(9)
――魔鍛冶士。
魔物図鑑によると、適正レベル十三以上の階層を持つ迷宮にのみ、その存在が確認されている。
魔物の正体は、迷宮内で産出される鉱物や宝石類を使い、武器や防具などを作成する下級魔族だ。
魔工房と呼ばれる特殊な広間で素材を加工し、おもに深階層に棲まう人型の魔物たちに武器や防具などを供給しているらしいが、その製作方法や運搬方法については、謎に包まれていた。
魔鍛治士の手による品物は、いずれも高品質で、特殊なギフトが封緘されていることで知られている。
しかし装備や使用に関して人間を遥かに凌駕する基本能力を要求されたり、まるで罠のように呪いのギフトが封緘されていたりする。
苦労して地上へ持ち帰ったとしても、素材以上の価格が付くことは稀であり、鑑定料などの諸経費を差し引くと、赤字になることもある。
ゆえに、魔鍛冶士の品物を手に入れたとしても、迷宮内に放置されることが多いようだ。
『ふん、ふん、ふ~ん』
髑髏仮面は上機嫌だった。地下五十二階層の最深部――魔工房の片隅で、あぐらをかいて座っている。
“管理係”の話では、間もなく例の人間たちがここにやってくるとのこと。
地下五十階層の迷宮泉での記念すべき邂逅から、数日が過ぎようとしていた。
『楽しみだねぇ』
初めての戦いを前に、髑髏仮面は武器の手入れに余念がなかった。
勝ち目は薄いかもしれないが、だからといって手を抜くわけにはいかない。
髑髏仮面は、魔鍛冶士とよばれる魔物の一員だった。
しかし、いわゆる鍛冶士らしいことはしていない。
迷宮内で生まれてくる魔物たちに、武器や防具を配って回る“配達係”である。
マジカンが“鑑定”した通り、ギフトは持っていないが、仕事用として特殊なギフトが“封緘”された装備品をいくつか所有していた。
迷宮内の構造をイメージすることができる“空間把握”のピアス。イメージした場所に瞬間移動することができる“転移”の長靴。魔物たちの魔気を感じる“索敵”の腕輪。人間たちの神気を感じる“追跡”の腕輪。自身の魔気を抑える“気配遮断”のペンダント。中に入れたものの質量を半減させる“超軽”の籠、等々……。
また、髑髏仮面自身が仕様を伝え、“製作係”に作ってもらった武器や防具もある。
お気に入りは、死体からでも人間の記憶を奪うことができる“追憶”の短刀と、人間の頭蓋骨を模した“剛力”の仮面だ。
髑髏仮面は、人間に興味があった。
きっかけは、“追憶”の短刀である。
あくまでも人間の行動に対応する手段として作らせたものだが、迷宮内で半分腐りかけた人間の死体を見つけ、その記憶を覗いたとき、強烈な思念に惹きつけられたのである。
『――死にたくない』
肉体と精神が消滅することに対する、それは恐怖だった。
魔物たちは迷宮を守ることが使命なのだから、人間たちは迷宮を踏破することが使命のはず。それなのに、任務を果たせなかったことに対する悔恨ではなく、ただ死に対する恐怖だけが、ひしひしと伝わってきた。
怒りや闘争心以外でこれほど強い感情を、魔物たちは持ち合わせてはいない。
だが、まったくないわけでもない。
それは、これまで感じたことのない、刺激的な感覚だった。
例えるならば――干からびていた光苔に、無理やり水を注ぎ込んだような、鮮烈な感覚、だろうか。
髑髏仮面は、人間を理解したいと思った。
だから、配達途中に魔物たちから人間の死体に関する情報を聞くと、まっ先に駆けつけて、その記憶を回収した。
得られる記憶の質と量は、死体の腐敗状況によって変化する。鮮度のよい死体からは、死の恐怖の裏側にある、同じくらい強い感情――生に対する執着が、より具体的な形で読み取れることができた。
『こんなことなら、あの娘に伝えておけばよかった』
『あ~あ。最後に、麦酒が飲みてぇ』
『母ちゃん、母ちゃん』
『こんちくしょう! 俺にはまだ……』
人間はみな同じ姿形をしているが、その内面は複雑怪奇である。
趣味をこじらせた髑髏仮面は、人間の死体から髪の毛を集めて自分の頭にくっつけたり、服を奪って着てみたり、頭部を持ち帰って“製作係”にそっくりな仮面を作ってもらったりした。
今では間違いなく、迷宮一人間っぽい魔物だろうと自負している。
ただ、いくら知識を溜め込んでも、それらを披露し、心情を共有できる相手がいなくては意味がない。
最初は一番近しい仕事仲間に話を振ったのだが、彼らはまったく興味を示さず、仕事の邪魔をするなと、不機嫌そうな意思を伝えてきた。
唯一、地下五十階層の死霊魔王だけが、話を聞いてくれたのである。
これが人間の記憶にあった“トモダチ”という関係なのだろうか。
そのことに気づいたのは、迷宮改変の後――配達の途中に死霊魔王を探しているときだった。
地下五十階層では多くの魔物たちが倒されたようで、“製作係”の手による武器や防具がいたるところに転がっていた。
人間たちが迫っているようだ。
たとえ今回撃退したとしても、すぐにまた別の人間たちが来るだろう。
