(8)
その日は、神聖なる儀式にふさわしい快晴に恵まれた。
王都の空区にあるモーリス神殿を利用する冒険者たちは少ない。格式の高い場所なので、利用料が高額だからだ。
そのおかげで、一般の信者たちも安心して日々の祈りを捧げることができる。
普段は物静かなこの神殿は、立派な馬車に取り囲まれていた。
“レベルアップの儀”は、第一学級から順番に実施される。
順番が後になればなるほど進行の遅れから待ち時間が増える傾向にあるため、応援する家族としては助かるが、儀式に臨む生徒たちからすると、心の準備を整える時間がない。
とはいえ、冒険者育成学校に入学したときから覚悟していたことでもあり、また上流階級に属する者としては、動揺する姿を見せられないという意地もある。
神殿内の大広間で、四年生第一学級の生徒たちは、穏やかに――普段よりは口数は少ないものの――談笑しながら待機していた。
「ミュウ」
そんな中、ミユリを見つけたマリエーテが声をかけた。
「マリン姉さま!」
ミユリの側にいた同級生たちが、緊張したようにざわめく。
昨年、育成学校を首席で卒業したマリエーテは、下級生たちから畏怖される存在だった。
ひと呼んで“時間の魔女”。
細かな刺繍の施された白色のドレス身につけ、悠然と近づいてくるその佇まいは神秘的で、まさにふたつ名にふさわしいもの。
しかし、ミユリは違和感を覚えてしまう。
家で父親――マリエーテにとっては兄――に四六時中べったりくっついて、可愛らしいわがままを言っている姿が、本当の姉の姿だということを知ってしまったからだ。
「応援に来たよ、ミュウ」
「嬉しいです」
「もちろん、お兄ちゃんもいっしょ」
マリエーテが振り返った先、少し離れた壁際にロウがいた。
シズから事前の注意を受けているようだ。
その視線を遮るように、ひとりの少女が現れた。
「ご機嫌よう、マリンさん。卒業式以来ですわね」
金髪の巻き毛に豪奢な赤色のドレスという派手な出で立ち。見るからに気位の高そうな少女である。
再び周囲がざわめいた。
マリエーテと最後まで学年首席の座を争った“炎の淑女”。
その名は――
「カトレノアさん」
「違いますわ」
金髪の巻き毛の少女は、不機嫌そうに訂正した。
「カレンです」
「……?」
マリエーテは怪訝そうに眉根を寄せた。
「カ、レ、ン。卒業式の日に約束したはずです。今後は、互いに愛称で呼び合うようにと」
「そうだっけ?」
実際のところは、緊張で顔を真っ赤にしたカトレノアが、マリエーテに向かって一方的に宣言し、返事を聞く前に走り去ったわけだが、彼女の中では有効な約束になっているらしい。
カトレノアは優雅な仕草でミユリに一礼した。
「これは神子さま。ご機嫌うるわしゅう。わたくし、マリンさんの終生のライバル、カトレノアと申します。お会いできて光栄ですわ」
「初めまして、お姉さま。ミユリと申します」
ごく自然に挨拶を返すミユリ。
感心したように、カトレノアが微笑する。
その時――
「カレンお姉さまあああっ!」
カトレノアを全体的に縮小したような少女が、全速力で駆け寄ってきて、そのままカトレノアの腰に抱きついた。
「こ、こら。キャティ。はしたないですわよ!」
ミユリの同級生であるキャティである。
キャティはカトレノアの妹だった。教室でも姉のことをよく自慢しているので、同級生の間では周知の事実である。
「わ、わたくし、とても心配で――朝食の時には、よく眠れたと申し上げましたが、実は、一睡もできませんでしたの!」
「ちょ、ちょっと、こっちにいらっしゃい」
ひと目を気にしたのか、カトレノアが別の場所に誘導する。
柱の陰で、キャティは姉に泣き言をぶつけているようだ。
プライドの高い彼女らしからぬ醜態だったが、誰もキャティのことを笑ったりしなかった。
