(3)
冒険者ギルドの最上階。
ギルド長の執務室に案内されたロウとマリエーテは、上質な皮製のソファーに身を沈めた。
職員らしき女性がお茶を運んでくる。
「……これこそ、大地母神の奇跡だな」
「そのわりには、あまり驚いていないようですね」
ロウの呟きにヌークが頷く。
「ああ。君を助ける方法が見つかったと、マリエーテから聞いていたからな。いつか会える日がくることは、予想がついていた」
「俺の感覚ではそれほどではないのですが、お久しぶりです」
「私の感覚では、十一年ぶりだ」
ヌークは七年ほど前に冒険者を引退し、現在は冒険者ギルドのギルド長を務めているという。
「ミユリさまには、もうお会いしたのだな」
「ええ。まさか、目が覚めたら十歳の子供がいるとは思いませんでした」
「対外的には、黒姫さまは“聖母”というお立場になり、ミユリさまが“神の子”――神子ということになっている」
ユイカは大地母神の化身となり、処女受胎し、その子を地上に遣わした、という設定らしい。
かなり無理があるなと、ロウは思った。
教団の公式見解では、ロウという父親は存在しないそうで、そのことについて協力して欲しいとヌークは要望してきた。
つまり、何もしゃべるなということだ。
「黒姫さまを失った今、我々には象徴となるべきお方が必要なのだ」
「事情は、分からなくもないですが」
隣のマリエーテは不服そうである。
「ユイカが戻ってきたら、怒りますよ?」
「覚悟の上だ」
それからヌークは、タイロス迷宮での出来事をロウに聞いた。
「我々が気づいた時には、迷宮主はおらず、迷宮核もなく、石化した君だけがあの通路に残されていた。君が“宵闇の剣”を救ってくれたことは確かなようだが、ずっと気になっていてね」
ロウは迷宮核へと続く通路を発見した経緯と、タイロス竜との戦いの顛末を、ヌークに伝えた。
「最後は、世界葉呪による特殊なギフトと“収受”との、時間差勝負となりましたが、おそらく、ぎりぎりで間に合ったのだと思います」
「そうか――」
あの戦いを思い起こすように、ヌークは目を閉じていたが、やがて大きく息をついた。
「思い返せば、タイロス迷宮での三度の潜行は、君に助けられてばかりだったな。“宵闇の剣”のメンバーを代表して、感謝を伝えたい。今後、我々の力が必要になったら遠慮なく言ってくれ。できる限りの協力はするつもりだ。マジカン殿もベリィも、同じ気持ちだと思う」
遠慮などするつもりのないロウは、「ありがとうございます」とだけ口にした。
ベリィは四年前、妊娠を機に冒険者を引退したのだという。
同じく引退したマジカンは、冒険者育成学校の特別顧問として招かれており、若き冒険者たちの育成に力を注いでいるとのこと。
「マジカンさんは、ちょっと意外ですね」
「ベリィの話では、初孫の可愛さに目覚めたらしいぞ」
ちなみに、マリエーテの魔法技術はマジカン直伝である。その話を聞いてロウは納得した。年齢のわりに魔法陣の描写や制御がこなれていたし、奇妙なかけ声も同じだったからだ。
お茶をひと口飲んでから、ロウは本題に入ることにした。
「今日は、ユイカのことを知りたくて、ここに来ました」
「……」
ヌークは表情を厳しくして「どこまで聞いている?」と、逆に問いかけてきた。
「今から八年前、ユイカが王都の無限迷宮で行方不明になったこと。その原因となったのが、上級悪魔であること。そして――」
ユイカがまだ、生きている可能性があること。
「概要はマリンから聞きましたが、当事者であるヌークさんに直接確認したいと思い、ここに来ました」
「いいだろう」
ヌークの話は、タイロス迷宮が踏破されたところから始まった。
最下層で意識を取り戻した“宵闇の剣”のメンバーは、半狂乱になったユイカをなだめ、説得し、石化したロウを残して地上に帰還した。
