(9)
タイロスの町の主要街道を、ベリィはひとり、鼻歌まじりに歩いていた。
治療院を退院してから、数日が経過している。体調は完全に回復していたが、治療院に運び込まれたときはひどいものだった。
両腕と左足の骨折。打撲と裂傷は数知れず。冒険者になって以来、ここまでぼろぼろにされたのは初めてだ。
治療中、あまりの激痛に叫び声を上げてしまったが、真っ青になって慌てふためいたのは、父親のマジカンだった。
『こ、これ。手加減をせんか! 痛がっておるぞ』
『はい、静かにしましょうねぇ』
そう言って、治療院の中年の女医士は相手にしなかった。
『こりゃ。ワシを誰だと思っておる?』
『お身内の方ですか? 痛いのは患者さんですから、黙りましょうねぇ』
『ぐむむ……』
マジカンは地団駄を踏んで悔しがったが、治療の邪魔になるからと、治療室から追い出されてしまった。入院後も足しげく見舞いに来たものの、果物の皮がうまく剥けず魔法を使って病室を滅茶苦茶にした挙句、やはり病室から追い出されてしまった。
「ほんっと、馬鹿みたい」
でも、不思議と気分はわるくない。
この心境は、ロウにきちんと謝罪ができたことも影響しているのだろう。
迷宮改変直後の地下五十階層。石像鬼による突進をもろに受けて戦闘不能となったベリィは、ロウに襟首をつかまれて、彼が事前に作っていた洞穴の中に放り込まれた。
芋虫のようにのた打ち回りながらベリィができたことは、ロウに対して支援魔法をかけることのみ。何度も意識を失い、ときおり気がついては、とにかく魔法をかけ続けた。
時間の感覚もあいまいになり、どういう形で助けられたのかすら覚えていない。
ただ、重苦しい絶望と焼けつくような苦しみの中で、鈍い金属の音だけがいつまでも鳴り響いていたような気がする。
それは、命そのものを具現化した音だった。
あの男は、ただただ――魔物たちの攻撃を防ぎ続けたのだ。
仲間たちの話によると、周囲には魔物の死体が十体以上あったようだが、ロウが直接倒した魔物は、一体か二体だけだったらしい。
あとは同士討ちである。
後方にいた魔物が攻撃魔法を行使して、強力な耐魔法防具を有していたロウだけが、かろうじて生き残ったというわけだ。
それもまた、彼の計算だったのか。
あるいは、単なる偶然だったのか。
どちらにしろ、ロウが奇跡を起したことだけは確かである。
さんざん邪険に扱っておきながら、挙句の果てに命を助けられるとは、思わず目を覆いたくなるほどの醜態だが、おかげでユイカに再会でき、こうして鼻歌を歌いながら町を歩くことができるのだから、感謝しなくてはならない。
その程度の常識は、あるつもりだ。
「まあ、姫のことは、別だけどね」
ベリィは町の中心部にある巨大な石造りの建物――大地母神の神殿に入った。
受付で冒険者である証明書を提出し、利用料を払ってから、半球状の聖堂へと向かう。祭壇には見上げるような大地母神の像があり、慈悲深い笑みで迎えてくれた。
特別な力を与えてくれる女神にベリィは感謝していたが、熱心な信者というわけではない。祈りの言葉すら唱えずに、聖堂の周囲に配置された扉のひとつに入る。
そこは円柱状の小部屋で、床一面に魔方陣が描かれており、その上に椅子がひとつだけ配置されていた。
“洗礼の間”と呼ばれる部屋である。
王都の大聖堂では、“洗礼の間”にも大地母神の像があったりするのだが、やや簡略化されているようだ。
ベリィは扉の鍵を閉めると、椅子に座ってひとつ深呼吸をする。
「――ふう」
それから、合言葉を呟いた。
「“女神言伝”」
すると、地面に描かれた魔方陣が青白い光を発し、周囲が暗くなった。これはあくまでもベリィの認識上の話であり、現実的には部屋の中に変化はない。
やがて、漣のような雑音が混じり合い、どこか気品のある女性の声が、頭の中に響いてきた。