我が身を顧みれば、笑える余裕などなかった。
“レベルアップの儀”は、少年少女たちにそれほどの重圧を与えていたのである。
「あ、お兄ちゃん」
マリエーテの声で、ミユリは我に返った。
ゆっくりとした足取りで、ロウがやってくる。
初めて見る正装だった。
「やあ」
すぐ後ろにはシズとタエ、プリエが控えており、その立ち位置は、まさに家の若き主といった感じ。
胸の鼓動が高鳴る。
ミユリは頬を赤らめた。
「と――」
形容のし難い喜びを、しかしミユリは伝えることができなかった。
執事のシズに、公の場――つまり屋敷以外の場所で、ロウのことを「父さま」と呼ぶことを禁じられていたからだ。
それだけではない。父親だと類推されるような言動も極力慎むようにと厳命されていた。
ロウの立場は、あくまでもマリエーテの兄ということらしい。
間違ってはいないが、大切なことが抜けている。
まただ、とミユリは思った。
今まで感じたことのなかった尖った気持ちが、胸の内で渦巻いている。
互いに大変だねという感じでロウは苦笑した。
それを見て、ミユリの心は少しだけほぐれた。
父親も同じ気持ちだと分かったからだ。
「緊張するなっていっても無理だろうけど、頑張れ」
「……はい」
短い言葉だったが、ミユリには十分だった。
毎晩のように、ミユリはマリエーテとともにロウの部屋を訪れては、ベッドの中でいっぱい話をした。
女神と繋がる合言葉、話をする上での注意点、集中するコツなども聞いた。
もちろん、育成学校の授業でも時間をかけて学習したが、ロウの経験談は少し違っていた。
『女神さまは、とても寛大で、意外とお茶目な方だよ。どうも、こちらの思考が読まれてるみたいだから、隠しごとをせず、素直な気持ちでお話しすること』
教師の話では、大地母神は高潔で気高い至高の存在であり、失礼な振る舞いを許されないとのことだったが。
こればかりは実際に会ってみないことには分からない。
「ロウさま」
何かを警戒するような低い声で、シズが促した。
「そろそろ観覧席に移られたほうがよろしいかと」
「ああ、そうですね」
先ほどのキャティのように、思い切り心の不安をぶつけることができたなら。
憧憬にも似た想像をミユリは巡らせた。
自分以上の重荷を背負っていた姉に甘えることなどできなかった。
でも、父親になら。
「期待を裏切らないよう、頑張ります」
父親と姉を不安にさせないよう、ミユリは強がってみせた。
神殿長が来て、今日のスケジュールと注意事項を説明した。
四年生の“レベルアップ儀”は、二段階で執り行われる。
最初の“ご挨拶”で“収受”というギフトを授かり、魔核を吸収して、次にレベルアップを行うのだ。
ちなみに、レベルアップに必要な魔核は、育成学校が冒険者に依頼して、事前に集めているらしい。
「そばには神官たちも控えておりますので、ご安心を。心を鎮めて、女神様とお話しください」
その後、第一学級の生徒たちは、“祝福の間”に移動した。
通常はひとり部屋らしいが、ここは特別で、生徒全員が入れるほどの大きさがあった。
巨大なドーム状の空間だ。
部屋の片側は観覧席になっており、生徒の家族や使用人たちが、儀式を受ける生徒よりも緊張した様子で待ち構えていた。
床の上には巨大な円形の魔法陣が描かれており、その中心に細かな意匠を凝らした大理石の椅子ひとつ。
そして大理石の椅子と観覧席を見守るように、巨大な女神――大地母神ギャラティカの像が鎮座していた。
遥か上方にある窓ガラスから、幾筋もの光が入り込み、荘厳といってよい雰囲気を醸し出している。
「儀式を行う方以外は、魔法陣の中に入らないように」
儀式を担当する神官が、重苦しい口調で注意した。
父親の話では、複数で魔法陣に入っても問題はないとのことだったが、この儀式では不敬に当たるらしい。