その後、“宵闇の剣”に対する陰謀を巡らせていたタイロス町長のバラモヌ、冒険者ギルド長のジョウ、もとシェルパギルド長のギマの三者に対して、ロウの引揚作業に協力するよう依頼したのである。
「……依頼ではなく、脅迫でしょう」
「依頼だ。対外的にはな」
ひと月後、ロウの引揚作業は完了した。
法的にはロウが死亡扱いとなることが決定され、ロウの遺言が、案内人ギルド長のグンジよりユイカのもとに届けられることになる。
「ご親戚の女性――名前は忘れたが、彼女はずいぶんと憤慨していたぞ。最終的には金でかたがついたがな」
「ご迷惑をおかけしました」
「いや、マリエーテがいたからこそ、黒姫さまは再び立ち上がることができたのだ」
ロウの唯一の親戚であるムラウ一家の消息については不明である。毎年マリエーテが手紙を出しているが、一度も返事が返ってこないらしい。
「すべての手続きを終えると、我々は石化した君を連れて、王都へ帰還することになった。黒姫さまの体調に異変が生じたのは、このころだ」
王都に帰ってからも体調は回復せず、“宵闇の剣”は無限迷宮に潜行することもできなかった。
そして、かかりつけの医師の診断により、ユイカの妊娠が発覚したのである。
「私やベリィは愕然としたが、黒姫さまは完全に浮かれていた。狂喜乱舞とは、あのような状態のことを指すのだろうな」
「うん。あんまり覚えてないけれど、さすがはダーリンだって、毎日言ってたよ」
マリエーテも嬉しそうにしている。
記憶の中の台詞が省略されているのではないかと、ロウは推測した。
ユイカのことだから、もっと具体的に――たとえば「たった一度きりの機会をものにするとは、さすがはダーリンだ!」くらいのことは言ってのけたはずだ。
「身体の通常状態が書き換えられていた君には、“闇時雨”も“浄化”も効かなかった。呪いを受ける覚悟で“解呪”の叩棒を試してみたが、こちらも効果はなかった」
ロウを救う手段は、迷宮にしかない――当時のユイカはそう考えていたらしい。
具体的には、魔鍛冶師の手による魔法製品である。
「迷宮に潜行できないことに対する葛藤はあったようだが、黒姫さまは出産と育児を優先された」
およそ一年半、“宵闇の剣”は休業することになる。
その間、王都にある無限迷宮の最深到達階層は、地下七十八階層から八十階層に更新された。新たなる冒険者パーティが台頭し、冒険者番付表における勇者の称号を目指して、互いに激しく競い争っていた。
「そのころだ。奇妙な魔物の噂が広まったのは」
地下八十階層を縄張りとする階層主――種族名は上級悪魔だという。
冒険者たちの間では、“収集家”と呼ばれていた。
「魔物にふたつ名がつくとは、珍しいですね」
ロウの感想に、ヌークは首を振る。
「冒険者がつけたのではない。魔物自身がそう名乗ったのだ。やつは下級悪魔を支配するパッシブギフトを持っている。そして、配下の下級悪魔を戦わせて、気に入った冒険者のみに狙いをつけ、襲いかかる」
番付上位の冒険者たちが次々と犠牲になった。幸いにもパーティが全滅しなかったのは、上級悪魔に見逃されたからだという。
「つまり、冒険者を倒す以外の意思があったと?」
「そうだ」
ロウが思い描いたのは、タイロス迷宮で出会った奇妙な魔物――髑髏仮面のことだった。
人間に興味があると、あの魔物は言った。同じような魔物が他の迷宮にいてもおかしくはない。
「黒姫さまは、上級悪魔を“幻操針”で支配して、ロウをもとに戻す方法を聞きだそうと計画された」
「……」
ユイカの復帰後、“宵闇の剣”は地下八十階層に挑み、三回目の潜行で目標階層に到達した。
そして、階層主である上級悪魔と対峙することになる。
ヌークは魔物の外見的特徴を語った。
「頭部には山羊のような角が二本ある。凹凸のない顔立ちで、肌の色は真紅――血の色だ。背中に蝙蝠のような羽が生えていて、細長い尻尾がある。装備品は錫杖と、暗黒骸布らしい漆黒の袖無外套を身につけていた」
