(11)
“宵闇の剣”と死霊魔王との死闘は、果てしなく続いた。
その様子を、シェルパであるロウはただ傍観する他なかった。
驚くべきことに、六本の腕を持つアンデッドの王は、多彩なアクティブギフトを行使しながら、空いている手で魔方陣を描いてくる。
「“必中”」
ここで活躍したのが、ヌークだ。
「“投擲”!」
指弾で鉄の飛礫を発射し、死霊魔王の腕を弾き飛ばす。骨を砕くまではいかなかったが、魔方陣が崩れ、霧散した。
闇属性の攻撃魔法を一発でも撃たせるわけにはいかない。
この戦いは、ヌークがどれだけ集中力を維持できるかにかかっている。
「――今っ!」
ベリィの合図とともに、巨大な死霊魔王の背が、灼熱の炎に包まれた。
今回、死霊魔王に対して最も効果的にダメージを与えているのは、間違いなく彼女が抱えている火蜥蜴だろう。位置取りと攻撃のタイミングをベリィが受け持ち、火蜥蜴がアクティブギフトを行使する。
さながら、移動砲台だ。
ユイカは粘液擬人を使って、死霊魔王を絡めとろうとしていた。動きさえ封じてしまえば、マジカンの得意とする光属性魔法で、一気に決着をつけられると考えたのだろう。
しかし、動きの遅い粘液擬人の触手は、空中を滑るように移動する死霊魔王を捕らえることができず、逆に影の鉤爪による逆撃を受け、一体また一体と戦闘不能に陥っていく。
広間内の戦況を見渡しながら、ロウは思う。
これまでの“宵闇の剣”の戦い方は、通用しないだろう。
死霊魔王の攻撃は、体力ではなく精神力を削る。回復の手段はない。しかも、定期的に骸骨兵士を呼び出すことができるようだ。
これまでは、戦況を硬直させることが“宵闇の剣”の勝利の条件だったが、この戦いは逆である。
長期戦は不利。短時間での勝負にかけざるを得ない。
そのことに、ユイカも気づいている。
予備兵力であるはずの四体の警備隊を、彼女は早くも前線に投入した。
『“枯手”……』
「――“跳兎”!」
影の鉤爪を、ユイカは高速移動用のギフトで回避する。
隙を見ては二体の魔牛闘志に細かな指示を出し、骸骨兵士たちを死霊魔王から引き離していく。
膨大な持久力を誇る魔物とはいえ、無制限に湧き出る敵に対し、巨大な戦斧を振り回し続けることはできない。魔牛闘士たちは徐々にその動きを鈍らせつつあった。
「姫っ、火蜥蜴が、もう限界!」
ベリィが抱えていた火蜥蜴は、“火砲”の使い過ぎでぐったりしている。
魔物だけではない。常に立ち位置を変えながら攻撃や回避を行い続けているユイカ、ベリィ、ヌークの三人も持久力を消耗し、後方で隙を窺っているマジカンにしても、残る魔力は多くない。
ロウの予想通り、戦況の天秤は時間の経過とともに不利なほうへと傾いていく。
しかしここで、粘液擬人がやってのけた。
のそりのそりと死霊魔王の背後に回り込み、その骨の尻尾に触手を絡ませることにより、ごく短時間ではあるが、敵の動きを封じることに成功したのだ。
「マジカン!」
ユイカの合図とともに、後方に待機している魔牛闘士の頭上に魔方陣が描かれた。
「“光刃”――ほいっ」
『“反鐘”……』
開幕の攻撃と、同じパターン。
しかし――
「“連続魔”!」
ややタイミングが遅れて、二本目の光の刃が発現する。再行使可能時間を狙った見事な攻撃だった。一本目は不可視の壁に弾かれたものの、二本目は素通りし、死霊魔王の腕を二本、跳ね飛ばした。
『ブルォオオオオオウルルグゥゥゥ』
切断された腕の先から、黒い煙のようなものが立ち昇る。
“連続魔”――直前に行使した魔法を再発動させる反則的なギフトだが、当然のことながら、消費する魔力の量も倍になる。
