(15)
再び意識を取り戻したとき、ユイカは自分がどこにいて、どういう状況にいるのか、一瞬分からなかった。
ようやく記憶を組み立てて、何とか立ち上がる。
疑問はさらに増すばかりだった。
「どうして、生きている?」
そして、タイロス竜はどこへ行った?
周囲を見渡すが、世界葉呪らしき影はない。
ベリィ、ヌーク、マジカンが地面に倒れていた。ベリィとヌークは骨折しているようだが、命にかかわる怪我ではないようだ。
「……ダーリン?」
――は、いない。
広間の地面には、いくつもの大穴が開いていた。おそらく世界葉呪の本体が出現した場所だろう。
また、壁面を埋め尽くしていたはずの蔦が、すべて色彩を失い、枯れ果てていた。
その壁が穴だらけなのは、種の流れ弾のせいだろう。
通路へと続く出入り口が見えている。
それも、ふたつ。
ひとつは自分たちがこの広場に入ってきた通路だ。
そしてもうひとつは……。
「ダーリン!」
大声で、ロウを呼んでみるが、返事はない。
今さらながらにユイカは気づいた。
肌が粟立つほどに感じていた濃密な魔素が、すっかり消え去っていることに。
もう一度仲間たちの状態を確認して、とりあえずの安全を確認してから、ユイカは新しく出現した通路へと向かった。
奥行きはほどんどないようだ。
三十歩も歩けば、突き当たりにたどりつく。
その奥に、見覚えのある巨大剣があった。
刀身が、地面に突き刺さっている。
「ダーリン?」
もう一度呼びかけてから、ユイカは巨大剣の方に歩み寄った。
そこに、ロウはいた。
剣の柄に手をかけ、蹲るように片膝をついていた。
ぴくりとも動かない。
ロウの肩に触ってみると、硬質な感触が伝わってきた。
長外套から見えている手や首が、おかしい。
髑髏の仮面はやや俯き加減。
耳やおさげの髪がおかしい。
色が灰褐色で、質感がひとの肌や髪ではなかった。
「石……化?」
ぞっとするような悪寒が、背中に走った。
完全に石化している。
「ま、待っていろ、ダーリン。今、治すから」
震える手で魔方陣を描く。
「“闇雫”」
非常に珍しいことに、ユイカの魔法は崩陣した。
動揺のあまり正確な魔方陣を描けなかったのである。
もどかしさを堪えつつ、もう一度挑戦する。
「“闇雫”」
今度は発動した。
歪な形の魔方陣が弾け、確かに魔法の力がロウの身体に作用したはずだ。
しかし、変化は起こらない。
先ほどとは比較にならないほどの悪寒が、ユイカの全身を駆け巡った。
何かが違う。手ごたえがない。
それに、石化したロウには……表現するのは難しいが、不自然さというものがまるでなかった。
これではまるで、熟練の彫刻家による、石像――
「ばかなっ!」
ユイカは戦慄を覚えた。
「そんなはずはない。私の“闇雫”は、上級の回復魔法だ。どんな状態異常でも、一瞬で治すことができる。毒、麻痺、そして――石化。実績だってある。治せないもはずがない。そんなこと、あるはずがないんだ」
ぶつぶつと誰に説明するわけでもなく呟き、ユイカはもう一度“闇雫”を行使した。
やはり、変化はない。
これはただの石像で、本物のダーリンは別のところにいるのではないか。
そんな馬鹿げた妄想で、現実から目を逸らそうとした。
「“闇雫”――“闇雫”!」
何故、自分は助かったのだろう。
そして、タイロス竜はどこにいったのだろう。
空回りする頭の片隅に、別の疑問が沸き起こってきた。
しかし今は、そんなことはどうでもいい。
ダーリンを、早く助けなくてはならない。
「“闇雫”……“闇雫”……」
次に目を覚ましたとき、ユイカのそばにはベリィとヌークがいた。
頭が重い。魔力が底をつき、精神力がかなり消耗しているようだ。
「よかったぁ。姫、気がついた」
右腕を押さえながら、ベリィが涙を流している。
「みんな……無事か?」
「はい。私は肋骨、ベリィは右腕をやられましたが、歩く分には支障はありません。マジカン殿は魔力枯渇で意識を失っていたようです。黒姫さまと同じように」
ヌークが生真面目な顔で答え、そこで初めてユイカは気づいた。
自分が“闇雫”の使いすぎで、気を失ったことを。
「そ、そうだ。ダーリンは?」
上体を起し、周囲を確認する。
通路の奥にはマジカンがいて、石化したロウに手を当てていた。
「マジカン、何をしている! 早く、ダーリンを治療しないと」
「治療は、無意味ぞ……」
マジカンはため息をつき、口元を歪めた。
「何度も“鑑定”したが、これは、ただの石像じゃ」
「どういうことだ? ならば、ダーリンはどこにいる?」
もごもごと口の中で何やら呟いて、再びマジカンはため息をついた。
「“暗黒骸布”の外套と、“剛力”の仮面。この装備品は間違いなくシェルパの小僧のものじゃ。だとするならば、この石像は、小僧ということになる」
わけが分からず沈黙していると、マジカンは真っ直ぐにユイカを見つめた。
「通常状態を、書き換えられたということじゃろうな」
“鑑定”の上位交換であるギフト“神眼”を持っていた過去の冒険者の著書には、人間に関する様々な隠しパラメータが紹介されていた。
その中のひとつに、精神と身体の通常状態を規定する項目があるという。
たとえば、正気値を超えるほどの精神的ダメージを受けると、それは傷となり、精神の通常状態が書き換えられることが知られている。
そうなるともう、マインドポーションなどでは回復しない。
異常な状態が、正常と判断されてしまうからだ。
そして、身体に関する通常状態も同様であった。
毒や麻痺といった一時的な状態異常であれば、通常状態が書き換わることはない。しかし、たとえば命を失った瞬間、通常状態が“死”の状態に書き換えられて、二度と“生”の状態に戻ることはない。
あくまでも一方通行の変化ということだ。
「それにしても、身体の通常状態を“石”に書き換えるギフトなど、聞いたこともないぞい。あの蛇鳥王とて、無理じゃろう」
これはもう、神か悪魔の所業だとマジカンは言った。
「それでは、ダーリンはどうなる?」
「……黒姫よ」
マジカンは恐れることなく答えた。
「分かっているじゃろう? “これ”はもう、お前さんの婚約者ではない。ただの――そう。本物と寸分違わぬ、ただの石像じゃ」
「……」
ユイカは、その現実を受け入れなかった。
何度も何度も“闇雫”を行使し、ヌークとベリィに無理やり押さえつけられると、まるで獣のように絶叫したのである。




