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「……ふう」


 と、ロウは大きく息を吐いた。

 全身の筋肉が、強張っている。

 左手には、巨大剣グレートソードの感覚。

 右手には迷宮核の感覚……はない。

 

「うん?」


 目の前に、薄茶色の髪をした少女がいた。

 年齢は――十代の半ばくらいだろうか。

 どこかあどけなさが残る可愛らしい顔つきで、髪には少し癖がある。

 細身の体格だが、年齢のわりにかなり胸が大きい。

 少女は上品そうな部屋着を身につけていたが、その手にはワンドが握られていた。

 さらによく観察すると、その背中に隠れるようにして、十歳くらいの子供がいた。 

 こちらは艶やかな黒髪を短く切りそろえている。


「お兄、ちゃん……」


 薄茶色の髪をした少女が、ぽつりと呟いた。

 その声。

 おどおどしたような、それでいて少し鼻にかかったような、無条件で甘えさせたくなるような――

 そもそも、ここはどこだろうかと、ロウは周囲の様子を見渡した。

 自分は迷宮の最下層にいたはずだが、ここはどこかの屋敷の部屋の中のようである。調度品は豪華だ。暖炉まである。

 壁はレンガ造りで、机やクローゼットらしき家具は、すべて黒檀。家主の趣味なのか、落ち着いた色調で統一されている。

 どうやら迷宮から助けられたらしいことは間違いなかった。

 

「お兄ちゃん!」


 大きな瞳から、涙が溢れる。

 たまりかねたように、少女が抱きついてきた。

 ここでひとつ、確認しなくてはならないことがあると、ロウは自問した。

 自分を「お兄ちゃん」と呼ぶ存在は、ひとりしかいない。

 マリエーテだ。

 声も似ている。面影もある。

 髪の色と瞳の色も同じ。

 

「というか、マリンか?」


 胸の中にいる少女は、びくんと身体を震わせた。

 下から見上げるようなその姿には、既視感デジャビュがあった。

 ずいぶんとまた、可愛らしく成長したものだ。

 少女はこくりと頷く。


「……あ~」

 

 自分はいったい、どれほどの時間、気を失っていたのだろうか。

 後頭部をかきながら、質問してみる。

 

「えっと、マリン? いくつになった?」

「十五歳です」


 ということは、十一年が経過したということか。

 自分はとうに三十路を過ぎたことになる。

 不安にかられて手のひらや甲を観察してみたが、特に年齢を感じるようなことはなかった。

 ――と、それよりもまず。


「ただいま、マリン」


 頭を撫でてやると、再び少女の目から涙が溢れ、堪えきれない嗚咽を漏らしながら、ぎゅっと抱きついてきた。

 今が十一年後だとしても、相変わらず泣き虫のようだ。

 マリエーテが突撃してきたことで、後ろにいた子供が所在なさげに立ち尽くすことになった。

 短く切りそろえられた黒髪に、黒い瞳。肌は雪石のように白いが、頬が薄く色づいている。

 顔の形はきれいな卵型。切れ長の目は睫が長く、鼻筋もすっと通っていて、唇はふっくらとしている。それぞれのパーツも、全体のバランスも含めて、信じられないくらい造形が整っており、将来が楽しみな女の子だと思った。

 マリエーテが泣き止むのを待ってから、ロウは聞いてみることにした。


「この子は?」

「……!」


 子供は、あからさまに動揺した。

 あ、とかう、とか不明瞭な声を上げながらも、こちらから視線を外せないようだ。

 今さらながらに、ロウは気づいた。

 今の自分は髑髏の仮面と黒いオーラを漂わせている漆黒の長外套ロングコートを身につけている。

 ベリィ曰く、どこの死神よ、とのことらしい。

 こんな格好では、怖がらせてしまうだけだろう。

 ロウは仮面を外して、安心させるようににこりと微笑んだ。

 子供はびくりと身体を震わせて、こちらをじっと見つめた。


「……あぅ」


 頬を真っ赤に染めて、両手を口元に当てている。

 見ているだけで可愛らしいが、やはり、そうとう緊張しているようだ。

 黒髪黒目で、これだけの美少女というと、まず最初に思い浮かぶのが、ユイカである。彼女の妹がいたとするならば、こういう感じではなかろうか。

 いや、違う。

 ユイカには妹どころか、両親や親戚すらいなかったはずだ。

 それに、マリエーテが本当にマリエーテで、彼女の言葉が正しいのだとするならば、ここは自分が知っている時世ではない。

 あれから十一年の年月が過ぎているとするならば、この子は――


「ひょっとすると」


 奇跡的に……。


「俺とユイカの、子供かな?」

「すごい、お兄ちゃん!」


 がばりとマリエーテが顔を上げて、大きな瞳をきらきらさせた。


「分かるの?」

「当たり前だよ」


 内心の動揺を、笑顔で覆い隠す。状況からの推理と、間違っていたとしても謝ればよいという開き直りの結果であった。

 黒髪黒目の子供もまた、ぱっと表情を変えた。

 すごく嬉しいのだけれど、はずかしい、そんな心情が手に取るように分かった。


「ほら、ミュー。きちんと自己紹介しなさい」


 ロウから離れたマリエーテが、自己紹介を促した。

 知らないお客さまがきたら、両手を前にそろえて、頭を下げて、きちんと自己紹介をしなくてはならない。

 ロウがマリエーテに教え込んだ礼儀作法は、そのまま受け継がれているようだ。

 

「は、はじめまして、父さま。ミユリと申します。十歳です」

 

 鈴を転がしたような、可憐な声だった。

 ロウも立ち上がり、お辞儀をした。


「はじめまして、ロウです。君の、お父さんだよ」


 まったくもって自覚はなかったが、子供を失望させるわけにはいかない。

 ミユリと名乗った子供は、一歩一歩近づいてくると、上目遣いにこちらを見つめてきた。

 この仕草には、見覚えがあった。

 何かを言いたいときの、あるいは察するべしというときの、ユイカの仕草だ。

 

 ――これか?


