着け」
金貨百枚といえば、王都の郊外で小さな家が買える金額である。田舎町のシェルパだったロウなど、見たこともない大金のはず。
「これは決まりか。いや、まだ終わらない。手前の席“豚頭人”さんの光が回った。百十。すかさず“骸骨兵”さんが応じる。百二十。これは完全に一騎討ちの様相か!」
金額が上がるにつれてヌークの声が震え出し、百五十を越えたあたりでかすかな悲鳴を上げた。
「お、おい待て。それ以上は――お前、教団の財政を破綻させる気か!」
迷宮競売の参加者は、王都の名士や富豪といった一流どころばかりである。
ロウが参加できたのは、教団内で侍祭の地位にあり、また冒険者ギルドの長でもあるヌークの名前を借りてのことだった。
つまり支払い義務はヌークにあり、彼は教団の財政責任者――ヨハネス枢機卿を納得させなくてはならない。
「おおっと、ついに出た。“骸骨兵”さん、二百だぁ! “豚頭人”さんはどうする。その手は、手は……動かない。頭を振った。“骸骨兵”さん立ち上がり、優雅に一礼する。金貨二百枚でぇ、落札っ。おめでとう、貴重な遺失品物は貴方のものです!」
一歩も譲らず戦い抜いたロウに対し、場内に割れんばかりの拍手喝采が沸き起こった。
熱気冷めやらぬ競売会場を出ると、ヌークはロウを連れて、近くの喫茶店に入った。
「……紅茶をふたつ。砂糖もミルクも不要だ」
勝手に注文すると、両腕を組んでロウを睨みつける。
浅黒い顔で、眉がない。しかも怒りのあまりこめかみに血管が浮き出ているので、ヌークの強面はさらに怖い顔になっていた。
最近のロウは、冒険者ギルドに通い詰めている。
受付で「やあ、ギルド長はいるかい?」などと、気軽に呼び出すので、受付担当の職員や近くにいた冒険者たちが訝しげな顔を見せたりもする。
ユイカを助けるためには協力を惜しまないと宣言した手前、ヌークとしても動かざるを得ないのだが、ロウの要求はあまりにも遠慮がなさすぎた。
攻略組族の立ち上げ支援に始まり、偽名による冒険者登録に、浅階層における特殊クエストの専属契約、他の冒険者たちに関する情報の閲覧要求、妹巫女を使った追加資金援助の交渉、そして今回は競売に関する情報提供と名義貸しである。
その行動力には驚くばかりだが、今回ばかりはやりすぎだ。
金貨二百枚。
時代を経るごとにその価値が高まっているとはいえ、遺失品物の相場をかなり上回っているはず。
これでは本格的な活動を開始する前に、“暁の鞘”が破産してしまうのではないか。
給仕が運んできた紅茶に無言のまま口をつける。
説教を開始しようとする直前、ロウは予言じみたことを口にした。
「もうすぐ、遺失品物の価値は跳ね上がりますよ」
“神の手”ファーが作成した遺失品物は、一回きりの消耗品である。
冒険者が持つにしても、それこそ命の危機に瀕した時以外には使わない。
だが、マリエーテの時属性魔法“逆さ時計”は、時間を巻き戻すことができる。
一度使った遺失品物を、未使用の状態に復元することができるのだ。
「その価値に気づいている人は、まだほとんどいません」
確かにと、ヌークは考え込んだ。
繰り返し使える遺失品物。冒険者時代の自分であれば、強い関心を持ったことだろう。
価値が上がったところで転売すれば、かなりの利益を得ることができるかもしれない。
「いずれ、金貨二百枚では購入できなくなるでしょう。そこで、ヌークさんにお願いがあるのですが」
説教をするはずだったのに、さらなる依頼がきた。
それは冒険者ギルドの総力を挙げて、遺失品物の所在に関する情報を集めて欲しいというものだった。
「冒険者たちにとって、遺失品物はお守りのようなものですからね。最悪、手放しても迷宮探索に支障はありませんし、使わずに引退した冒険者もいるかもしれません」
彼らから、現在の相場で遺失品物を買い取る。
「まだ集める気か?」
「もちろん」
このシェルパとの付き合いは浅い。十一年前、タイロス迷宮で三回潜行しただけである。
冷静沈着で抜け目のない若者というのが、ヌークが抱いた印象だった。
だが、金貨二百枚もの買い物をした後で、怒れる自分を前に悠然と紅茶を飲んでいる姿を見ていると、それだけではない、何か不気味なものを感じてしまう。
「いっておくが、しばらく教団の支援は期待できんぞ」
「財産になるものですから、頑張って説得して下さい。もしだめなら――」
ロウはけろりと言ってのけた。
「その時は、ユイカの遺産を使います」