第三章 (1)
ユイカと出会う前の私には、何もなかった。
母親は物心つく前に亡くなっており、唯一の身内である父親は、その外見はともかく中身は変人だった。
面白そうな客人がパーティの勧誘にくると、何の前触れもなく冒険者に復帰し、生活費だけを置いてふらりといなくなる。
それからしばらくすると、また引退して戻ってくるのだ。
子育てについてはまったく興味がないようで、躾らしきものをされた記憶はない。
だから私は、好き勝手に生きることにした。
子育て以上に金に対して執着しない父親である。生活費が足りないといえば、金はタンスの中にあるから好きなだけ使えと、ふざけた回答が返ってくる。
私は派手な服を買い、周囲を威圧するための武器を買い、そしてグレた。
おおよそ、十二歳のころである。
王都では治安のよい区画にあった家には寄り付かず、私は貧民街で金を使って、仲間を集めた。
万引き、スリ、かっぱらい、かつあげ――貧民街に住む少年少女たちは、生きるために犯罪を犯す。
つかまったら、終わり。徹底的に痛めつけられるのみ。
飢え、怯え、疑心。そして、仲間内にだけ存在する確かな結束。
私は、ここが自分の居場所だと思った。
貧民街から成り上がるためには、冒険者になるのが一番の近道と言われている。冒険者ギルドの規定では、その登録条件は十五歳以上の健康な男女となっているが、この街の子供たちは年齢を偽り、十二、三歳で登録するのが通例だ。
仲間たちとともに、私も冒険者になった。
幸いなことに、才能と運があったのだろう。早い段階で攻撃用のアクティブギフトと風属性の魔法を覚えた私は、冒険者としての頭角を現し始めた。
十六歳になるころには、私がリーダーを務めるパーティは無限迷宮での到達階層を十九階層まで伸ばしており、生活も安定するようになっていた。
そのころから、仲間内の関係が、ぎくしゃくしだした。
もともとパーティ戦略などという概念に重きを置いていなかったため、個々の力に頼る戦いを繰り返していたことから、“二十階層の壁”にぶつかったということもある。
一向に進まない迷宮探索に、私は苛立ち、ときおり周囲に当たることもあった。何か大きなことを成し遂げたい。具体的には分からないが、たとえば、あの父親をあっと驚かせるようなことを――そんな気持ちを空回りさせながら、私は無計画に潜行し続けた。
当然のことながら、仲間うちの雰囲気はわるくなる。
「なあ、姉さん、そろそろいいんじゃねぇか?」
ある日、私が一番信頼していた副リーダーが、そう言った。
「俺たちは、もうレベル四になった。迷宮なんかに潜らなくても、暮らしていける」
冒険者はそのレベルが上がると、基本能力に均等に補正がつく。
レベル四ともなれば、常人離れした筋力や持久力を身につけており、危険な迷宮などに潜らなくても、運搬や農作業といった力仕事を選べば、十分に生活が成り立つのだ。
実際、通常よりも有利な条件で仕事につくために冒険者となり、いくつかレベルを上げて引退する人間は多い。
私は驚いた。迷宮で得られる報酬や達成感、そして仲間と分かち合う喜びこそ、みなが求めているものだと思っていたからである。
「俺たちに、そんな余裕はねぇよ」
昔は生きていくだけで精一杯だった。明日のパンを得るために、命を懸けて魔物たちと戦ってきた。しかし、今は違う。生活にも余裕があるし、この街でも一目置かれる存在になり、怯えながら暮らすこともなくなった。
だから、命の危険を冒してまで、現状以上のものを求める必要はないだろう。
「――はぁ?」
何言ってんだ、こいつ。
という感じで、私は副リーダーを責めた。
あんたたちが望んだから、私は冒険者になって迷宮に潜ったんだ。今は壁にぶつかっているかもしれなけれど、遠からず中級冒険者になれる。そうすれば、二十階層くらい余裕で突破して、もっと金を稼ぐことができる。今よりもずっといい暮らしができるんだ。
「それが、姉さんの目標か?」
そうだと答えると、「違うだろう」と言われた。
「だって、姉さんの家は、裕福じゃねぇか」
「……」
バレないわけがなかった。
最初の出会いからして服装が違っていたし、駆け出しの冒険者だったころは、資金が枯渇するたびに、家から金を持ち出していたのだから。
「姉さん家が裕福だってことは、知ってたよ。俺たちの最初の装備も、姉さんの金で買ってもらったんだからな」
「……あんた、何がいいたいのさ?」
副リーダーはまたもやため息をつき、覚悟を決めたかのように口を開いた。
「やっぱり姉さんは、俺たちとは違うんだよ」
王都では、家柄や資産、住んでいる場所、収入などによって決まる厳密な社会階級が存在する。
たとえば、領地と爵位を持つ貴族たちは上流階級、貧民街の住人たちは下流階級に属する。