マナポーションを一気飲みすると、マジカンは前線に向かって叫んだ。
「もうすぐ、魔法は打ち止めぞ!」
その後、再び戦況は均衡した。
死霊魔王が召還する骸骨兵士の数は、どうやら腕の数に依存しているらしく、一度に召喚される数は、六体から四体に減った。対する二体の魔牛闘士が骸骨兵士たちの一群を圧倒するようになると、これを勝機と見たユイカは、最後の予備戦力である魔牛闘士――“ミノりん三”を前線に投入した。
死霊魔王が放つ影の鉤爪は、それほどスピードはないが、膨大な体力も頑強な鎧も意味をなさない。一撃でその精神力に致命傷を与える。
そして、精神の死は肉体の死と同義である。
動きの遅い味方の魔物たちは、確実に鉤爪の餌食となり、次々と倒れていく。
だが、ユイカに使役されている魔物たちは、恐れを知らない。愚直な攻撃を繰り返し、ついに――魔牛闘士の戦斧が、死霊魔王の腕を一本、叩き折った。
『ルォオオオオオゥゥゥ』
不利を悟ったのか、空中を滑るようにして後方に下がろうとする死霊魔王。
「させんぞ!」
その動きを、マジカンは見逃さない。
残りの魔力をかき集め、土属性の魔法を行使。
「“土塊櫓”」
死霊魔王の背後の土が隆起して、扇状の壁が形成された。本来は防御用の魔法なのだろう。それをマジカンは、敵の動きを阻害するために使ったのだ。
死霊魔王が後ろ向きに土壁に衝突し、態勢が崩れる。
そこへ――いつの間にか鉄球棍棒を拾っていたヌークの“投擲”と、ベリィの双刀による“旋風”のクラッチ攻撃が炸裂。
さらに一本の腕を破壊した。
黒衣に包まれた巨体をよじりながら、死霊魔王は残った二本の腕を突き出す。
『“枯手”……』
最後の魔牛闘士と警備兵が影の鉤爪に貫かれ、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
これで、味方の魔物たちは、ほぼ壊滅。もはや骸骨兵士すら倒すことは難しいだろう。
そんな状況を見透かしたように、骸骨魔王は両手を広げる。
この戦いで何度も見せた、独特の仕草。
『隔離世……』
「“跳兎”!」
接近時における、骸骨兵士の召喚――相手が完全に無防備になるこの瞬間を、彼女は待っていた。
ひと呼吸分のみ瞬発力を倍増させる、高速移動用のギフトを行使し、ユイカが跳躍する。
空中で真正面から対峙する、“死霊使い”と“死霊の王”。
「終わりだ!」
ロウは見た。
この攻撃を外せば、全てが終わる極限の状況の中、ユイカは笑っていた。
艶のある黒髪を振り乱し、黒曜石の瞳をぎらつかせながら、まるで獲物を仕留める瞬間の黒豹のように、会心の笑みを浮かべていた。
光なき左の眼窩に刺突剣が吸い込まれ、その切っ先が、死霊魔王の魔核を貫く。
「――“幻操針”」
生き残った魔物は、骸骨騎士一体と、その動きを封じ込めていた粘液擬人一体、息も絶え絶えの火蜥蜴が一体のみ。
逆に失った魔物は、二角獣十三体、魔牛闘士三体、警備兵四体、そして、粘液擬人六体。
まさに総力戦である。
ユイカは睡眠不足と激戦の影響で、ややふらついている。
マジカンは魔法の使い過ぎで、魔力が枯渇状態。
ヌークは敵の骸骨兵士の一体を関節技で仕留めるという快挙を成し遂げたが、そのあと別の骸骨兵士に囲まれて、ぼこぼこに殴られた。相変わらずの無表情だが、顔は血だらけで腫れ上がっている。
そしてベリィは……勝利の余韻に浸ることもできず、がっくりと両膝を地面についた。
両肩を抱きかかえるようにして、がたがたと震えている。
ユイカが心配そうに覗き込むが、強がりの笑みすら返すことができない。
「どうした、ベリィ?」
「ちょっと、掠った、かも……」
