(7)
「……ロウさま、ですか?」
食器を洗う手を止めると、小首を傾げながらプリエは答えた。
「優しくて、真面目そうな方だと思いますけど」
「けど?」
「少し、得体の知れないところが……」
「得体の知れない? その話、詳しく――」
シズはずいと顔を近づけた。
「あるような、ないような」
「どっちですか!」
うふふと、朗らかな笑顔を浮かべるプリエ。
「分かりません」
おっとりしているようで感覚的に鋭いプリエは、時おりものごとの本質をつくことがある。
あわよくばと期待していたシズだったが、がっくりと肩を落とした。
「お会いしてからまだ幾日も経っていませんし。ゆっくりお話をする機会もありませんでしたから」
「そう、ですね」
今後雇い主になるかもしれない人物を、第一印象だけで悪し様に言うことはできないだろう。
そう考えて、シズは納得することにした。
「何か気づいたことがあれば、私に知らせてください。それから、このことは――」
「はぁい。了解です」
念のため口止めして、勝手口から外に出る。
「……ぎりぎり、間に合ったかもしれませんねぇ」
皿洗いを再開したプリエの鼻歌まじりの呟きを、シズは聞いていなかった。
屋敷を半周すると、南側に面した庭に出る。
昼下がりの午後。今日もいい天気だ。
庭木や鉢植に水をやっていたタエを見つけると、先ほどと同じ質問を投げかけた。
「ロウさまの印象、ですか?」
「そうです。あなたの率直な意見を聞きたいのです」
ここ数日、シズはロウのことを観察していたが、特に怪しい言動は見受けられなかった。
ミユリの父親であることを主張して、屋敷内の秩序に異を唱え、財産の管理にまで口を出してくるかと密かに危惧していただけに、ピクニックに行きたいという最初の要求には戸惑ったものだ。
何を考えているのか分からない。探りを入れようとする笑顔でかわされる。時おり視線が合うと微笑み返される。
考えすぎかもしれないが、見透かされているような気がしたのだ。
慎重な男なのだろう。
だとするならば、ミユリの後見人である自分に対して、ロウが隙を見せるはずがない。
だからシズは、メイドたちに聞くことにしたのだ。
幸いなことに、ロウとマリエーテは冒険者ギルドに出かけているし、ミユリも学校に通っている。
屋敷の主人がいなくなれば、メイドたちの口は軽くなるもの。
「あたしは、いい旦那さまだと思いますけどね。なんたって、お姫さまが見初められたお方ですから」
「……」
シズとしては、賛同しかねる意見だった。
今から十一年前。ユイカが所属していた冒険者パーティ“宵闇の剣”が、地方にあるタイロス迷宮を攻略する際に紹介された人物が、ロウだったという。
迷宮道先案内人。
冒険者たちの荷物を預かり、迷宮内の道案内をする肉体労働者のことだ。
決して褒められた職業とは言えなかった。
粗野で粗暴といわれる冒険者の中には、時おり英雄に匹敵するほどのカリスマ性を持つ者が現れる。
ユイカもそのひとりだ。
冒険者育成学校出身の冒険者たちは人格者が多いし、大地母神教の熱心な信者であれば、少なくとも一般人ともめごとは起こさない。
だが、シェルパたちは違う。
彼らは冒険者として才能がなかった者、冒険者になる勇気すらなかった者、そして他に金を稼ぐ能がないならず者たちの集団だった。
そのくせ、深階層まで潜行したシェルパたちは、まるで自分の手柄とばかりに誇示し、吹聴したりする。
“宵闇の剣”のシェルパとして抜擢されたのだから、ロウは優秀なシェルパだったのだろう。
実際シズも、ユイカ自身から話を聞いていた。
タイロス迷宮の深階層で“宵闇の剣”が全滅の危機に陥った時、ロウの薬学の知識やギフトのおかげで、何度も助けられたのだと。
ダーリンは、すごいのだと。
だが、シェルパとしての実力と人間性は別ものだ。
常人離れした意志の強さと行動力を併せ持つユイカだが、特定の分野に関しては世間知らずなところがあった。
