(4)
頭の中が、ぐつぐつと煮えたぎるようだった。
もう間違いない。ロウは――“宵闇の剣”を裏切っている。
そもそも、この遠征に参加するよう誘導した時点で、すでに真っ黒だったのだ。
遠征パーティの雰囲気は最悪。その間を取り持とうとしたガメオを、ロウは冷たく拒絶した。他のシェルパたちと仲良くなり同じ食事をとることになれば、計画の実行が難しくなるからだ。
迷宮内での貴重な食糧を叩き落すなど、どう考えてもやりすぎである。
おそらくガメオは、ロウの目的に気づいたのだろう。
だからロウを通路に呼び出して、止めようとした。
しかし、ロウの行為はシェルパたちの生活を守ることにも繋がる。
ゆえに、最後にはロウを応援したのである。
これ以上、あいつを案内人として、そばに置くことはできない。
物的な証拠はないが、ここは調停場ではないし、判断するのは仲間たちだ。
自分ひとりの証言で十分だろう。
一刻も早く、みなに注意を促さなくてはならない。
頬を腫らしたシェルパは、“宵闇の剣”が集まっている場所までやってきた。
「ダーリン。その怪我はどうした?」
「転びました」
下手な言い訳だが、笑顔で断言されると追求のしようがない。
ロウは背負袋の中からいくつかの小瓶を取り出した。乳鉢の中に緑色の粉を入れて、水に溶かしていく。
心配そうにユイカが声をかける。
「マジカンに回復魔法をかけてもらうか?」
「いえ。こんなことで魔力を使うのはやめましょう。ポーションも必要ありません。軽い打撲ですから、すぐに直りますよ」
「せめて、冷やせ」
ユイカが迷宮泉に布を浸し、ロウの頬に当てる。
「ヌーク。これはいちゃついているわけではないからな。あくまでも、治療行為だからな」
迷宮内では冒険者とシェルパの立場を貫くこと――ヌークと交わした約束を、ユイカは律儀に守っていた。
パーティメンバー以外の人間がいるときには、ロウのことを名前で呼んでいるし、できるかぎり接触も避けているようだ。
これ幸いとロウの隣でかいがいしく世話をするユイカ。
ふたりの姿を見て、ベリィは悔しそうな呻き声を上げた。
数多の冒険者たちの目標であり、憧れの存在であるユイカにこのようなことをさせていることだけでも度し難いというのに、この男はユイカの想いを裏切っているのだ。
あまりの怒りにぶるぶると肩を震わせていると、怪訝そうにロウが聞いてきた。
「ベリィ。どうしました?」
「……」
「迷宮に入ったときから思っていたのですが、少し変ですね。食事も残していましたし、体調でもわるいのですか?」
乳鉢の中の液体を木製のカップに移すと、おさげ髪のシェルパはにこりと笑った。
「ちょうどよかった。身体の調子を整える飲み物を作ったんです。ちょっと苦いかもしれませんが、効果は保証しますよ」
差し出されたのは、鮮やかな緑色の飲み物。
見るからに苦そうだが、爽やかな若草のような香りがした。
「……」
カップの中身をじっと覗き込んでいたベリィは、ふいにマジカンに突き出した。
「じじい、中身を“鑑定”して」
「なんじゃ、やぶからぼうに」
「いいから、早くして!」
ロウの表情が緊張したことに、ベリィは気付いた。
まさか、こんな単純な方法で――
いや、単純だからこそ効果があるのかもしれない。
何も知らない自分であれば、薬学の知識を持つロウのことを疑ったりはしなかっただろう。自分がこのような行動に出たことが、ロウにとっては想定外だったのだ。
マジカンが小指の先を液体につける。
「……む」
眉根をのせ、気難しい顔になる。
鑑定に時間はかからない。
賢者はすぐに顔を上げると、あっさりとした口調で結果を述べた。
「これは、毒じゃな」
疑惑は、確定した。
「あんた、馬鹿じゃないの!」
シェルパは、いとも簡単に証拠を出した。
