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(2)

 まっすぐ家には帰らず、ロウは大通りの一角にある親戚の家に立ち寄った。

 夕暮れどきである。

 オレンジ色の光に照らされながら玄関先にしゃがんでいた少女が、ロウの姿に気づくや否や、全力で駆け寄ってくる。

 たったったった――どすん。


「ただいま、マリン」

「――っ」


 お腹のあたりに突撃した少女は、無言のままぐいぐい額を押しつけてくる。

 やや癖のある薄茶色の髪を撫でながら幼い激情をなだめていると、玄関の扉が開いて、中年の女が出てきた。


「帰ったのかい、ロウ」

「あ、ムラウさん。どうもありがとうございました」


 中年の女性――ムラウは無言のまま手を出した。

 ロウは財布から銀貨を取り出して、その手に乗せる。


「仕事のときには、またよろしくお願いします」

「ふん、愛想のない子だよ」


 少女の背中をじろりと睨んでから、ムラウはやや乱暴に玄関の扉を閉めた。

 対話は、それで終わりだった。

 ロウとその妹――四歳の少女であるマリエーテはふたり暮らしである。ロウがシェルパとして迷宮に潜っている間、親戚であるムラウに妹を預けているわけだが、この中年女はがめつい上に、性格も厳しい。マリエーテも極度に人見知りする性質たちなので、どうにも相性がわるいようだ。


「ごめんな、マリン」


 様々な思いを含めて謝ると、額を押しつけながらマリエーテが首を振った。


「さ、買い物をして、夕食にしよう」

「……お手伝い、する」 

「今回は稼げたから、肉とミルクを買おうか」


 マリエーテが顔を上げて、大きな目を輝かせた。


「シチュー?」

「そうだよ」


 ムラウの家はいわゆる中流の家庭だが、とにかくケチなので、限りなく出費を抑えようとする。自分が留守の間、妹にろくな食事が与えられていないことをロウは知っていたが、だからといって別の託児所を探すことは難しかった。

 シェルパは常に死と隣り合わせの職業だ。

 万が一戻れなかった場合のこと考えると、おいそれと他人の子供を預かってくれるお人好しはいないのである。

 対策としては、メイドを雇うか、あるいは子供好きの女性と結婚するか。

 メイドはともかく、結婚は難しいかもしれない。


「悪評が、広まっているからなぁ」


 ついと服の裾が引っ張られた。


「……おんぶ」

「はいはい」


 家に帰ると、ふたりで食事の準備にとりかかる。

 マリエーテは家事手伝いが好きなようだ。特に兄と一緒に料理をすることはお気に入りのようで、鍋の中をかき混ぜながら小声で童謡を歌ったりもする。

 普段あまりしゃべらないので知っている人は少ないが、リズム感がよく、澄み切った空のように心が洗われる歌声だった。


「お兄ちゃん。だんじょん、もうないの?」

「そうだな。“雷撃でんげき土竜もぐら”さんも“鉄仮面”さんも潜行ダイブ中らしいし、“一番槍”さんはリーダーが入院中だし、しばらくはお休みかな」

「~♪」


 冒険者から依頼が来れば、基本的にシェルパの仕事を断ることはない。しかし、依頼を受けて明日にも迷宮入り――ということにはならない。

 準備期間として、最低でも三日間。

 そのことは冒険者たちも心得ているので、迷宮を探索する際には、冒険者ギルドに常駐しているシェルパの受付担当に、事前の予約を入れる仕組みになっていた。

 現在のところ、ロウ個人には指名予約は入っていないので、しばらくは家族水入らずで過ごせる計算になる。 

 お弁当を作って、町外れの森へピクニックに出かけようか。それとも、マリエーテも身体が大きくなったので、服の仕立てにいこうか。物置小屋の雨漏りの修理をしなくてはならないし、燻製肉などの保存食も作りたい。

 夕食のテーブルで話し合いながら、ふたりきりの家族の夕食は、穏やかに過ぎていった。






 ――翌日。

 ロウが案内人ギルドに出勤し、潜行報告書ダイブレポートを提出すると、ギルド長の部屋へ顔を出すよう命じられた。

 現在のギルド長はグンジといい、筋骨逞しく、むさくるしい髭面の中年男である。まさにシェルパらしい人物といえるだろう。

 二年ほど前に腰を痛めて現役を引退したが、それまではタイロス迷宮のシェルパのエースとして、長らく活躍していた。


「……家でマリンを待たせているのですが」

「来て早々、不機嫌そうだな、おい」


 ロウにとってグンジは、一応、師匠にあたる人物だった。

 だが、現役時代のグンジは、迷宮に潜ることしか興味がなく、聞き分けのよかったロウに準備作業のすべてを任せた――いや、押し付けたのだ。

 食糧やポーションの買い出しから、仕事道具の整備、修理。挙句の果てには潜行報告書ダイブレポートまで代筆させられるようになり、そこでようやくロウは、自分が利用されていることに気付いたのである。

 ロウに自分の仕事をさせている間、酒を飲んだり賭け事をしていたことがバレたグンジは、前ギルド長にこっぴどく叱られて、ロウの前で土下座させられ、以来、ロウに頭が上がらない状態になっている。 

 師匠と呼んできらきらとこの男を見上げていた過去の自分に、ときおりほろ苦いものを感じてしまうロウであった。


「グンジさんに呼ばれると、ろくなことがないですからね」

「こ、今回は違うぞ。とても――いい話だ」


 最近、依頼拒否名簿ブラックリスト入り寸前の、問題のある札付き冒険者パーティばかり押し付けられていたこともあり、ロウのグンジに対する信頼度は、現在もなお低迷中である。