死霊魔王の“枯手”を、完全にはかわしきれなかったのだ。
「ダーリン、来てくれ!」
精神の傷は、回復させることが難しい。
“鑑定”の上位交換であるギフト“神眼”を持っていた過去の冒険者の著書によると、ひとには隠しパラメーターとして、正気値なるものが存在するという。
一種の防波堤と考えると分かりやすいだろう。この値を超えない波――精神的ダメージを受けなければ、問題はない。一時的に精神力は消耗するが、しっかりと休憩をとるなりすれば、元の状態に戻せる。
危険なのは、正気値を超える波を被った場合で、それは傷として残る可能性がある。
錯乱、自閉、発狂、精神死――と、その症状は様々だが、隠しパラメーターのひとつである精神の通常状態そのものが書き換えられてしまうという。
つまり、異常であることが正常と判断され、回復という行為そのものが意味をなさなくなるのだ。
幸いなことに、ベリィには自覚症状があり、冷静に自分の状態を把握し、その原因を推測することもできていた。
会話もきちんと成立している。
おそらくは、正気値を越えるダメージは受けていないだろうと、ロウは判断した。
「心配はいりません。マインドポーションを飲んでゆっくり休めば、回復しますよ」
あえて断言してみせたのは、ベリィ本人を安心させるためである。
さらに、ユイカにマインドポーションを渡して、手ずからベリィに飲ませることにする。
これもまた、ベリィの精神を安定させるための措置だった。
「あ、ありがと、姫……」
震えが止まり、ベリィが大きく息をついたところで、ロウは確実に寝不足となるユイカのために用意していた特製の飴を差し出した。
「マインドポーションを蒸留したものを練り込んだ飴です。味は微妙ですが、効果は保障しますよ。しばらくなめていてください」
「……うん」
このときばかりは、ベリィも嫌がらずに大人しく受け取った。強がって反発する気力すら残っていなかったようだ。
「ロウ、ベリィを頼む」
ユイカはその場を離れ、沈黙している死霊魔王の元へと向かった。
迷宮主にすら選ばれるほどの魔物を使役したとはいえ、油断することはできない。著しく戦力が低下している状態でさらなる魔物が現れたら、それこそ一貫の終わりである。
死霊魔王に命名し、周囲を警戒させる必要があったのだ。
二度に渡る激闘を繰り広げた相手――黒衣を身に纏う巨大なアンデッドの王に、好奇心が沸いたのだろう。ヌークとマジカンが感嘆の声をあげながら、やや遠巻きに観察している。
達成感と安堵感で、やや気が抜けたような状態。
ド、ド、ド、ド……。
かすかな振動が、伝わってきた。
実際のところ、戦いの最中からその現象はすでに発生していたのだが、あまりにも濃い魔気と激しい戦闘により、誰も気づくことができなかったのだ。
ドドドドドドドド……。
振動のリズムは急激に早まり、視界でそうと確認できるほどの揺れとなる。
「……地震?」
ユイカが足を止め、周囲を警戒する。
直後、ぼんやりと光り輝く地面が、荒れ狂う海のように波打った。
「全員、伏せろっ!」
広間の至るところで、隆起と陥没が起き、見上げるほどの天井から巨大な光苔の塊が落下してくる。
通路の位置がずれ、広間の壁が迫ってくる。
これは、地震ではない。
ゴゴゴゴギギギギギ……。
「迷宮改変です。気をつけて!」
ロウの叫び声は、巨大な塊同士が擦れるような音に、かき消された。
やや離れた距離で、互いに見つめ合うロウとユイカ。
その視線を切り裂くように、地面が隆起し、壁となる。
さらには、地面そのものが移動し――
地下五十階層に、新たなる迷宮が、形づくられた。