笑い出したくなるような衝動を堪えつつ、ベリィは愛刀をロウに向かって突きつけた。
「残念だけど、あんたは私が思っていたほど賢くなかったみたいね。それとも、策士己の策に溺れるってやつかしら? 命を助けてもらったことには感謝するけれど、それとこれとは話が別。おとなしく、正義の裁きを受けなさい!」
ロウの顎の先に刀の腹の部分を押し付けようとしたその直前――ユイカがロウの外套の裾を掴み、引き倒した。
「落ち着け、ベリィ!」
「私は、落ち着いているわ」
ヌークとマジカンは状況をつかめず、呆然としている。
混乱しているのはユイカも同様だろうが、さすがに“宵闇の剣”のリーダーである。状況判断でとっさに身体が動いたのだろう。
「私、知ってるの。こいつと、やつらのたくらみを。全部ね」
「ベリィ、何を言っている? やつらとは誰だ?」
心に溜まった義憤を吐き出すかのように、ベリィはこれまでの出来事を語った。
今回の迷宮探索の直前、ロウが町長、冒険者ギルド長、案内人ギルドの元ギルド長の三人とともに、秘密の会合を行ったこと。
タイロスの町の経済は、迷宮によって成り立っている。迷宮が枯れ果てたならば、そこに住む人々は暮らしていけなくなる。もちろん、冒険者ギルドの職員も案内人ギルドのシェルパたちも同様だ。
そこで三人の権力者たちは、“宵闇の剣”のシェルパであるロウに、悪辣極まりない仕事を依頼した。
迷宮の守人――“シェルパの剣”となり、“宵闇の剣”の迷宮攻略を妨害するようにと。
そして報酬に目が眩んだロウは、その依頼を受けたのである。
「本当か、それは?」
ユイカの表情が引きしまる。
だが、まだロウのことを疑うような素振りは見せない。判断するための材料が、まだ足りないということだろう。
「ええ。私が、真実を見抜いたの」
その後、ロウの家で行った食事会。
遠征に参加するようロウが主張したのも、依頼を遂行するためである。
“宵闇の剣”のメンバーを害したとしても、自分が地上に帰還できなければ意味がない。そのための手段として、遠征を利用したのだ。
他の冒険者たちと休憩を分け、消耗品の管理や食事を別々にするよう意見したのは、毒を盛るための保険。他のシェルパたちといっしょに食事の準備をしたのでは、その機会を失うことになるからだ。
「そして、証拠となる毒はここにある」
ベリィは得意げに言い切った。
「つまり、証明完了ってわけ」
実際のところ、ロウが権力者たちの依頼を受けた場面を、ベリィは知らない。途中で魔法が切れてしまったからだ。
だから、本人に自白させることにした。
「ふふん、とぼけても無駄よ、悪党シェルパさん? あんたたちが店に入る直前に、“囁”の魔法を使って盗聴したの。会話の内容は、ぜんぶ聞いていたんだから」
「……まいりましたね」
容疑者となったロウは、ようやく上体を起こしたところだった。
「あのときですか。かすかに魔力の気配を感じたのですが」
「受けたんでしょ? 彼らの依頼を」
困ったように頭をかきながらも、ロウは薄く笑っている。
「ええ、そうです」
とうとう観念したようである。
あとはこいつにすべてを自白させて――
意気込むベリィの気を削ぐように、ロウは提案した。
「とりあえず、刃物をしまいませんか? 迷宮内に逃げ場はありませんし、抵抗もしません。他の冒険者やシェルパたちが、何ごとかと思いますよ?」
互いの主張の整合性を図るときに、それぞれの内容を吟味し、判断を下す場として、調停会議というものがある。
会場となるのは、おもに大地母神の神殿内にある調停場で、判断を下す調停人になるのは、おもに神官だ。
そしてヌークは、以前この役職についていたことがる。
だから、事情聴取は彼が行うことになった。
ベリィは原告人で、ロウが被告人。ユイカはロウの恋人であり、マジカンはベリィの父親である。私見が入る可能性を排除する意味からも、適任といえるだろう。