そして、自分と同じか近しい階級に属する者たち以外とは、基本的にひと付き合いをしない。自身の社会階級を認識し、その範囲の中で生きていくことを、王都に住む人間は――よくもわるくも――許容しているのだ。
仲間たちは中位下流階級。すでに最下級を抜け出している。そして、父親の地位や財産の影響を受けている私は、おそらく上位中流階級。
礼儀作法やマナー、教養、言葉遣い、生きていく上での矜持。いくら不良を装っても、ところどころに育ちの良さが滲み出ている。
「姉さんは、ゴミを漁ってカビの生えたパンにかじりつくことなんか、できないだろ?」
「……」
「そういうこった」
そして、人生における目標点の違い。
端的に言うならば、仲間たちはもう、満足してしまったのだ。
昔は居心地がよく、最近はどこかぎくしゃくしていた仲間たちとの関係は、あっけなく終わりを告げた。中途半端に居場所を残したまま別の社会階級に首を突っ込んだお馬鹿な少女の、当然といえば当然すぎる末路だった。
私は仲間たちを集め、“冒険性の違い”を理由にパーティの解散を告げると、大嫌いだった実家へ戻り、何度目かの引退中の父親と暮らすことにした。
単純に、他に行くあてがなかったからである。
当面の目標を失い、苛立つ気力すらなく、ただ無意味に過ごすだけの日々。
そんな灰色の日常を終わらせたのは、黒髪黒目の美しい冒険者だった。
「マジカン殿はいらっしゃるかな?」
その瞳はこちらが怯んでしまうくらい真っ直ぐで、私には見出せなかった何かを常に捕らえているように感じられた。
彼女は賢者である父親をパーティに誘うために訪れたようだ。
若い。年のころは自分と同じくらい。これまで父親を勧誘してきた冒険者の中では、断トツの最年少である。
当時のユイカのレベルは八。無限迷宮での到達記録は三十五階層。
驚くべきことに、これまでパーティを組むことをせず、単独で迷宮に潜行してきたという。
開口一番、ユイカは父親に仲間になるよう要求してきた。
父親の信頼を得るために、ユイカは惜しげもなく自分の基本能力やギフトを公開したが、それよりも私が一番驚いたのは、彼女が語った目的だった。
自分の人生を賭けて、無限迷宮を含めた大陸すべての迷宮を踏破し、終焉を防ぐ――
たかが中級冒険者が、大言壮語に過ぎる。
しかも、“終焉の予言”などというものは、眉唾ものの噂、あるいはお伽噺に過ぎない。
それが世間一般的な常識だ。
通常であれば、「最近、大地母神教の信者が増えたな」と、ため息混じりに聞き流される類の話である。しかし、冷静な表情と口調で熱く語る同年代の少女から、私は目が離すことができなかった。
珍しく真剣に、その話に聞き入っていた。
洗脳まがいの教育や、誰かの受け売り話に乗せられてなどいない。
この子は、本気で――突き進もうとしている。
ぼんやりとした形の定まっていなかった私なんかよりも、遥かに大きな、そして具体的な目標を定めて。
父親の顔を横目で確認すると、かなり興味を惹かれている様子が見て取れた。
だから私は、父親が返事をする前に先手を打った。
「いいわよ。ただし、条件があるわ!」
それは、私も一緒に仲間にすること。
さすがに驚いて口を開こうとする父親を睨みつけ、封殺。
私は自分のレベル、基本能力、ギフトをユイカに公開した。
「今はレベルが低いけれど、すぐにあなたに追いついてみせる。絶対に足手まといにはならないから!」
「……ふむ」
直感で分かる。
この子は、自分の目的を達成するために必要のない者は、容赦なく切り捨てる。
絶対に、そうする。
こちらも覚悟を決め、死ぬ気で頑張らなくてはならない。
「私は構わないが。マジカン殿はそれでよろしいか?」
再び私は、父親を睨みつけた。
「……まあ、ええじゃろ」
こうして私は、ユイカとの運命的な出会いを果たし、冒険者に復帰したのである。
私の世界は、劇的に変わった。
それはまるで、色あせた景色が光を受け、鮮やかな色彩を得たかのようだった。
ユイカは普通とは違う。
思わず見惚れてしまうくらい美人で、剣技もすさまじく、反則的なギフトまで持っている。しかし、私の心を強く捉えたのは、一点の曇りのない夜空のような、美しい精神だった。
夜空は遠く、冷たく、揺ぎない。孤高の存在である。
私では真の意味でユイカの友人と呼べる存在には、なれないかもしれない。
それでも、同じ年頃ごろの同性の仲間として、一番近い立ち位置を確保することはできるだろう。
私の目標は決まった。
ユイカのそばに、私はいる。
夜の帳が下りたとき、真っ先に現れる一番星のように。
ユイカとともに数え切れないほどの潜行をこなすうちに、私のユイカに対する想いは膨らみ、磨きがかかり、それはほとんど信仰の域にまで達していた。
言うなれば、黒姫教、である。
ついでと言ってはなんだが、何故か父親との喧嘩が増えた。仲が良くなったのかわるくなったのかは微妙なところだが……ともかく。
私は再び、走り出すことができたのである。