上級悪魔が使役する下級悪魔の一団と、ユイカが使役する魔物の一団が激突した。
まるで戦のようだったと、ヌークは回顧した。
「やつは、黒姫さまに目をつけた」
戦いは総力戦となり、“宵闇の剣”は、上級悪魔を倒すあと一歩のところまで追いつめたのだという。
「やつは広間の天井近くまで浮き上がると、魔法ギフトを行使した」
当然のことながら、黙って見ているわけにはいかない。
マジカン必殺の光属性魔法、“破魔砲光弾”が炸裂したが、同時に上級悪魔の魔法も発動した。
魔法陣によって囲まれたのは、ユイカである。
「翼を切り裂かれ、角を折られ、半死半生となったやつは、黒姫さまに触れると、奇妙なステップを踏んで消えうせた。黒姫さまとともにだ。おそらく“転移”の長靴を履いていたのだろう」
階層主を支配する計画は、失敗した。
パーティのリーダーを失った“宵闇の剣”は、解散の憂き目に合ったが、ベリィが代理のリーダーを引き受けることになった。
ベリィは新たなるメンバーを募り、今度はユイカを救うため――あるいは復讐を果たすために、無限迷宮に潜行し続けたのである。
「弱体化したのは“宵闇の剣”だけではなかった。“収集家”により、有力な冒険者が次々と連れ去られたからだ」
遠征クラスタを組んでも地下八十階層に到達することができない。パーティとしての実力は徐々に低下していき……現在では、勇者パーティであっても、地下七十階層がせいぜいだという。
「黒姫さまが連れ去られてから一年後、私は冒険者を引退した。年齢的なこともあったが、姫さまの生還は、もはや望み得ないと考えたからだ」
一方、“黄金四肢”のふたつ名を与えられたベリィは孤軍奮闘し、“宵闇の剣”を再び東の勇者にまで押し上げることに成功した。
しかしそれでも、地下八十階層には届かなかった。
結局、妊娠を期に、ベリィもまた冒険者を引退することになる。
ロウは問いかけた。
「ユイカが受けた魔法の種類は?」
「遠目には黒姫さまの身体が硬直したように見えたので、麻痺か、あるいはそれに類する状態変化の魔法だと考えていたのだが」
ヌークはマリエーテに視線を送った。
「三年前、マリエーテの“逆差時計”を見た時、私は魔法陣の類似性に気づいた。あれは――上級悪魔の魔法は、時属性だったと思う」
「根拠はそれだけですか?」
魔法陣の文様はさまざまだが、属性によって類似性がある。
たとえばユイカの闇属性ならば、歪んだ曲線が複雑に絡み合っているし、ベリィが得意とする風属性であれば、直線と弧の組み合わせが多い。
しかし、根拠とするにはやや弱いとロウは思った。
「去り際に、やつが言ったのだ」
重々しい口調で、ヌークは魔物の言葉を伝えた。
『我輩は、“収集家”である。ゆえに、この人間を我輩の収集物とする。喜べ! 我輩のもとで、この人間は永遠に輝き続けるのだ。命短きものよ。感謝するがよい。寿命などという愚かな運命から、我輩が解き放ってくれたのだからな!』
ずいぶん自己主張の激しい魔物だと、ロウは思った。
いや、タイロス迷宮にいた奇妙な魔鍛冶師、通称髑髏仮面も、似たような感じだったか。
「被害にあった他の冒険者たちの証言も、おおむね一致していた。“収集家”の魔法を受けた者は、身体が硬直して動かなくなった。触れても話しかけても、反応しなかった。まるで、時が止まってしまったかのようだったと」
「つまり――」
ロウは要約した。
“収集家”と名乗った上級悪魔は、時属性の魔法を使って、ユイカの時間を、止めた。
「私は、そう考えている」
ユイカが“収集家”に連れ去られてから、すでに八年が経過している。
常識的には生存も生還も望み得ないだろう。
だが、タイロス迷宮でロウが石化し十一年の時を経て復活したように、もしかすると、ユイカを取り戻すことができるかもしれない。