担任の教師が、名簿を片手に指示を出す。
「では、最初はジタンから。魔法陣の中央まで進みなさい」
「はい!」
緊張に顔を強張らせながら、ジタンが一歩踏み出す。
「落ち着いていけ、ジタン!」
「母は、ここにおりますよ」
「ジタン坊っちゃま!」
「坊っちゃまぁ!」
観覧席から声援が投げかけられた。
ジタンはやや迷惑そうに顔を赤らめながらも、堂々と歩を進める。
大理石の椅子に座ると、痛いほどの沈黙で満たされた。
「“女神言伝”」
ジタンの呼びかけに、地面に描かれた魔法陣が青白い光を発した。
しばらくして、魔法陣の光が消える。
どのような会話がなされたのかは、本人以外には分からない。
やがてジタンは生徒たちの元へと戻ってきた。
「レベルアップに必要な数値は?」
「十七です」
「では、これを――」
神官がそばに置かれていた木箱から幾つかの魔核を取り出し、ジタンに渡した。
色は明るい紫色。大きさは指の先くらい。
「“収受”」
ジタンがギフトを使うと、魔核が光り輝き、ジタンの手の平に吸い込まれるように消えていった。
「では、もう一度女神さまとお話をしてください」
「はい」
再びジタンが魔法陣に進み出る。
先ほどよりも大きな応援の声が投げかけられた。
ここからが、本番だ。
「“女神言伝”」
今度は時間がかかる。
レベルアップと、追加の加護――基本能力の向上かギフトの抽選を選ぶことになるからだ。
しばらくして、ジタンは立ち上った。
自信に満ちた表情で、観覧席に向かって手を振る。
父親と母親らしき人物が抱き合い、使用人たちが涙ぐんだ。
会場内は拍手に包まれる。
次々と、生徒たちが“レベルアップの儀”を受けていく。
儀式を終えた生徒たちの様子は様々だ。安堵の表情を浮かべたり、悔しさに涙を流したり、肩を落として落ち込んだり。
すべてはギフトの抽選の結果だった。
そしてついに、ミユリの番が来る。
「次――ミユリ君。魔法陣の中へ」
「はい」
担任の声が響くと、周囲がしんと静まり返った。
生徒たちも、担任の教師も、そして神官すらも固唾を呑むようにミユリを注視していた。
ミユリが魔法陣に進み出ると、ざわざわと騒がしくなった。
「あれが、神子さま」
「なんと、神々しい」
「大地母神教の、象徴たる御方」
「世界を救う、女神の子――」
ざわめきは次第に大きくなり、無視できない音量となった。
「お静かに! 女神さまの御前ですよ。お静かに!」
神官たちが、観覧席に向かって注意する。
ざわめきは落ち着いたが、代わりに、息苦しいほどの沈黙で満たされた。
あまりにも異様な雰囲気に、ミユリは怯んだ。
大丈夫。
決められた通りにやればいい。
あの椅子に座って、合言葉を唱える。
あとは流れに身を任せるだけ。
合言葉は――
一瞬、頭の中が真っ白になる。
その時。
「ミユリー」
沈黙の中、どこかのんびりとした応援の声がかけられた。
父親の声だった。
観覧席でひとり、両手を大きく振っている。
「父さんが、応援してるぞ。頑張れー」
一瞬遅れて、マリエーテも叫ぶ。
「お姉ちゃんも、ここにいるから!」
すべての視線が、ロウとマリエーテに注がれた。
神子には父親はいないはず。
それが公式見解だったはず。
もちろん、生物学的にありえないことは皆分かっているが、それでも口外してはいけないことだった。
ミユリは心配した。
父親はシズから受けた注意を破った。
自分を応援するために。
心配すると同時に、心のわだかまりが消えた。
「ああ、姫さま! なにとぞ、お力を!」
「ミユリさまぁ、落ち着いていきましょう」
メイドたちも応援してくれている。
勇気をもらったミユリは、大理石の椅子に座って合言葉を唱えた。
そして、ギフトの抽選でアクティブギフトを取得すると、観覧席に向かってこう宣言したのである。
「父さま、やりました!」




