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(4)

 冒険者ギルドから帰ってきたマリエーテは、いつになく上機嫌だった。いや、出かける前から上機嫌だったのだが、今は何かが振り切れたように浮かれていた。


「ねぇ、お兄ちゃん。私、どうすればいい?」

「マリンの冒険者レベルは四だっけ」

「うん」

「じゃあ、当面はレベル上げだな」

「分かった。毎日、潜行(ダイブ)する」

「闇雲に潜ってもだめさ。単独(ソロ)だと効率もわるいしね」

「じゃあ、どうするの?」

「まずは、知ることかな」


 淡々とした口調で、ロウは説明した。

 効率よく経験値を稼げる階層と領域、そして魔物たちの特性。単体として大きな魔核を持っていてもあまり意味はない。危険が小さく、倒しやすい魔物が数多く棲息(せいそく)している場所を知る必要がある。


「でも、“おいしい”狩場は人気だし」

「まあ、そうなんだけど。やり方によっては、不人気な場所でも絶好の狩場となる場合もある」


 スープを口に運びつつ、ロウはさらりと言った。


「どちらにしろ、今のマリンをひとりで迷宮にやるわけにはいかないよ。危ないからね」

「えー」


 マリエーテが不満の声を上げた。


「俺も、いっしょじゃないと」

「お兄ちゃんも?」

「冒険者とシェルパは、ひとつのチームだろう?」


 ころりとマリエーテの表情が変わった。しまりのない笑顔を浮かべて、ぴたりとくっついてくる。


「えへへ」


 幼い頃と言動が変わらない。

 もの心つく前に両親を亡くし、唯一の肉親だった自分も留守がちだったことが影響しているのだろうか。


「お兄ちゃんと、潜行(ダイブ)する」

「あいかわらず、マリンは甘えんぼだなぁ」

「だって、十一年ぶりだもん」

「十一年、か……」


 少し遠くを見るような目をしてから、ロウはあっさりと結論づけた。


「なら、しかたないか」

「うん、しかたないの」


 夕食の最中である。

 ふと気づけば、テーブルの対面にいたミユリと執事のシズが食事の手を止め、そろって目を丸くしていた。

 そして――


「ど、どうしたの、タエさん」


 びっくりしたようにミユリが腰を浮かした。

 ロウとマリエーテの傍に控えていたタエが、さめざめと泣いていたのである。


「マリンさまが、こんなに嬉しそうに。まるで、お(ひい)さまがいらっしゃった頃のようで……」

 雰囲気を察したのか、マリエーテが恥ずかしそうに離れる。

「ご、ごめんなさい」

「いえいえ。だいじょうぶですよぅ」


 プリエがのんびりした口調で言った。


「せっかくお兄さまと再会できたんですもの。少しくらい甘えたって、誰も文句は言いませんったら」


 彼女たちの反応を、ロウは冷静に観察していた。

 ユイカがいない今、マリエーテが微妙な立場にいるのではないかと密かに危惧(きぐ)していたのだが、どうやら取り越し苦労だったらしい。


「安心しました」


 スプーンを置いて、ひとつ頷く。


「みなさんを見ていると、妹がとても大切にされていたことが分かります。これまでマリエーテのことを支えてくださり、本当にありがとうございました」


 ロウは静かに頭を下げた。


「兄として、感謝します」


 素直な気持ちが半分。そしてもう半分は、自分の存在を印象づけ、相手の警戒心を解くための演技だった。





 夕食の片付けを終えると、タエとプリエは辻馬車に乗り合い、それぞれの自宅へ帰っていった。一方のシズは住み込みの執事であり、屋敷内に自室がある。彼女はマリエーテとミユリの後見人でもあるという。

 客室のベッドでひとり、ロウは考えごとをしていた。

 今日は――あくまでも自分の感覚ではだが――いろいろなことが起こりすぎた。

 タイロス迷宮の最下層で迷宮主と戦った、“宵闇の剣”は、全滅の憂き目にあった。ぎりぎりのところでロウは隠された通路(アイル)と迷宮核を発見することができたが、迷宮核を吸収するまでの時間と自分が石に変質するまでの時間との戦いになった。

