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 数日後、シズは私物をまとめて住み慣れた屋敷を出ることになった。

 その間、彼女はほとんど自室から出なかった。ひとり部屋にこもって、引き継ぎの資料を作成していたのである。

 自分の後任はまだ決まっていない。しかし、これまで溜め込んできたミユリの情報や今後予定していたデビュー計画などは、残しておかなくてはならないと考えたからだ。

 もはや必要のないものなのかもしれないが。

 シズは大きな手提げ鞄をひとつ持って部屋を出た。本や仕事道具などの重い荷物は、後日業者に運び出させる予定である。

 ミユリやメイドたちに挨拶をしようとしたところで、初めてシズは気づいた。

 今日出ていくことを、誰にも伝えていなかったことを。

 屋敷の中はしんと静まり返っていた。


「タエさん?」


 食堂には誰もいない。

 休憩室を覗いてみる。


「プリエ?」


 もいない。

 ロウ、マリエーテ、ミユリの部屋を訪ねたが、誰もいなかった。

 シズは訝しく思った。

 今日は休息日である。冒険者育成学校(アカデミー)も休みのはず。みんなでどこかへ出かけたのだろうか。

 シズの管理下であれば、そのような勝手は許されなかった。

 誰もが諦めたように従う他なかった。

 ロウが来てから、この屋敷は――おそらく良い方向に変わったのだろう。

 シズは素直に認めることができた。

 自分が管理していた間は、屋敷内の雰囲気は緊迫した空気と沈黙で包まれていたように思う。

 ミユリは教団の象徴となるべき尊きお方。崇め奉られるとこはあっても、同等の友人として接してくる者などいない。

 そんな現実に慣れさせるためにも、砕けた雰囲気を形作ることなどできなかった。

 だが、父親であれば別である。

 最近、ミユリが楽しそうに話す機会が増えたように思う。

 食事の時にロウが学校での様子を聞き、ミユリは母親の話や迷宮での冒険話を聞きたがる。そこにマリエーテとメイドたちとも加わって、冗談を言い合ったり、互いに笑い合ったりする。

 普段であれば食事を終えるとすぐに子供たちは自室へと戻り、タエとプリエは帰り支度を済ませるのだが、食後のお茶が出て、談笑が続くようになった。

 まるで、ごく普通の家庭のように。

 がらんとした屋敷の様子に、シズは苦笑した。

 これが結果だと思った。

 仮にロウが復活していなかったとしても、おそらく――ーいずれは破綻していたのだろう。

 自分は過ちを犯し、そのことに気づいてさえいなかった。

 見送る者のいない別れ。

 愚かな自分には、相応しい最後なのかもしれない。

 シズは慣れ親しんだ屋敷を出た。

 皮肉なほどよい天気だった。

 植木には水をやった形跡があった。まだ葉の上に雫が残っており、きらきらと輝いている。

 シズの鞄の中には、一通の辞令が入っていた。

 そこには、彼女の新しい異動先が記されていた。

 とある攻略組族(クラン)の支援をせよとのことである。住み込みで働くことができるらしい。

 攻略組族(クラン)とは、冒険者組隊(パーティ)をさらに拡張した組織のことだ。

 代表を据え、拠点を構える。支援要員(サポーター)が事務作業、広報活動などを行い、冒険者たちは迷宮攻略に専念する。

 それは、大きな支援者(パトロン)がついてなくては成り立たない形態でもあった。

 もの好きな貴族の子弟か、豪商のドラ息子か。そんな輩が冒険者となり、資産を切り崩しながら運用していく。

 まともに収支が成り立つ攻略組族(クラン)など、ほとんどなかったはず。

 かつては存在した。

 “宵闇の剣”である。

 おそらくは教団に多大なる貢献(きふ)をした家の者が攻略組族(クラン)を立ち上げ、教団に支援を要請したのだろうと、シズは勝手に想像していた。

 攻略組族(クラン)の名は、“(あかつき)(さや)”というらしい。

 類似商標(パクリ)だと、シズは思った。

 “宵闇の剣”のような圧倒的な人気と実力を誇る冒険者パーティが出てくると、よく似た名前のパーティがぞろぞろと現れる。

 “宵闇の剣”が解散してから数年が経過しているが、その活躍は冒険者たちの間で伝説として語り継がれている。

 ようするに、勇名にあやかろうというのだ。

 攻略組族(クラン)の活動の拠点となる事務所は、空区の外れにあった。

 立派な石垣に囲まれた三階建ての屋敷である。鉄格子の門とその先の玄関の扉は開け放たれていた。

 かすかな物音と人の声が聞こえる。

 意を決して中に入ると、玄関にミユリがいた。

 白いエプロンと頭巾をして、(ほうき)を手にしている。庶民的な格好だが、この子が身につけると妖精の式衣装(ドレス)のようにも見える。箒はさながら魔法の(ステッキ)か。

