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ティエルト大神殿の礼拝堂はそれほどの広さはないが、格式を高めるために、すべての壁や天井は贅を凝らした装飾品で覆い尽くされている。演出効果を狙ってのことか、シャンデリアや飾りランプが眩しいくらいに輝いていた。
「……そして、この時わたくしは、母なる大地母神さまに聖なる誓いを立てたのです。この身をもって無限迷宮に分け入り、必ずや悪しき魔神を――黒姫お姉さまの仇を、討つのだと」
厳粛なる空気の中、壇上で原稿を読み上げているのは、清楚な白いドレスに身を包んだ可憐な少女だった。
マリエーテである。
まるで魂が抜け落ちたかのような無表情だったが、それがかえって神秘的な雰囲気を醸し出している、といえなくもない。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さま。本日は、わたくしの旅立ちの日にお集まりいただき、まことにありがとうございました。敬虔なる大地母神教の信徒たる皆さまに、女神のご加護があらんことを」
完全に棒読みの演説を終えて、ぺこりとお辞儀をすると、タイミングよく柱の陰にいた謎の人物が大声を発した。
「“妹巫女”さまに、幸あれ!」
別の柱からもうひと声。
「“妹神子”さま、ばんざい!」
それらの声に促されるように、礼拝堂に集まった百人以上もの人々の間に拍手と歓声が沸き起こった。
満面の笑顔を浮かべたヨハネス枢機卿と十数人の聖歌隊が壇上へ上がってくる。
清らかな弦楽器の音色とともに、美しい歌声が礼拝堂を満たした。
荘厳なる旋律の中、マリエーテの隣に立った枢機卿は、朗々たる声で締めくくりの言葉を発した。
「今宵、大神殿にお集まりいただいた敬虔なる信徒の皆さま。我らが愛すべき“妹巫女”マリエーテは、冒険者として旅立ちまする。険しき道ゆえ、数多くの試練が待ち受けていることでしょう。しかし彼女もまた、大地母神の強い加護を受ける身。若干十五の身でありながら、すでに二属性の魔法ギフトを授かっているのですから」
聴衆たちから「おおっ」と、感嘆の吐息が漏れた。
「ですが、彼女は幼くか弱き身でもあります。茨の道を歩く足を少しでも軽くするためには、皆さまの清らかなご支援が必要となるでしょう。そこで――」
枢機卿は礼拝堂の奥にあるカウンターを指し示した。
「あちらの寄進受付にて、係りの者が待機しております。悪しき魔神を倒すため、どうか皆さまの信仰を捧げてください。ある一定以上の、尊き信仰を捧げた方については、もれなく“妹巫女”による祝福が授けられることでしょう」
ある一定以上とは、具体的には金貨十枚である。贅沢をしなければ、王都でも半年くらいは生活できる大金だ。
だが、今回大神殿の礼拝堂に集まったのは、おもに上流階級に属する人々だった。
このような大規模な聖事は、“黒姫”と呼ばれ親しまれたユイカを失って以来、約十年ぶりのことであり、また迷宮攻略が後退しつつあることによる不安感――“終焉”の思想が高まっていることも相俟って、多くの信者たちが寄進受付に列をなした。
「大口の寄付をご希望の方は、こちらの列にお並びください。“妹巫女”さまより直々に祝福を授かることができます! また別室では、所得控除や遺産相続についてのご相談も承っております」
「こちらの聖品物販コーナーでは、“妹巫女”さまが黒姫さまへの想いを綴られた詩集、“敬愛するお姉さまへ”を販売しております。ぜひお買い求めを!」
「本日は“妹巫女の旅立ち”に参加いただき、ありがとうございました。お帰りはこちらです。次回の聖事“妹巫女の夕べ”は、二日後、モーリス神殿の“祝福の間”にて行われます。案内チラシをお持ち帰りください!」
見習いの牧師や修道女たちが、大声を張り上げながら裕福な信者たちを誘導している。
人々の動きはめまぐるしい。礼拝堂に備えつけられたシャンデリアの光を受けて、信者たちが身につけている貴金属がきらきらと輝いていた。
遠くの方に響いているのは、聖歌隊による合唱の声。誰も注目していないのに、まだ歌っているようだ。
そんな喧騒の中、清楚なドレスに身を包んだマリエーテは、頭を垂れる信者に手をかざして、無感動に呟いていた。