 頭をかるく撫でてみる。

 ミユリは頬を赤らめながら、にこりと笑う。

 推察するに、この子は父親の顔も知らずに、ずっと寂しい思いをしてきたのだろう。そして今日、はじめて父親と対面することになり、不安だったに違いない。精神の負担を払拭するためにも、ここはこちらの気持ちをしっかりと伝えるべきだと思った。

 ロウは腰を屈めると、その華奢な肩に手を置いて、じっと見つめた。

 

「ミユリ。君のような可愛い娘ができて、嬉しいよ」

「……」


 笑顔が、微妙な表情に変化する。


「もう、お兄ちゃん。ミューは男の子だよ?」

「……へ?」


 娘ではなく、息子?

 確かに、男の子用の服を着ているが……。

 ミユリは恥かしそうに頬を赤らめ、もじもじした。

 あらためて見直してみれば――やはり、女の子にしか見えない。


「そうか。ごめんな、ミユリ」

「い、いえ……。僕、よく間違えられますから」


 とりあえず自己紹介が終わったところで、現状の確認を行うことにした。


「マリン。再会したばかりでわるいけれど、簡単に状況を説明してほしい。君の感覚からいうと十一年前に、俺はタイロス迷宮の最下層にいたはずだ。ここは、どこなんだ?」

「王都だよ」


 マリエーテは窓のカーテンを引いた。

 そこには思わず圧倒されるようなレンガ造りの街並みが、延々と続いていた。遥か遠方には巨大な壁が霞んで見える。城壁だろうか。


「そして、ここはユイカお姉ちゃんの家。今は、私とミューの家でもあるの」


 マリエーテの表情が少し憂いを帯びたように感じたのは、気のせいだろうか。


「マリンはユイカに引き取られて、王都に来た。そういうことだな?」

「……うん」


 では、グンジがあの遺言を、ユイカに伝えてくれたということだろうか。

 ロウは心から安堵した。どうやら自分は、迷宮核を消滅させることに成功したらしい。“宵闇の剣”は地上に帰還して、その後ユイカはマリエーテを引き取ってくれたのだ。

 となれば、次の疑問である。


「俺は、どうなった?」


 いまいち不明瞭な問いかけに、マリエーテが答えた。

 タイロス迷宮の最下層で、ロウは石化した状態で発見されたという。それは状態変化ではなく、身体の通常状態デフォルトの書き換えだった。

 ユイカの指示で、ロウの身体は引揚作業サルベージされ、王都へと運ばれたらしい。

 

「身体の通常状態デフォルトの書き換えは、“状態回復”の魔法でも直せないはずだけど」

「うん。私の魔法で元に戻したの」


 ロウを救う手段を探すために、マリエーテは冒険者になったという。養成学校アカデミーを卒業したばかりだが、冒険者レベルはすでに四。そして、二種類の魔法ギフトをもつ魔導師でもあった。


「マリン姉さまは、すごいんです。ちまたでは、“時間ときの魔女”って呼ばれてるんですよ。養成学校アカデミーでも、すでに伝説になっていて……」

「も、もう。やめてよ、ミュー」


 “時間の魔女”――時属性の魔法か。

 それは、古い書物の中でのみその存在を知られている魔法だった。


「石化した俺の時間を、巻き戻したのか?」

「……な、なんで分かったの、お兄ちゃん?」


 マリエーテの魔法ギフトは“逆さ時計”というらしい。球形の魔方陣を形成すると、その内部にあるものの時間を巻き戻すことができる。

 ただし、対象は石や土、金属といった無機物のみであり、生物には効果がない。

 つまり、たとえば死亡した人間を生き返らせることは、できないというわけだ。


「私がこの魔法を習得したのは、三年前なの。それから毎日、ずっと――お兄ちゃんに“逆さ時計”をかけ続けたわ。マナポーションも使って、毎日、ずっと」


 一度に巻き戻せる時間は、約三日間。

 そして今日、ようやく十一年前のあの日に届いたのだという。


「そうか。俺は――マリンに助けられたのか」


 守るべき対象だった妹の成長に、ロウはじんわりとした喜びを噛み締めていた。


「ありがとう、マリン」


 もう一度マリンと、そしてミユリも抱きついてくる。

 ふたりの頭を撫でながら、ロウは次の疑問を口にした。


「それで、ユイカは今、どこにいる?」

「……」


 マリエーテがびくんと硬直した。

 俯き加減のまま身体を放し、両手を胸の前に当てる。


「お願い、お兄ちゃん」


 顔を上げると、涙に濡れた目で懇願してきた。


「ユイカお姉ちゃんを、助けて!」


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