 グンジはひとつ大きな咳払いをすると、逞しい腕を組んだ。


「お前も聞いているかもしれんが、うちの迷宮に大物がやってきた」

「“宵闇の剣”ですか?」

「そうだ。最近ちまたを賑わせている東の勇者――今、最も勢いのある冒険者パーティだな」

「近々、遠征がありそうですね」


 冒険者たちの実力を示す指標のひとつに、パーティレベルがある。

 そのパーティに属している冒険者の人数と平均レベルによって決定されるもので、標準パーティ――つまり、四人の場合、メンバーの平均レベルが、そのままパーティレベルになる。

 そして迷宮には、それぞれの階層ごとに適正レベルが設定されている。

 あくまでも目安ではあるが、パーティレベルと適正レベルが一致していれば、その階層は探索に適している、ということになる。

 たとえば、タイロス迷宮の地下四十階層の適正レベルは、十三。

 しかし、それほどの高レベル冒険者が四人以上そろうことはまれであり、実際にはパーティレベル十くらいのパーティが複数集まって、集団で迷宮を攻略していく形になる。

 冒険者たちの人数が増えると、当然のことながら荷物も増えることになり、必要となるシェルパの数も増えていく。

 これが、未踏破階層や迷宮核を目指すときの一般的な布陣――遠征だ。

 命知らずの英雄たちの行軍は、ちょっとした見世物になる。

 出発時、冒険者ギルドから迷宮の入口までの花道には、物見高い住民たちが押しかけて、お祭り騒ぎになるのが常であった。

 冒険者にとってもシェルパにとっても、遠征に参加することは名誉なことである。父親が存命だった頃のロウであれば、一も二もなく参加の希望を打診したことだろう。

 しかし今や、状況が変わっていた。

 シェルパとしての名誉よりも大切なものが、ロウにはあるのだ。

 通常の迷宮探索ならば、潜行期間は三日から一週間程度。しかし、遠征ともなれば、ひと月を越えることもある。

 その間、ひとり残される幼い妹はどうなるだろうか。

 ろくな食事を与えられず、不安と寂しさのあまりベッドで泣いたりはしないだろうか。

 昨日、夕焼けの中で自分のお腹のあたりに突進してきた妹の姿を思い浮かべ、ロウはごく自然に決断を下した。


 ――遠征の参加は、断ろう。


 優秀なシェルパは何人もいる。自分ひとりが抜けたところで、問題はないはずだ。


「いや、遠征は行わない」

「……は?」


 予想外の言葉に目を丸くしたロウを見て、グンジが得意そうに笑った。


「“宵闇の剣”は、他のパーティと組むことをよしとしないそうだ」

「つまり、タイロス迷宮の単独攻略を目指すと?」

「ああ、実にぶっとんだやつらだな!」


 グンジの声には、無茶を褒め称えるような響きがあった。


「ちなみに、彼らのパーティレベルは?」

「十二」

「……人数は?」

「標準パーティだ」


 現在、タイロス迷宮の到達記録は、地下四十七階層。

 その適正レベルは、十五。

 最下層と予想される五十二、三階層では、十六、七に達するだろう。


「低レベル、攻略……」


 おぞましい魔物でも目撃したかのように、ロウは呻いた。

 まるきり不可能な行為というわけではない。パーティレベルと実際の強さというものは、正確には一致しないからだ。

 冒険者たちが持つ特殊能力――ギフトによって、パーティの戦力は大きく変わる。特に攻撃系の魔法ギフトは絶大な威力があり、低レベルでも強力な魔物を倒すことができる。

 そして、適正レベル以上の階層へ潜る利点は、確かに存在する。

 大きな経験値を内包する魔核や、価値の高い成果品ドロップアイテムを入手できる可能性があるからだ。


「実は、冒険者ギルドから直接依頼が入ってな。“宵闇の剣”は、シェルパをひとりだけ要望しているそうだ」

「……」

「この条件が、なかなかに厳しい。ひとつ、経験豊富かつ優秀なシェルパであること。ふたつ、自身が冒険者の経験があり、そのレベルが五以上であること」


 この時点で、対象となるシェルパは、ロウを含めて三人。


「みっつ、愛想がよく丁寧な応対ができる者」


 ロウひとりになった。

 先輩であるビバは無口でぶっきらぼう。

 そしてザーンは気が荒く、喧嘩っ早い。


「最後のひとつは、冒険者ギルドの要望でしょう」


 冒険者たちがシェルパを選ぶ基準は、純粋に経験と能力のみ。高レベルの冒険者になればなるほど、その傾向は強くなる。

 だからこそ、ビバやザーンにも多くの指名が入るのだ。

 おそらく最後の条件は、“宵闇の剣”が出したものではない。王都の冒険者ギルドの花形スターである“宵闇の剣”に対し、失礼があってはならないと、タイロスの冒険者ギルドの幹部あたりが気を回した結果ではないか。

 ロウの指摘を、グンジは聞いていなかった。


「というわけで、お前を推薦しようと思う。喜べ」

「――」


 遠征の場合は拘束期間が問題だった。

 しかし、低レベル攻略となると、命の危険性が高くなる。

 パーティレベル十二で、適正レベル十六、七の階層を突破し、迷宮核を入手する?

 冗談ではない。

 これでは命がいくつあっても足りはしない。

 にっこりと笑って、ロウは回答した。


「お断りします」

「――母ちゃん!」


 まるでロウの返答を予想していたかのようにグンジが叫び、奥の客室から前ギルド長の老婆――ギマと、黒髪の美しい冒険者がやってきた。

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