『わらわの、名は……ギャラティカ。……二十の歳を経たひとの子よ、要件を……申せ』
毎回年齢を伝えてくるのは、どうにかならないものだろうか。
心の中で強く念じるだけでも、女神との会話は可能だが、あえてベリィは口に出して質問する。余計なことを考えると、ややこしくなるからだ。
「レベルアップは、できるかしら?」
『……是』
興奮のあまり思わず叫び出しそうになる。
しかし、精神を乱すと接続が切れることがあるので、無理やり心を落ち着かせる。
「じゃあ、お願いするわ」
清涼なる風が、身体の中を吹き抜けたように感じた。
あっけない感覚だが、これでベリィのレベルは十二になった。同時に、“宵闇の剣”のパーティレベルも十三となり、西の勇者パーティに追いついたことになる。
『さらなる、祝福の……選択を……』
「もちろん、ギフトの抽選を選ぶわ!」
ここで基礎能力の向上を選ぶ冒険者など、脳筋馬鹿の変態シェルパくらいのものだろう。
再び風が吹き抜け、ベリィが新たに身につけたギフトは――
『……“脚刃”、じゃ。有用に……使うが、よい……』
攻撃系のアクティブギフトで、蹴りを叩き込んだときに発動させると、“斬”属性の追加ダメージを与えられるとのこと。
最後に基本能力と次のレベルアップに必要な経験値を確認すると、ベリィは大地母神との接続を切り、ほくほく顔で神殿を後にした。
今回レベルアップできるかどうかは微妙なところだった。
パーティの実力の底上げを狙ったユイカの判断で、死霊魔王の魔核を“収受”させてもらったのが大きかったようだ。
三日後に控えたタイロス迷宮の探索に向けて、弾みがついたといえるだろう。
「さてと。あとは、姫に報告して……とっ」
自慢の瞬発力を使って、ベリィはもの影に隠れた。
通りの向こう側から、見知った男――ロウが歩いてきたからだ。
どうして隠れてしまったのかは分からないが、隠れてしまったものは仕方がない。
ロウはひとりではなく、ふたりの老人に先導されるようにして歩いていた。
「あれは……ギルド長?」
冒険者ギルドの長、ジョーである。齢六十を越える細身の老人で、しわだらけの顔に疲れきった表情を浮かべている。
もうひとりは同じくらいの年齢の小柄な老婆で、こちらは会ったこともない。
しかし何故、シェルパのロウが、冒険者ギルドの長とともに歩いているのだろうか。
何となくいやな予感がしたので、ベリィはあとをついていくことにした。
三人が向かった先は、タイロスの町にしては高級感のある料理屋だった。実はベリィも一度だけこの店を利用したことがあった。店内には案内役もいたはず。さすがにひとりで入ったのでは目立ってしまうだろう。
一部のアクティブギフトや魔法ギフトについては、地上での使用が禁止されているが、好奇心の方が勝った。
「――“囁”」
指定した場所の物音を耳に届ける風属性の支援魔法。
迷宮内ではユイカが使役した魔物にかけて、偵察任務をさせたりする。“索敵”のスキルを有するヌークがパーティに加入してからは、使用頻度も少なくなってきているが、冒険者になって一番最初に覚えたということもあり、ベリィにとっては思い入れのある魔法でもあった。
指先で小さな魔方陣を描き、狙いを定めて飛ばす。
魔方陣はロウの背中のあたりに張りついて、音もなく砕けた。
『うん? どうしたのかね、ロウ君?』
『……いえ、何でもありません』
背中を気にするような素振りを見せたロウに、ギルド長のジョーが声をかけたようだ。
この魔法の効力――音の拾い易さは、対象との距離とベリィの集中力による。うろうろ歩いていたのでは、雑音が入るだろう。ベリィは店の敷地内にある木陰に入ると、耳をそば立てた。
三人は階段を登り、どこかの部屋に入ったようだ。
