(4)
迷宮改変が発生してから丸二日が経過し、ユイカ、ヌーク、マジカンの三人は、極度の疲労と焦燥感の中にあった。
死霊魔王との激しい戦いの後、ほぼ不眠不休で地下五十階層を駆け回っていたのである。
すでに上階層に繋がる螺旋道と、新たなる迷宮泉を発見し、拠点と退路は確保していたが、いまだロウとベリィを発見できていない。
「……ヌーク、どっちだ?」
通路で立ち止まり、ユイカが問いかけた。
目の前にあるのは、三方向の別れ道。
ヌークの“索敵”は、文字通り敵を――魔物が発する魔気を感知するギフトだ。その有用性は、支援系ギフトの中でも五本の指に入るとされている。しかし残念ながら、はぐれた仲間を探すことはできない。
先頭にいたヌークは、内心冷や汗をかいていた。
背後から迫り、背中をちりちりと焼くような、どんよりとした神気。
どっちだと聞かれても困るのだが、分からないとも答えられない状況。
「右に、行きましょう」
振り返りもせずヌークは決断したが、しばらく進んだその先は――
「……行き止まりじゃのう」
はっと振り返ると、そこには賢者が浮かんでいた。
大量に召還された骸骨兵士の鎖骨のあたりにフック状の杖を引っ掛けている。
笑顔らしきものを浮かべているが、その身に纏っている神気が、表情とは真逆の心情を伝えていた。こちらは針のむしろのような、とげとげしい神気だ。
「も、申し訳ありません」
隣にいるユイカは、目の下にはっきりとしたくまを作り、無表情のままじっと見つめてくる。
「何故謝る。別にお前はわるくないのだろう?」
「そうじゃ。道を、間違えただけじゃぞ?」
仮面のような笑顔のまま、マジカンがからかうように笑う。
どんよりとした神気と、とげとげしい神気。
ごくりとヌークは唾を飲み込んだ。
「も、戻ります」
――どうしてこうなった。
迷宮改変が収まってから、ロウとベリィの捜索を開始した時点では、仲間たちの無事を願い、信じ、互いに励まし合っていたはずだ。
しかし、半日を過ぎたくらいから、ユイカが、次いでマジカンがやさぐれだした。
一方は恋人の、そして一方は娘の命がかかっているのだから、当然といえば当然だろう。会話が途絶え、ときおり舌打ちが出る。戦闘はごり押しが目立ち、連携がなくなった。
ヌークとて、ふたりの無事を願う気持ちはある。
ベリィは直情型で、広報関係の仕事ではときおり失敗もするが、冒険者としての実力は一流だ。何ごとにおいても理屈っぽいメンバーの中で唯一、天真爛漫なわがまま娘っぷりを発揮し、パーティ内の雰囲気作りにも――最近はやや言動が怪しいが――貢献している。
何よりも、ユイカへの心酔度は、誰にも負けないだろう。
迷宮内はもとより、プライベートな時間でもユイカの護衛などを任せるには、ぴったりの人材である。
そしてロウは、先の迷宮探索時にユイカの命を救った功績が大である。
優秀なシェルパであることは疑いようがなく、彼の持つ恐るべきギフトは、“宵闇の剣”の迷宮攻略に欠かせないものとなっている。
ユイカとの関係については……正直、かなり問題はあるのだが、節度を守ってくれさえすれば、ある程度は黙認してもよい。
少なくともタイロス迷宮を攻略するまでは、パーティにとって必要な人材だと思う。
幼い妹を養っているようだし、無事に戻ってきて欲しい。
……彼の背負袋とともに。
この、打算的な考え方がまずかった。
『我々が地上に帰還するためには、ロウの荷物が必要です』
つい、ぽろりと口に出してしまったのだ。
通常であれば、現実的な対応と心情的な整理を区別することが得意なはずのユイカが、怒気を押し殺したような声で、問いかけてきたのである。
『ダーリンが無事でなくても、荷物が戻ってくれば……か?』
そんなことは言っていない。
食糧やポーション類があったとしても、シェルパがいなければこの階層からの脱出は至難の業である。ロウには是非とも無事でいて欲しいと力説すると、今度はマジカンが乾いた笑い声を上げた。
『ほっほっ。すると、うちの小娘はついでかのう?』
そんなことは言っていない。
以降、ヌークは極力無駄口を慎み、胃のあたりに鈍い痛みを感じながら、ふたりの捜索に専念することにしたのである。
口には決して出さないが、ふたりの生存は絶望的だとヌークは覚悟していた。
半日くらいであれば、あるいは奇跡的に魔物たちに遭遇せず、やりすごせたかもしれない。
しかしもう、丸二日が経過している。この階層に棲む魔物の密度からすると、絶対に無理だ。魔物の群れに襲われて、おそらく、ろくに抵抗もできずに……。
いや、想像することに意味はない。
どちらにしろ、自分たちはロウとベリィと、そして荷物を探さなくては、地上に帰還することはできないのだ。
「魔物です。おそらく三体」
仲間に伝えた情報は、不覚にも間違っていた。
通路の中央に、巨大な獣が立ち塞がっている。
魔物の数は一体――しかし、胴体に三つの頭がついていたのだ。
牛並みの巨体に、獅子を凌駕する獰猛な牙。真っ赤な瞳からは、ときおり炎が吹き荒れる。
ヌークは記憶の中にある魔物図鑑のページを捲った。
“地獄の番犬”とも呼ばれているこの魔物は、火蜥蜴と同じく“火砲”のギフトを持つ。しかも三つの頭から同時に発射されるそれは、激しい炎の渦となり、鉄すら溶かす熱量があるという。
「黒姫さま! そいつは、ケルベ――」
「“リツ”、やれ」
ユイカの命令に従い、背後にいた“死霊魔王”が両手の指を器用に使って、高速で魔方陣を描いた。
『“底抜沼”……』
危険を感じた三つ頭の獣は、跳躍しようとして果たせなかった。
足元に歪な魔方陣が浮かぶと同時に、突然、地面が液状化したのだ。
霧のような黒煙がもうもうと吹き出る、闇色の沼。
慌て、もがき、苦しみ、魔物は何とか沼の縁に前足をかけようとするが、その前足をユイカが蹴り飛ばした。
さらに中央の頭を踏みつけ、体重をかけていく。
“火砲”で応戦することすらできず、ユイカを凝視しながら、三つ頭の獣は、闇の沼へと沈んでいった。
まるで何事もなかったかのように、ユイカとマジカンは先へと進む。
「……三頭獣、でした」
尻つぼみとなったヌークの呟きに反応したのは、人間ではなく、“リツ”こと死霊魔王だけだった。
あるいは錯覚かもしれないが、彼、あるいは彼女は、まるでヌークの心情を理解しているかのように、こくりと頷いたのである。