迷宮核が“そのとき”を迎えるまでの期間と残された階層を考えれば、答は明らかであった。
いずれこの迷宮は――負ける。
特に考えることもせず、髑髏仮面は人間がいるらしい迷宮泉に向かって“転移”した。
それは、最後くらい好きにしてもよいだろうという、ある種、諦観にも似た感情から生まれた、突発的な行動だったのである。
『……おっと、来たかな』
“追跡”腕輪が人間たちの接近を伝えてきた。
『みんなー、準備しろー』
迷宮泉には泉が沸くが、魔工房には溶岩溜まりが沸く。
周囲には焦げたように匂いが立ち込め、どんよりした赤錆色の蒸気が、霧のように地面の上を覆っている。
その霧を切り裂くように、通路の奥から敵が現れた。
怪力鬼や魔牛闘士を中心とした混成部隊、約十五体。
全員が人間に使役されているようだ。
対するこちらの戦力は、髑髏仮面を含めた魔鍛冶士が四体と、急きょ呼び寄せた警備兵が十六体の、計二十体。
人間たちは通路の影に隠れているようで、姿が見えない。
「……“闇襖”」
ふいに、魔工房の地面に無数の魔方陣が浮かび、弾けた。
出現したのは、数十枚にもおよぶ闇の板。
厚みのない正方形で、一枚一枚が怪力鬼を隠すほどの大きさがある。
『へぇ、闇属性の魔法か。死霊魔王と同じだな』
死霊魔王本人に聞いたところによると、闇属性の魔法には、範囲内の敵を捕食する“飢餓蟲”や、対象を地中に引き込む“底抜け沼”といった強力なものもあるそうで、迂闊には近づくことができない。
『だが、ここまで届いてないぞ』
攻撃魔法を警戒したのだが、違った。
魔鍛冶士を守るように配置されていた警備兵たちの、正面と左右の方向。
闇の板を突破して、敵の魔物が襲い掛かってきたのである。
闇の板は、ただの影。
こちらの視界を遮り、挟撃するための罠だったようだ。
後方には溶岩溜まりがあり、正面と側面の三方は、敵の魔物。
完全に包囲されている。
『ヤバイな、こりゃ』
まるで他人事のように、髑髏仮面は感想を述べた。
常に四体ひと組で行動する警備兵は、パーティとしての戦い方ができる。といっても、その行動パターンは単純で、金属の武器や鎧を身につけた前衛が敵を迎え撃ち、やや離れた位置から、後衛が魔法ギフトを行使するくらいだ。
羽織と棒を装備した警備兵が距離をとり、集まったところで――
「“破魔砲光弾”」
通路の出入り口付近。いつの間にか闇の板は消えており、金色の刺繍が入った派手な羽織を身にまとった人間が、魔方陣を描いていた。
「ほいっ!」
無数の魔方陣が半球を形成し――
直後、光属性の強力無比な攻撃魔法が炸裂した。
極太の光の槍が、半球の内部を串刺しにする。
閃光に続く爆音が魔工房内を揺るがし、後に残ったものは、元の形が想像できないほど細切れになった、警備兵と彼らが身につけていた装備品の欠片だった。
『後衛がかたまることを、予測していたのか。破壊力は死霊魔王の魔法に匹敵するな』
魔法を行使したのは、地下五十階層の迷宮泉で人質にした人間のようだ。
後衛は全滅。
しかし、前衛は互角。
まだ戦えるはず。
「“闇床”」
別の魔方陣が敵の魔物に張り付き、弾けた。
敵の前衛は、怪力鬼や魔牛闘士といった、パワー系の魔物が多い。防御を無視して攻撃してくるので、必然的に体力の削り合いになる。
そして敵の傷だけが、回復していく。
『おいおい、反則じゃないの?』
思わず文句が口に出てしまう。
闇属性の回復魔法の使い手は、先ほどの人間とはまた別のようだ。
事前に作戦を立て、強力な攻撃魔法と回復魔法を使い、さらには魔物たちを使役する。
あまりにも理不尽な状況に、髑髏仮面は呆れてしまった。
自身は器用に立ち回りながら戦闘を回避しているが、それもどこまで続くやら、はなはだ怪しいものである。
やがて、前衛の警備兵たちが倒れて、魔鍛冶士たちも刃を交えることになった。
髑髏仮面を除く“製作係”、“管理係”、“収集係”の三体は、それぞれ強力な武器を持っている。
刀身から炎が噴き出す“灼熱”の斧、物理耐性を無視する“貫通”の槍、そして防御されても相手をノックバックさせる“重波”の棍棒。
しかし、しょせんは多勢に無勢である。複数の敵に囲まれて背後から攻撃をくらえばひとたまりもない。長い年月をともに過ごした仕事仲間は、凄惨な断末魔の叫び声を上げながら倒れていった。
いつの間にか、味方は全滅。
敵の魔物は、まだ十体以上残っている。
髑髏仮面の眼前には、両手持ちの巨大斧を構えた魔牛闘士。
「油断するな! “転移”があるぞ。後方にも気を配れ!」
別の人間が叫んだようだが、あいにく今は“転移”の長靴を身につけていない。発動条件として複雑なステップを踏む必要があるので、戦闘用には向かないのだ。
替わりに履いているのは、空中で一歩だけステップが踏むことができる“宙駆”の長靴だった。
魔牛闘士の一撃をバックステップで交わした髑髏仮面は、見えない階段でもあるかのように、左右一歩ずつ空中を駆け上がり、小剣をその頭部に突き刺した。
『――解呪』