 ぼんやりと、シズはそんな感想を抱いた。


「あ、シズさん。いらっしゃい」


 ミユリはにこりと微笑んだ。


「先に出てしまってすみませんでした。テーブルの上に置き手紙を残してきたのですが、見つけられたんですね」

「え、あ――いえ」


 あまりにも自然な応対に頭がついていかない。


(とう)さま、マリン(ねえ)さま、シズさんがいらっしゃいました!」


 ロウとマリエーテがやってきた。ふたりともミユリと同じような格好である。

 まるで大掃除でもしているかのような。

 二階から、タエとプリエも下りてくる。

  自分が仕えるべき主――神子(みこ)の父親に対して暴言を吐くという、執事としてあるまじき失態を犯してから、シズは彼らとほとんど話をしていなかった。


「これは、どういう……」


 現実の認識が追いつかない。

 口を開いたのは、マリエーテだった。


「シズ、お姉ちゃん」

「――!」


 ずいぶんと懐かしい響きにシズは驚いた。

 ユイカに連れられてこの屋敷にきた頃のマリエーテは、シズのことをそう呼んでいた。いや、ユイカが迷宮内で行方不明になってからも、しばらくは。

 呼び方が変わったのは、いつだったか。

 シズは思い出した。

 あれは“宵闇の剣”が――ベリィがリーダーを引き継ぎ、ユイカの救出を目標に掲げて奮闘していた“宵闇の剣”が、解散した時だ。

 それはシズが、ユイカのことを諦めた瞬間でもあった。

 そもそも迷宮内で魔物に連れ去られた時点で、ユイカの生存は絶望的だったのである。

 悲劇の終章(エピローグ)が、終わっただけ。

 心に整理をつけ、納得するしかなかった。

 だが、マリエーテはひとり、頑として抵抗した。


『だいじょうぶ。私が冒険者になって、必ずユイカ姉ちゃんを助けるから。だから、シズお姉ちゃん――』


 自分はなんと答えただろうか。

 幼く蒙昧(もうまい)な希望をこれ以上膨らませないために、優しく諭したように思う。

 黒姫さまのことは、お忘れなさいと。

 それからシズはミユリの教育に全力を注ぐようになり、マリエーテと接する機会は減っていった。

 気づいた時にはマリエーテから「シズさん」と呼ばれ、ミユリに対する教育方針を巡り激しく対立するようになっていた。

 マリエーテが変わったのは、ユイカがいなくなったからでも、精神(こころ)が成長したからでもない。

 自分が、諦めてしまったから。


「お兄ちゃんが、攻略組族(クラン)を立ち上げたの。ヌークおじさまにお願いして」


 そういえば、自分がヨハネス枢機卿に叱責されている時に、そのような話が出ていたような気がする。


「ユイカお姉ちゃんを、助けるために」

「黒姫、さまを……」


 なんの話を、しているの?