 結果は、相打ち。

 ふと気づけば見知らぬ部屋にいて、目の前には十五歳になった妹と、ユイカそっくりだがユイカよりも可愛らしい息子、ミユリがいた。

 信じられないことに、十一年という時が経過したのだという。

 そしてユイカは、迷宮内で行方不明になっていた。

 マリエーテから事情を聞いた後、ロウはシズ、タエ、プリエの三人を紹介された。

 正直、心から歓迎されているとは言い難い雰囲気だった。

 推察するに、彼女たちにとって自分は、大切な主人についた“わるい虫”でしかないのだろう。

 一応、客人待遇となり、ロウには風呂と食事と着替え、そして立派な客室が与えられた。いつ自分が復活してもよいようにと、前もって準備されていたようである。

 身だしなみを整えたロウは、マリエーテの案内で冒険者ギルドへと向かった。

 “宵闇の剣”の元パーティメンバーであり、今は冒険者ギルドのギルド長を務めているというヌークに会うためである。

 彼の顔を見て、ロウはようやく――時の流れを実感することができた。

 子供の成長は劇的だが、大人の老化は緩やかで、しかし確実に刻み込まれる。身体つきも丸くなり、貫禄がついた。

 ヌークからユイカが行方不明となった状況を聞き、ロウは新たな目的を定めた。

 ユイカを、助ける。

 彼女は家族なのだから、それは当然の帰結だった。

 これまで自分に課した中では最難関の目的だが、ゼロからのスタートではない。

 味方もいるし、コネもある。

 まずは足場を固めてから、活動拠点を作って、さらには――

 部屋の扉が遠慮がちにノックされた。


「どうぞ」


 入ってきたのは、マリエーテと彼女に手を引かれているミユリだった。ふたりとも上等な生地の夜着を身につけている。

 ベッドの横に並んで立ち、マリエーテがぽつりと言う。


「お兄ちゃんと、いっしょに寝る」


 幼い頃と言動が変わらない。


「だって。ミュウはあんまり、お兄ちゃんとお話しできなかったし……」


 理由として使われた息子は、困ったような顔をしていた。

 自分が十歳の時は、父親といっしょに寝たいなどとは考えもしなかった。ましてや出会ったばかりの親子関係では緊張するだけではないか。


「ミユリが嫌じゃなかったら、おいで」


 布団をめくってベッドの端に寄ったのは、ミユリに自分が息子として受け入れられているということを印象づけるためである。

 たとえ相手が嫌がろうとも、こちらの扉は常に開けておかなくてはならない。

 意外なことに、ミユリはぱっと表情を輝かせると、いそいそとベッドに上がってきた。

 かすかな、既視感(デジャビュ)

