(8)
淡い緑石色の光苔に覆われた、地下四十八階層。
ロウは周囲の様子に気を配りつつ、シェルパの杖と呼ばれる道具で座標を確認し、細かな方眼紙に特殊な記号を書き込んでいく。
その分、進行のスピードは落ちるが、帰り道を見失ってしまっては大事である。
さすがのベリィも、文句を言ってロウの仕事を邪魔したりはしない。
「黒姫さま。この先――強大な気配があります。おそらく、三体かと」
ヌークの警告にユイカが口元をほころばせたのは、先ほどから彼が強大なという表現ばかり使っているからだろう。
「この深度までくれば、雑魚など出てはこない。全力で叩き潰すぞ」
通路から広間へ移ったが、魔物の姿はなかった。
“索敵”のギフトを持つヌークが勘違いをすることはない。
前回の探索で見逃した粘液玉子の可能性も疑ったが、天井や床面にもそれらしき影はない。
パーティのメンバー間に緊張が走る。
「ダーリン。地下四十七階層までに、姿を隠す、もしくは我々の目を欺ける魔物はいたか?」
ユイカの問いに、ロウは首を振った。
「いませんね。可能性があるとすれば、“幻惑”か“擬態”のギフトを持った敵――でしょうか」
しかし、気づかないうちに五人全員が“幻惑”にかかっている可能性は低い。何よりもユイカには、“状態異常耐性”のパッシブギフトがある。
そして“擬態”であれば、敵は壁や床に張り付いたまま、冒険者が近づいてくるのを窺っているはず。
ロウは四つん這いになると、地面を覆う光苔に耳を当てた。
「……いますね」
メリメリと、何かが軋むような音が伝わってくる。周囲の地面をよく観察すると、ところどころ光の色合いが違う部分があった。かすかに斑模様になっているようだ。
「魔物は地面の中を移動しているようです」
ユイカが使役していた魔物たちの動きを止めると、やや遅れて地面の音も止まった。
これで“擬態”の線も消えた。
おそらく、タイロス迷宮では確認されていない魔物なのだろう。
「魔物図鑑に、目無蛇と呼ばれる魔物が載っていましたが、どうでしょう」
「……ふむ。実際に目にしたことはないが、遭遇したという冒険者の話は聞いたことがあるの。地中に潜む丸太のように巨大な蛇で、いきなり足を食いちぎられたとか。そやつは義足をつけておった」
「――げっ」
ロウとマジカンの会話に呻き声を上げ、そろりと片足を浮かしたのは、ベリィである。
目無蛇についてはユイカとヌークも知識があるようで、難しい顔で考え込んだ。
「確か火属性の魔法が有効らしいが、やっかいだな。地面の中では攻撃手段がない」
「……囮を使うしか、ありますまい」
現在、ユイカが使役している魔物は十八体。骸骨兵士五、火蜥蜴六、豚鬼五、そして魔法を使える小悪魔が二。
ヌークの献策により、動きの早い火蜥蜴を囮とすることにした。
ユイカの命令に従って、まるで雪を見て興奮する犬のように、軽やかに走りまわる“サラダ六”。
だが、微笑ましい雰囲気など皆無である。火蜥蜴は生贄であり、メンバーたちは緊張し、固唾を呑んで攻撃のタイミングを窺っていた。
やがて、光苔が捲り上がり、黒色の塊が地面から飛び出した。
光沢があり、ぬめりがある。全身黒一色だが、濃淡による縞模様がある。
大人が抱えきれないほどの太さで、全長は不明。その先端は巨大な口になっており、するどい牙がびっしりと生えていた。
特徴は一致する。おそらく――目無蛇だ。
『キュイ!』
“サラダ六”が悲鳴を上げたが、その素早さと小柄な体格が幸いした。文字通り目のない目無蛇の狙いはそれほど正確ではなく、火蜥蜴はその尻尾だけをわずかに掠らせて、命拾いしたのである。
地面から生える大木のように、棒立ちになりうごめく目無蛇に、周囲の魔物たちが攻撃を加えようとする。
その動きが察知されたのだろう。
斧を振りかぶった豚鬼が、別の目無蛇に飲み込まれた。
近くにいたベリィが尻餅をついたが、起き上がろうとする行動を、ユイカが制した。
「動くな!」
目無蛇は三体。
まだ一体、姿を現していない。
「ひ、姫ぇ~」
掠れるような小声で、ベリィが助けを求める。
二体の目無蛇が地面の中に姿を消し、ユイカは歯噛みした。
「マジカン、魔法はどうだ?」
