(2)
霊峰と呼ばれる山の麓、なだらかな傾斜地に、王都はある。
周囲を強固な城壁で囲まれており、その内部は太陽城を頂点とした三つの区画――空区、丘区、森区に分かれている。
太陽城に最も近い空区には、いわゆる上流階級に属する人々が住んでいる区画だ。街の景観は美しく、少し標高が高い分、坂道は多いが景色もよい。
逆にもっとも低い位置にある森区には、下流階級の人々が住んでいる。街並みはごみごみしていて治安もわるい。
それでも賑やかさという点においてはタイロスの町などとは比べものにならないようで、ロウはお上りさんよろしく、きょろきょろともの珍しそうに周囲を見渡していた。
「お兄ちゃん。ここが、王都の冒険者ギルド」
「へぇ、立派な建物だなぁ」
マリエーテが指し示した先には、巨大な黒色の建物がそびえていた。
敷地や建物の大きさは、タイロスの町の冒険者ギルドの十倍以上はあるだろうか。
アーチ状の正門をくぐると、そこは吹き抜けのロビーで、正面奥にカウンターがあった。窓口職員は五人もいる。
壁際にはソファーや掲示板などがあり、数十人もの冒険者たちが、相談したり談笑したりしているようだ。
マリエーテは真っ直ぐカウンターに向かい、とある人物への面会を申し出た。
その様子を見守りながら、ロウは感慨深げに思う。
ひと見知りの激しかったマリエーテが自分の意思できちんと用件を伝えられるようになったとは、嬉しい限りだ。
さすがに受付嬢も洗練されている。十五歳の新人冒険者に対しても礼儀正しく応対してくれた。
「かしこまりました。ただいま呼んでまいりますので、少々お待ちください」
壁際のソファーに座って、相手を待つことにした。
マリエーテは、ひと月前に冒険者育成学校――冒険者を育成するための専門学校である――を卒業したばかりで、冒険者ギルドにも登録しているという。
「しかしまさか、マリンが冒険者になるとはなぁ」
学校には通わせたいと思っていたのだが、甚だ計算違いである。
「うん。ぜんぜんむいてないと思ったんだけど。どうしても、お兄ちゃんとお姉ちゃんを助けたくて」
「ひょっとして、ミユリも同じ目的で冒険者を目指してるのかい?」
マリエーテは肯定した。
「ミュウは育成学校の四年生で、ものすごく注目されてるの」
母親であるユイカは、もと東の勇者ということもあるが、彼女はこの国で広く信仰されている大地母神の巫女という立場でもあった。
大地母神教の目的は、すべての迷宮の踏破であり、冒険者ギルドや育成学校とも密接な関係にあるという。
「あの子、ひと見知りするから、ちょっと心配で……」
またしても感慨深げに頷くロウであった。
しばらく談笑していると、いつの間にか周囲が静まり返っていることに気づいた。
冒険者たちがこちらのほうを観察したり、指を差したりしながら、ひそひそと囁き合っているようだ。
その中のひとり、二十歳くらいの若い男が声をかけてきた。
「やあ、“時間の魔女”」
隣を見れば、マリエーテの表情が消えている。
「うちのパーティへの加入の件、考えてくれたかい?」
「申し訳ありませんが、そのお話は、お断りしたはずです」
その声は冷たく、抑揚がない。
「だが君は、まだ単独だというじゃないか。いくら魔導師とはいえ、戦士職のサポートがなければ、満足な活躍はできない。その点、俺のパーティ“快楽祭り”は、軽戦士が五人もいるし、攻撃系アクティブギフトも豊富だ。絶対に損は――」
会話の途中で、別の男が割り込んできた。
こちらは十代の後半くらいか。少年のような顔立ちである。
「おい、“快楽”。抜け駆けするんじゃねぇ。その魔女っ娘は、俺が先に目をつけたんだ。この“魔銀金槌”さまがよぉ!」
さらにもうひとり、二十代前半くらいの女がやってきた。
「はん、笑わせてくれるわね。あんたらみたいなむさ苦しい男たちに、こんな可愛い子がなびくはずないでしょ。ここは、女性冒険者だけで構成された、私たち“白百合の手”が……」
「――お前らのほうが危ねぇ!」
どうやらマリエーテの勧誘のようだ。
魔術師でさえ引き手数多だというのに、魔導師ともなれば注目されるのも道理だろう。
どこか他人事のように感心していると、女冒険者がロウに目をつけた。
「何よこいつ、へらへら笑って」
他のふたりも睨みつけてくる。
「おい君、誰に断ってその子の隣に座っているんだ?」
「まさか、お前も勧誘してんのか? 順番を守れよな」
「いえ、そうではありません。今日はマリンに案内してもらって……」
知り合いに会いに来ただけである。
「マリン、だと?」
「まさかあなた、この娘の……」
「ざけんな! 許さねぇぞ!」
隣に座っていたマリエーテが、無言のまま腰のベルトに差していた短刀を取り出し、大理石の床に投げ捨てた。
短刀を中心として小さな魔法陣が浮かび、弾ける。
耳をつんざくような爆発音とともに、大理石の床が砕け散った。
もし範囲内に誰かいたら、むごたらしいことになっていただろう。
ロビー内にいる人々の、すべての視線が集中する。
マリエーテを勧誘にきた三人の冒険者たちも度肝を抜かれたようで、腰を抜かしたように座り込んでしまった。
「このひとに何かしたら、絶対に許しません」
怒りの炎を氷の結晶で閉じ込めたかのような声。
まったくの無表情だが、全身から寒気のするような神気が漏れ出ている。
「私たちには、大切な用事があります。今日のところはお引取りください」
三人の冒険者たちは怯えるように逃げ出した。
「……あの、マリンさん?」
「ごめんね、お兄ちゃん」
ころりと表情を変えて、マリエーテが申し訳なさそうに謝ってくる。
「いや。だいじょうぶなのか? あんなことして」
「私、寄り道してる暇はないの」
大切な姉であるユイカを助けるために、どんな冒険者でも、どんな品物でも利用するつもりだと、マリエーテは言った。そして、目的達成のために必要のない者たちと関わっている時間はないのだと。
どこかで聞いたような話だと思いながら、ロウは嘆息する。
「それよりもこれ、どうするんだ?」
高価そうな大理石の床が砕け、大穴が開いていた。
マリエーテはにこりと笑って、腰のベルトから棒を取り出した。
複雑な魔法陣を描いて、手首をひるがえす。
「“逆差時計”――ほいっ」
すると魔法陣が分裂し、大穴が開いた大理石を囲むように、球状になった。
魔法陣が弾けると、驚いたことに大理石の床はもとの状態に戻っていた。
その上に、短刀が転がっている。
マリエーテはその短刀を拾うと、再びロウの隣に戻ってきた。
「この短刀には、“地雷砲”が“封陣”されているの。一度使うと壊れちゃうんだけど、もとに戻せるから」
「遺物か……」
装備品に魔法ギフトを宿らせることを“封陣”というが、現在、このギフトを持つ冒険者はいない。
百年ほど前の伝説の賢者が所持していたといわれており、彼が生み出し、現在もなお残されている品物は、遺物と呼ばれていた。
超がつくほど希少な魔法製品である。
「相変わらず騒がしいな、マリエーテ」
いつの間にか傍にやってきたのは、浅黒い顔をした中年の男だった。
髪と眉毛がなく、気難しい顔をしている。ロウが記憶しているよりも、いくぶんしわが増えたようだ。
「ヌークおじさま。ごぶさたしています」
マリエーテはぺこりとお辞儀した。