『――やあ、待っていたよ』
『相変わらず、景気がいいみたいだね、バー坊。少しは腹を引っ込めたらどうだい?』
『ギマさん。いい加減、坊や扱いはやめてもらえませんかね? 私はもう四十代だし、町長という肩書きもある』
『お前さんの名前は、呼びにくいんだよ』
町長とはこの町に到着した日の夜に会ったことがある。ユイカが晩餐会をすっぽかしたので、ベリィ、ヌーク、マジカンの三人で歓待を受けたのだ。ちなみに、そのときに案内されたのがこの店だった。
食事中、ベリィはろくに会話もしなかったが、町長は中年太りの禿げオヤジで、名前は確か……バラモヌとか言ったはずだ。
『で、君が例のシェルパかね? 紹介してくれるかな、ギマさん』
『うちの若手のホープだよ。ほれ、自己紹介しな』
『はじめまして。迷宮道先案内人のロウです』
個室にいる人物は、四人。
タイロスの町の町長、バラモヌ。
冒険者ギルド長、ジョー。
案内人ギルドの――おそらくギルド長であろう老婆、ギマ。
そして、ロウだ。
『彼は元冒険者でね。うちのギルドでも期待のホープだったよ。さ、立ち話もなんだから、座って食事にしようか』
ジョーが促して、四人は席についた。
どうにもきな臭い会合だと、ベリィは思った。
真っ先に思い浮かんだのが、町の要職につく者たちが“宵闇の剣”の情報を、ロウから聞き出そうとしているのではないかということだ。
それによって、自分たちがどのような不利益を受けるのかは分からないが、あまり気持ちのよいものではない。
会話は、おもにバラモヌが主導して行われた。
『今回の潜行報告書を読ませてもらったよ。未到達階層をさらに更新し、迷宮泉まで発見したらしいね。よく無事でいられたものだ』
おそらくヌークが冒険者ギルドに提出したものだろう。しかし“潜行報告書”は、ギルド内でもごく限られた部署の職員しか閲覧することができない部外秘の情報ではなかったのか。
『報告書の中では、ロウ君――君の活躍が絶賛されていたよ。冷静かつ的確な判断力、柔軟な思考と発想力。君のアドバイスのおかげで切り抜けられた戦いもあったとね。君は“宵闇の剣”のメンバーに、かなり信頼されているようだな』
『俺は、自分の役割を果たしただけです』
その後、食事が運ばれてきたようだ。
話題はタイロス町の歴史へと移った。
今から約九十年前。荒地だったこの土地に迷宮が発見され、小さな迷宮管理塔が建設された。それが冒険者ギルドの前身であり、タイロスの町の始まりだったという。
いくつかの階層について魔素の濃度を計測することで、その迷宮の最下層の適正レベルを、ある程度予測することができる。
調査隊による魔素の計測と計算の結果、タイロス迷宮の最深部の適正レベルは、十五以上と公表された。
こうなると、簡易的な攻略施設では追いつかない。冒険者ギルドと案内人ギルド、そして冒険者を導く大地母神の神殿が必要になる。
また、冒険者たちが迷宮から持ち帰ってくる成果品や薬草、鉱石などを取り扱う店、彼らの生活を支える様々な店が集まり、さらにそこで働く人々のための住居が作られて、タイロスの町は少しずつ大きくなっていった。
『もともとこの土地は痩せていたし、水回りもよくなかった。そして、交通の要所というわけでもない。――いいかね、ロウ君?』
バラモヌは断言した。
『タイロスの町がこれほどの規模にまで発展できたのは、迷宮のおかげなのだよ』
その理屈は分かる。
だが、基本的に迷宮はわるいものだ。
真偽のほどは定かではないが、ときがたてば迷宮核が臨界を迎え、地上一帯に魔素を撒き散らすらしい。その後、終焉を迎えた土地は、魔物たちの領域――魔界へと変貌を遂げる。
だから冒険者は、迷宮を踏破しなくてはならない。
そう教えているのは、大地母神教であり、冒険者ギルドではなかったか。