“浮遊”のギフトを使っているマジカンであれば、地面に振動を与えることなく、敵にダメージを与えることができるだろう。
しかし、賢者は気が乗らないようだった。
「魔法は発動までに時間がかかるし、わしは火属性の魔法を持っておらん。一撃で倒せるとは限らんぞ」
これが魔法ギフトの弱点である。
魔法を行使するには、杖や指先で魔方陣を描く必要があるのだが、強力な魔法ほど複雑になるため、発動までに時間を要する。先に描いて待機させることもできないし、焦って不正確な魔方陣を描いてしまえば、崩陣してしまう。
「……他にアイディアは?」
メンバーたちが沈黙する中、おそるおそる手を上げたのはロウだった。
彼が出した案は、発動の早い火蜥蜴のアクティブギフト――“火砲”を使うというものであった。
しかし、ギフトを使用する瞬間、火蜥蜴は動きを止め、敵のいる方向に身体を動かし、地面についた足を踏ん張る必要がある。
その振動を、目無蛇は見逃さないかもしれない。
「ですが、我々が砲台になれば、気づかれないかもしれません」
ユイカは即断即決した。
「採用しよう」
まずはヌークが指弾に使っていた小石を遠くに投げて、目無蛇を遠ざける。
それほど知能の高い魔物ではないようだ。小石が転がったあたりから、三体の目無蛇が姿を現したところで、ベリィが起き上がり、ユイカが火蜥蜴を呼び戻した。
五人が一匹ずつ火蜥蜴を抱きかかえる形になる。
あとは、“サラダ六”が囮になり、五体の火蜥蜴による一斉砲火を浴びせるのだ。
この作戦は有効だった。
“火砲”を放つ瞬間に反動がくるが、抱えている人間がうまく力を殺してやれば、目無蛇に気づかれずに済む。
魔物図鑑にあった情報――目無蛇の弱点は間違ってはいなかった。
どうやら身体を覆っていたぬめりは油のような成分で、地面を移動する際に摩擦を軽減させる効果があるらしい。“火砲”を浴びた魔物は炎上し、空気を切り裂くような絶叫を上げた。
途中、“サラダ六”が巨大な口と牙の犠牲になったが、替わりに豚鬼を囮役にして、少しずつ目無蛇たちを弱らせていく。
二十回を越える攻撃の末、三体の目無蛇が耳障りな断末魔とともに、地面の上に横たわった。
「ヌーク、近くに敵は?」
「……いません」
そこでようやく、ユイカも肩の力を抜いた。
あたりには黒煙と焦げ臭い匂いが漂っている。
犠牲となったのは、火蜥蜴が一体、豚鬼が五体、そして骸骨兵士が三体である。大きな損害だが、幸いなことに補充がきく要員でもあった。
「運が、よかったな」
ヌークの“索敵”と火蜥蜴の“火砲”がなければ、苦戦は必死だっただろう。ほとんど“死の遭遇”に近い難敵である。
“索敵”のギフトを持つ冒険者は他にもいるだろうが、魔物を操る“幻操針”は、今のところユイカにしか使えないユニークギフトだ。
「通常の冒険者パーティであれば、どのように攻略するのだろうな」
何気なく口に出した問いに答えたのは、ロウだった。
「火矢しかないでしょう」
しかし、弓は不人気な武具である。矢という消耗品が発生するため、荷物がかさばり、攻撃回数にも制限がつく。しかも、放たれた矢にはギフトを乗せることができないので、攻撃力にも欠ける。中階層までならばともかく、膨大な体力を誇る深階層の魔物に対しては、有効でないことが知られていた。
ゆえに、上級冒険者の中に弓戦士はほとんどいない。
「今後、タイロス迷宮の深階層に挑むパーティは、使うかどうかも分からない弓矢を持参することになるでしょうね。しかも、“索敵”がない場合、常に地面の音を確認しながら探索する必要があります」
ユイカはロウから目を離せないでいた。
未踏破階層では、どのような魔物が出現するか分からない。
強力なギフトを行使する魔物よりも、目無蛇のように特殊な生態を持つ魔物の方が、遥かに危険度が高いこともある。
そんなときにパーティを救うのは、冒険者レベルなどではなく、魔物に対する知識や柔軟かつ独創的な思考能力である。
“持久力回復”という特殊なギフトに目を奪われがちだが、それだけではないロウの価値に、ユイカは気づいていた。
これほどのお買い得物件は、そうは転がっていないだろう。
間違いない。自分には、男を見る目があるのだ。