 呆然と目を見開いたシズに、マリエーテが説明した。

 ユイカは魔物に時属性の魔法をかけられて、時が停止した状態で迷宮内に存在している可能性があること。

 根拠は、マリエーテが行使する魔法陣の類似性と、魔物自身が語った台詞。

 だが、当時と比べて王都の冒険者たちの力量は落ちている。

 そこで迷宮攻略に集中するために、ロウは教団による全面的な支援のもと、攻略組族(クラン)を立ち上げることにした。


「姫さまが、戻っていらっしゃる、可能性が……」

「あるの!」


 足を踏ん張り、両手を握りしめて。

 まるで幼い子供が全力で主張するかように。


「私が。私とお兄ちゃんが、必ずユイカお姉ちゃんを助けてみせる。だから、シズお姉ちゃん――」

 あの時と同じ台詞を、マリエーテは口にした。


「私に、力を貸して!」


 決して諦めない強さ。

 裏切りや過ちを許す優しさ。

 なんて、子……。

 ユイカという心に決めた存在すら揺らぐほどの衝撃を、シズは受けた。

 とっくに冷え固まったと思っていたはずの心が、頑なに覆い隠していたはずの素直な心が、漏れ出す。


「は、はい……」


 頬が、熱い。

 涙が、流れているのだ。

 そのことに気づき、シズは両手で顔を覆った。

 柔らかな衝撃を受ける。マリエーテが抱きついてきたのだと、シズには分かった。


「マリンさま。はい。私が……」


 やっとの思いで、シズは言葉を紡いだ。


「私にできることでしたら、どんなことでも――」





「というわけで、うまくおさまりました」

「……」


 冒険者ギルド内、ギルド長の執務室。

 苦虫を噛み潰したかのような表情で、ヌークは深いため息をついた。


「最初から黒姫さまの状況を話して、シズ殿の協力を仰げばよかったのではないか?」

「中途半端な協力関係は、火種になりますから」


 まるで預言者のようにロウは語った。

 たとえ目的が同じでも、互いの方針の違いは容易く埋められるものではない。いずれはシズと対立することになったはずだと。

 ならば、後顧の憂いは早めに断ったほうがよい。


「だから、叩きのめしたのか?」

「ひと聞きの悪いことを言わないでください。あくまでも()()ですよ」


 ユイカを救出するためにロウが立てた計画の第一歩は、攻略組族クランの立ち上げだった。

 組織を運営するためには、資金と人材が必要である。

 ロウは攻略組族(クラン)を立ち上げるための資金と当面の運用資金を算定し、ヌークを通じて大地母神教団に依頼した。いちシェルパに過ぎない青年(わかぞう)のあまりにも法外な要求に、ヌークは絶対に無理だと断言した。

 ユイカが勇者として活躍していた時代であれば、可能だったかもしれない。

 信者たちから莫大な献金が発生していたからだ。

 しかし今は、教団の運営も厳しくなっていて、毎年のように経費削減に苦慮している。

 それゆえに、ミユリへの期待は大きい。


『つまりは、頼みの綱というわけですね?』


 そう言って、ロウはにこりと笑った。

 攻略組族クランの人材面については、最初からシズに目をつけていたようだ。

 企画力、情報収集能力、スケジュール管理能力に秀でており、事務処理能力も申し分ない。財政管理や広報活動も行える。

 それは優秀な冒険者以上に、ロウにとって()()()()()だった。

 だが、いくら優秀な人材であっても、こちらの言うことを聞かないのでは意味がない。

 資金と人材――これらふたつの難問を、ロウは同時に解決してみせた。

 ロウがどこまで計算に入れていたのか、ヌークにも推し量ることはできない。

 彼が知っているのは、シズとミユリが仲違いをして教団との繋がりが切れかけたこと。ロウの取り成しにより、最悪の事態を免れたということだけだ。

 さらにロウは、ヨハネス枢機卿に対して、将来的にミユリが教団の聖事(イベント)に参加するよう説得することを約束した。

 もちろんただではない。

 交換条件は、攻略組族(クラン)支援要員(サポーター)兼教団との窓口担当として、シズを据えること。

 ヨハネスの判断によりこの件は了承され、ヌークはロウに教団が懇意にしていた不動産屋を紹介し、シズには新たなる辞令が交付されることになったのである。


「しかしよいのか、ロウよ」


 いくらユイカを助けるためとはいえ、息子であるミユリの将来を縛ることになるのではないか。

 自分の立場や言動を棚に上げて、あえてヌークは問いかけたのである。

 ロウは鼻で笑った。


「どうせ、消し飛びますよ」

「なに?」

「ユイカを助け出したら、ね?」


 教団はユイカの愛息を勝手に神子(みこ)として祭り上げ、なおかつ父親であるロウの存在を抹消した。ユイカの性格からして、ただで済むとは思えない。見て見ぬ振りをしてきたヌークも危ないだろう。

 思わず渋面になったヌークに、ロウは攻略組族クランの登録申請用紙を渡した。


「代表は、シズさんです」

「なんだと?」

「冒険者やシェルパは、しがらみがありますから」


 冒険者ギルドや案内人ギルドから呼び出しを受けたなら、応じないわけにはいかないし、無理難題を押しつけられる可能性もある。

 だが、攻略組族クランの代表がそういった組織と無関係な人物であれば、ある程度の距離を保てるだろう。

 そこまでロウは見越しているのだ。

 もはや何も言うことができなくなり、ヌークは黙って登録用紙を受け取ることにした。

 これで、一応の形は整った。


“暁(あかつき)(さや)”、か……」


 それは、登録用紙の一番上に記された攻略組族クランの名。

 “宵闇の剣”――ユイカを迎え入れるための攻略組族クラン


「戦力的には、弱小だな」


 登録されている戦闘要員はマリエーテのみ。支援要員サポーターとして、シェルパのロウと、タエ、プリエ。そして、お手伝い要員としてミユリ。


「ええ、今は。ですが――」


 ロウは遠くを見るような目をした。


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