 自然とマリエーテとふたりでミユリを挟み込むような形になる。

 幸いなことにベッドは大きく、三人で寝ても余裕があった。


「ミユリは、お母さん似だね」

「……」


 反応は、少し微妙なものだった。


「そ、その。顔は似ていると言われますけど、性格は違うみたいです」

「そう?」

「父さまから見て、母さまは、どんな方でしたか?」


 酔っ払って幼いマリエーテに頬ずりしたり、お別れの挨拶をねだったり、子猫のものまねをしてみたり。思い起こされる姿は、頬がほころびそうになるものばかりだ。


「とても素直で、可愛らしいひと、かな?」


 ミユリはぱちりと瞬きした。


「えー、違うよ」


 マリエーテが反論する。


「お姉ちゃんは、強くて、かっこいいの」

「ひとにはいろいろな一面があるものさ。特に大人には、立場ってものがあるからね」


 もっともらしいことを口にしながら、はたと気づく。

 この話は、ユイカにバレたらまずいのではないか。

 胸ぐらをつかまれて、「何を口走った、ダーリン?」などと詰問されるかもしれない。


「あ――このことは、お母さんには内緒だよ。ひょっとすると、ミユリには知られたくない一面かもしれないからね」


 秘密の共有は、結束を強めるもの。


「はい。ぜったいに言いません」


 真剣な表情で、ミユリは頷いた。

 個人的な好奇心から、ロウはミユリに冒険者養育学校(アカデミー)の様子を聞いた。

 生まれ故郷であるタイロスの街には、そういった教育施設はなかった。だからこそ、幼いマリエーテを学校に通わせるために、ロウは冒険者を引退してシェルパになったのだ。

 ぽつりぽつりと、ミユリは話し始めた。

 大地母神ギャラティカの神子(みこ)として、自分が特別扱いされること。教師たちにすら遠慮されていること。教団から派遣されている護衛役がいて、同級生たちが怖がっていること。


「私がちゃんとミュウを守るっていったのに、シズさんが決めちゃったの」


 マリエーテは憤慨したが、養育学校(アカデミー)を卒業した今、何も言えなくなってしまったそうだ。


「みんなが、僕に期待しているんです」

「それが、つらいのかい?」


 ミユリは首を振った。

 しばし沈黙し、ぽつりと呟く。


「期待を裏切ることが、怖い――」


 気弱そうだった表情が、どこか大人びたものに変わっている。この子にも、意外な一面があるようだ。

 育成学校(アカデミー)は、七年生まである。最初の三年間は基礎教育で、文字や計算、歴史などを勉強するらしい。

 そして四年生になると、“レベルアップの儀”が行われる。

 これは魔物の体内にある魔核を“収受”して、生徒たちのレベルをひとつ上げるというカリキュラムらしい。魔核は他の冒険者たちに依頼して集めてもらう。

 いわゆる、強制(フォース)レベリングと呼ばれる行為だ。


「だいじょうぶ。ミュウなら、きっと……」


 マリエーテが励まそうとするが、言葉が続かない。

 二属性(デュエル)の魔法ギフトを取得した自分が、大切な弟にとって重圧(プレッシャー)になっていることを自覚しているのだろう。


「姉さま、心配しないで」


 健気にも、ミユリは姉を励ました。


「マリン姉さまは、ギフトを取得する前も、取得した後も、ずっとひとりで頑張ってきました。父さまと母さまを助けるために、ずっと」

「……ミュウ」

「だから、僕も負けません。絶対によいギフトを手に入れて、姉さまといっしょに――母さまを助けてみせます!」


 賭けの成果をあてにして行動計画を立てることに意味はない。それどころか悪害ですらある。

 だがそれは、(しか)るべき時に自覚すればよいこと。

 今は真っ直ぐ上を向いて、伸びていく時期なのだろうと、ロウは思った。


「やっぱり君は、ユイカに似ているよ」

「え?」


 純真無垢(じゅんしんむく)で、可愛らしいところが。

 その後、マリエーテがユイカとの馴れ初めについて聞きたがった。四歳の時、目の前でユイカが兄に向かってプロポーズした場面(シーン)が、記憶の中に鮮烈に焼きついているらしい。

 年頃の女の子らしい要求(リクエスト)といえたが、息子(ミユリ)としてはどうだろうか。

 子供の頃の自分だったら、両親の恋愛事情など知りたくもなかったはずだが。


「……」


 やや長めの前髪から覗く黒曜石の瞳が、興味津々といった感じで、こちらに向けられている。

 育ちが違うと、性格や嗜好(しこう)まで変わってくるらしい。

 さて、どうしたものか。

 一度きりで終わらせるには、惜しい時間ではある。

 マリエーテにしても、四歳で離れてしまった故郷のことなど、ほとんど覚えていないだろう。

 少しずつ、語ってみようか。


「俺とマリンが生まれた町は、タイロスの町といって――」


 家族以外には語られることのない、限定的(ローカル)な物語。

 少しだけ脚色して、(とが)った部分を包み込み、謎かけを追加して、飽きさせないように。

 そして、切りのよいところで。


「今日は、ここまで」

「えー!」

「も、もっと聞きたいです」


 つられた子供たちは、そろって抗議の声を上げた。


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