「にわかには、信じ難いことだ」
無表情な顔をわずかにしかめて、ヌークは嘆息した。
「町の事情は理解できるが、冒険者ギルドと案内人ギルドが、そろってこのような暴挙に出るとは……。“シェルパの剣”だったか。ロウよ、そのような役割が、本当にあるのか?」
「残念ながら。タイロスの町限定だとは思いますが」
地方の迷宮をふたつも踏破してきた“宵闇の剣”である。これまでのシェルパについても、再度検討する必要があるだろう。
「で、依頼を受けたのか?」
「はい」
ベリィの目がぎらりと光る。
「ほら。私の言った通――」
「そうしなければ、あなたたちを守れませんからね」
「……え?」
出鼻をくじかれて、ベリィはぽかんと口を開けた。
「もしあの場で依頼を断れば、“宵闇の剣”に別のシェルパがつくか、最悪、マリエーテの安全を盾に、無理やり依頼を押し付けられるかのどちらかでしょう。そうなってはお手上げです。せいぜい報酬に目がくらんだふりをして、引き受ける以外に選択肢はありませんでした」
「なるほどな」
ヌークはもっともらしく頷く。
「遠征に関しては? ベリィの言うとおり、地上への帰還を助ける手段として、冒険者ギルドが仕組んだことなのか?」
ロウは肯定したが、ことは単純なものではなかった。。
“宵闇の剣”は単独で迷宮探索する。そのことを知っている冒険者ギルド長は、“宵闇の剣”を遠征に参加させることについては、まったく期待していなかった。
当然、断られると思っていたのである。
「狙いは、追跡戦法です」
迷宮内で倒した魔物は一定期間で再出現する。それまでの間は通路も広間も安全になる。だから、迷宮探索の基本は、拠点となる迷宮泉から同じ道を何度も往復しながら、少しずつ探索距離を伸ばしていき、次の迷宮泉を目指していく形になる。
有意義な“実りの時間”を得るために、冒険者たちは目的の階層までの消耗を極力減らしたいと考える。
そこで編み出されたのが、別のパーティの後ろを追跡する外道の策――追跡戦法だ。
「遠征パーティのひとつである“泥蜥蜴”さんには、ひとり、やっかいなギフトを持っている遊撃手がいます」
そのギフトとは――“追跡”。
ヌークの“索敵”は、魔物が発する魔気を感知するが、“追跡”は、冒険者たちの神気を感知する。
“宵闇の剣”の進行スピードがいくら速くても、彼らを振り切ることはできない。
追跡される側のパーティは、苛立ち、精神を乱されて消耗していく。ただでさえ睡眠不足で気が抜けないユイカにとっては、重い負担になるだろう。
しかも最終的には、深階層の迷宮泉で合流されることになる。
「それならば、最初から遠征に参加し、彼らを利用した方がましでしょう」
この考えについても、ヌークは納得したようだ。
冒険者ギルド長が遠征パーティに出した依頼は、“宵闇の剣”を密かに助ける、というものだった。
東の勇者である“宵闇の剣”は、タイロスの冒険者ギルドにとっては客人に等しい。
是が非でもその安全を確保しなくてはならない。
“宵闇の剣”の出発の日時は伝える。追跡戦法についても許可する。もし“不測の事態”が起きた場合、“宵闇の剣”と合流し、無事に帰還させて欲しい。もちろん、本人たちには気づかれないように……。
そして保護される対象の中には、ロウも含まれているというわけだ。
「こちらは強制依頼です。当然のことながら、彼らは面白くありません」
だから近道を下りた後、“幽玄結社”のリーダーである猿顔の中年男は、へ理屈をこねて、まずは“宵闇の剣”に戦わせようとしたのだ。
結局のところ、この行為はユイカの逆鱗に触れ、圧倒的な力を見せつけられた挙句、魔核や成果品を乞食のようにめぐまれる形となり、冒険者たちは逆ギレすることになる。