「話は分かりました」
いつの間にかお茶も冷めてしまったようだ。入れ直すように指示を出そうとしたヌークを、ロウは止めた。
「そろそろ、おいとましますので」
「そうか」
ロウは少し考えるそぶりを見せてから、ひとつ決心したように頷き、隣のマリエーテに語りかけた。
「マリン。すべてをひとりで抱え込む必要はないんだよ。君はもう、俺を助けてくれた」
「……」
「だから、ユイカは――」
きっぱりと言い切る。
「俺が、助けるよ」
マリエーテの顔が歪み、その眼に大粒の涙が溜まっていく。
「お兄、ちゃん……」
おそらく、ユイカが連れ去られてからずっと――マリエーテは、重すぎる使命に縛られてきたのだ。
兄と義姉を、助ける。
でなければ、あれほど柔和で優しかったマリエーテが、冒険者たちに向かって辛らつな言葉を投げかけられるはずがない。
『私、寄り道をしている暇はないの』
大きな決意は、確かにひとを成長させる。
だが、大きすぎる決意を持てば、その分負担も大きくなる。
誰かが支えてやらなければ、心が折れたり、歪んだりすることもあるだろう。
声を殺して泣き出した妹の肩を、ロウは優しく抱いた。
「しかしロウよ。いったいどうしようというのだ?」
自身がユイカの救出を諦めてしまったことに対し、後ろめたさを感じたのか、苦しげな表情でヌークが問いかけた。
「ひとつ、お願いしたいことがあります」
ロウの要求は、王都の案内人ギルドへの推薦状を書いてほしいというものだった。
その意図を、ヌークは計りかねたようだ。
「実はここに来る前に、大地母神の神殿に立ち寄ってきたんです」
もちろん、レベルアップのためである。
タイロス迷宮の迷宮核の経験値をすべて吸収していたロウは、一気に五レベルも上がり、冒険者レベルは十二となっていた。
「深階層でも十分対応できるレベルです」
「それはそうかもしれないが、重戦士ひとりでは戦えまい」
「仲間を集めます。それと、遠征ができる複数のパーティが必要ですね」
「冒険者ギルドに登録している冒険者パーティの実力については、おおよそ把握しているが、今の彼らの力では地下八十階層にたどりつくことはできんぞ」
「冒険者パーティの力は、パーティ戦略にあり、パーティ戦略は、メンバーの組み合わせによって変わります」
だから、個々の実力と最良の組み合わせを見極める。
「そのためには、様々な冒険者パーティと潜行する必要があるでしょう。それには、シェルパになるのが一番ですから」
「なるほどな」
将来有望そうな若手の冒険者。
現在のパーティ内では力を出し切れていない冒険者。
組み合わせによっては化ける可能性のある冒険者。
彼らをヌークに紹介してもらい、ロウがシェルパとしてサポートする。
もと勇者パーティのメンバーであり、冒険者ギルド長でもあるヌークのお墨つきともなれば、同行を断わられる可能性は少ないだろう。
そして、新たなるパーティを再構築する。
「冒険者たちは、基本的に我が強いものです。最初は強制依頼という形で、無理やりパーティを組ませる必要があるかもしれません。しかし一度はまってしまえば――」
「もとのパーティに戻ることは、できんか」
頭の中でいくつか検討するそぶりを見せてから、ヌークは了承した。
「案内人ギルドへの推薦状については、すぐに用意しよう。だが、いくらタイロス迷宮での経験があるとはいえ、ここで上級シェルパになるには、時間がかかるのではないか?」
「一年や二年でユイカを取り戻せるとは考えていません」
全盛期の“宵闇の剣”と同等以上の力を持つ遠征パーティを結成できなければ、ユイカを助けるという目的を達成することはできない。
「じっくりと、腰を据えてやるつもりです」
「ああ、それがいいだろう」
「マリンにも手伝ってもらうよ」
マリエーテは涙を拭うと、子供の頃に戻ったかのような笑顔で頷いた。
「うん。お手伝い、する!」