……たぶらかされたのではないか。
タエを味方に引き入れるために、シズは自分の真意を伝えた。
「あの方の存在が、神子さまにどのような影響を及ぼすのか、それを私は心配しているのです」
ピクニックでのロウとマリエーテの行動に、シズは仰天した。
野草を食べる。花の蜜を舐める。木に登る。裸足で地面を歩く……。それはまさに下級階層に属する輩の、卑しい振る舞いだった。ミユリに浄化の魔法をかけてもらおうかと、本気で悩んだくらいだ。
帰りの馬車の中で、シズは血相を変えて注意を促した。
マリエーテはむくれたが、ロウは困ったような笑顔を浮かべながら素直に謝った。
この男は、神子さまによい影響を与えない。
その確証を得たい。
「殿方というのは――」
思いつめたシズの顔を見て、タエはふうと息をついた。
「子供ができたからといって、すぐに男親になれるものじゃないんですよ」
「どういうことですか?」
「いえね。これは、うちのダーリンが言ってたんですが」
屋敷のものであれば、この時点で覚悟する。
話が長くなるな、と。
子供も成人して今では孫までいるタエだったが、夫婦仲は極めて良好らしく、時おりのろけ話をねじ込んでくる。
「ハニー、君はすごい。最初に赤子を抱いた時に、もう母親の顔になっていたってね」
「はぁ」
一方のタエの夫はというと、くしゃくしゃの顔をした小さくて奇妙な存在に、最初はおっかなびっくりだったという。
しかし、育児を通して少しずつ、自分が父親であることを自覚していった。
つまりは経験が、男を父親に変えたのである。
「ロウさまは、ミユリさまのことを知らないまま、ずっと石化していたのでしょう?」
目覚めたらいつの間にか十歳の息子がいたとしたら、どう感じるだろうか。
自分が父親であることを、すんなり受け入れられるとは思えない。
「つまり、あの方の神子さまに対する接し方は……」
「まあ、あの年齢にしては、びっくりするくらい落ち着いていると思いますがね。ミユリさまを怖がらず、かといってかまい過ぎず。うまく誘導して……」
「――演技ということですね?」
「え?」
タエとしては、父親としての自覚のないはずのロウの立ち位置や振る舞いを、密かに評価していた。
そして、およそ崩壊寸前と思われたこの家に、家族の“芯”となるべき存在が現れたことに、安堵していたのである。
あまり無理をせず、時間をかけてミユリの父親に――この屋敷の主人になってくれたらよいと考えていたのだ。
「やはり、何か別の目的があると考えたほうがよいかもしれません」
頭の中で何やら疑惑が渦巻いているらしい女執事を見て、タエは急に不安になった。
「いえね、シズさん?」
「今は、神子さまにとって一番大切な時期です」
間もなく、冒険者育成学校で“レベルアップの儀”が執り行われる。
冒険者たちに集めさせた魔核を吸収して、レベルアップする行為だ。
レベルアップを果たすと、大地母神ガラティアの加護により、基本能力の五項目――筋力、体力、瞬発力、持久力、魔力に、それぞれ補正がつく。
さらにギフトの抽選か基本能力の向上か、二つの加護を選択することができる。
ほとんどの冒険者たちは、ギフトの抽選を選ぶ。
だが、ギフトの抽選は運の要素が大きい。
使えないギフトを取得した時の絶望感は、熟練冒険者たちでも相当なもの。
希望に満ちた育成学校の学生であれば、なおさらである。
真面目に冒険者を目指すミユリにとっても、大きな試練となる。
大地母神教の象徴――神子たるミユリを冒険者などにはしたくないシズだったが、ミユリの精神的なケアに関しては神経を尖らせていた。
「このままことが進めば、神子さまの御心を騒がせる事態に、陥るかもしれません」
少なくともその可能性は捨てきれない。
「お願いします、タエさん。何か気づいたことがあれば、必ず私に知らせてください。それから、このことは――」
「え、ええ」
被害妄想じみたシズの予感は、残念ながら的中することになる。