「お有難うございます。敬虔なる信徒さまに、大地母神のご加護があらんことを。お有難うございます。敬虔なる信徒さまに、大地母神のご加護があらんことを……」
「黒姫さまとの別れの件ですが、あそこは、もう少し悲しみの感情を込めながら語って下さい。時おりひと呼吸置くのも効果的でしょう」
心身ともに消耗しきったマリエーテは、控え室の椅子に座りながら、シズの助言を聞き流していた。
「マリン、聞いていますか?」
「……て、ない」
マリエーテはシズを睨みつけた。
「旅立ってない!」
何が“妹巫女の旅立ち”だと、マリエーテは不満を露わにした。
攻略組族を立ち上げ、ようやく無限迷宮に潜行できると考えていたのに、彼女が兄から頼まれた仕事は、まさかの資金集めだった。
かつて教団の象徴であるユイカを失った後、ヨハネス枢機卿はマリエーテを“妹巫女”としてユイカの後継者に据え、教団の資金繰りを回復させようと試みたことがあった。
冒険者を志していたマリエーテが拒否したことで、計画は頓挫したわけだが、この話を知ったロウが、ヌークを通じてヨハネス枢機卿に“妹巫女”の復活を提案したのである。
見返りは、“暁の鞘”へのさらなる資金援助だった。
独自の企画として行事を開催し、“暁の鞘”へ直接寄付を受け付けることも可能だが、それでは経費も労力もかかるし、収入に応じた税も納めなくてはならない。
しかし教団と組めば、互いにメリットがある。
野心溢れるヨハネス枢機卿は、この話に飛びついた。
会場の運営等は教団が行い、マリエーテが偶像となり、信者を集める。
敬愛する義姉の死を背負った妹巫女が、果敢にも迷宮に潜行して、その仇を討つという、人々の同情心を引きつける脚本だ。
“暁の鞘”としてはマリエーテを動かすだけなので、経費もかからない。そして、集めたお金の三割を“暁の鞘”の運営資金に回す密約となっていた。
『迷宮探索を行うために、どうしても揃えたい品物があってね。無理にとは言わないけれど、協力してもらえると助かるよ』
最初、夕食の席でロウから資金集めの計画を聞いたマリエーテは、さすがに言葉を失った。
彼女が目指す道とは、あまりにもかけ離れ過ぎていたからである。
『……あのう、父さま』
迷っているうちに、強い意志の光をその瞳に込めながら、ミユリが発言した。
『僕でよろしければ、資金集めに協力します』
健気なこの甥っ子は、“暁の鞘”の正式なメンバーではないが、その心は熱い。いつもお手伝いできることはないかと聞いてくるし、冒険者育成学校を卒業したら、“暁の鞘”の戦闘要員として活躍したいと公言している。
『だ、だいじょうぶ。お姉ちゃんがやるから!』
ユイカを助けるためならば、どんなこともするとマリエーテは心に決めていた。
それに、ミユリにはあまり負担をかけたくない。
『いっぱいお金を稼いでくるから。見てて、ミュウ』
しかし、これほどまでに虚無な仕事だとは思わなかった。
演説中は好奇な視線が集中するし、心のこもっていない祝福には罪悪感すら覚えるし、義姉への想いを綴った詩集など書いた覚えもない。
世の中の裏側を覗いてしまったようで、例えようのない気分になる。
「マリン。やると決めたからには、泣き言は許しませんよ?」
「……うっ」
冷徹な管理者の顔となったシズの迫力に、マリエーテは気圧された。
「シズお姉ちゃん、厳しい」
幼い我儘をぶつけると、シズはわずかに口元を緩めた。
「黒姫さまも、このような聖事をこなしながら迷宮探索を続けていたのです」
「ユイカお姉ちゃんも?」
「ええ。あなたも、同じ道をたどっているのです。自信をお持ちなさい」
わずかに気力を回復させたマリエーテだったが、今後のスケジュールを聞いて挫けそうになった。
「明日の夜、冒険者ギルドの支援者たちとの会食があります。“暁の鞘”への直接的な支援の話が出るかもしれませんが、断ってください。教団を通じて援助していただくよう誘導します。また、次の聖事“妹巫女の夕べ”は二日後、モーリス神殿にて執り行われます。演説用の原稿がありますので、今日明日中に暗記しておくように。ここでは旅立ちに向けての抱負を語りますので、明るくさわやかな笑顔を心がけ……」