(5)
「やっとひと息つけたわ」
冒険者ギルドの受付カウンター内で、スーラは思わず本音を漏らした。
気の強そうな顔立ちをした二十歳くらいの女性で、赤みがかった長髪をやや高めに結わえている。冒険者ギルドから支給された紺色の制服をぴしりと身につけており、物腰にも隙がない。荒くれ者の多い冒険者たちに対して一歩も引かずに立ち回る彼女は、よい意味で冒険者ギルドの名物といえる受付譲だった。
「スーラさん。お疲れさまでした」
隣に座っているアンがにこりと微笑む。
こちらは栗色の髪をショートカットにまとめた可愛らしい受付嬢である。年齢は十代の後半くらい。スーラと良く似たデザインのベージュ色の制服姿。彼女は案内人ギルドからの派遣職員だ。
「ううん、アンちゃんも手伝ってくれてありがとうね。本当なら、冒険者ギルドの職員で対応しなくちゃいけないのに」
「いえ、今日は私も仕事になりませんから」
冒険者ギルドのロビーにある受付は、ここ数日来の落ち着きを取り戻しつつあった。
未到達階層へと続く螺旋道と新たなる迷宮泉が発見されてから、冒険者や町の住人たちからの問い合わせが殺到し、ギルド内の受付は完全に飽和状態になっていたのだ。
そして本日、住民向けの説明会が行われることになり、つい先ほど開始されたところである。途中参加はできないので、ロビー内の雰囲気は静かなもの。五、六人の冒険者たちがソファーで談笑したり、掲示板で依頼内容を確認したりしている。
一方、説明会が開催されている講義室はというと、今回はゲストとして“宵闇の剣”のメンバーが出席するということもあり、立ち見が出るほど盛況だ。
「でもみなさん、冒険者でもないのに熱心ですね」
先日行われた上級冒険者向けの説明会も盛り上がったようだが、彼らには生活がかかっているので、まだ理解できる。しかし、この町の住民が迷宮の情報を知ったところで、何かの役に立つわけではない。
そんなアンの疑問に、スーラはさもありなんといった感じで説明する。
「娯楽の少ない田舎町だからね。話の種にもなるから、こういったイベントは見逃さないし、冒険者じゃなくても迷宮好きは多いのよ。下手な初級冒険者よりも詳しいマニアもいるくらい。それに、今日は東の勇者さまが来てるから」
「確か、説明会の最後には質疑応答の時間もありましたよね?」
「そう。あわよくばお話ができるかもしれない――とか思ってる馬鹿が多いのかも」
「しっ、聞こえちゃいますよ、スーラさん」
冒険者ギルドは住民に開かれた組織を目指している。冒険者たちは町中で問題を起し、住民に対して迷惑をかけることも多いので、今回のようなイベントを企画して、少しでも印象を良くしたいというのが上層部の意向のようだ。
もちろん、受付譲暦七年のスーラはそのことを承知しており、カウンター内での会話は周囲の客に聞こえないよう配慮しているし、真面目な表情を保ったままだ。
いまだそこまでの領域に達していないアンは、薄手の手袋を頬に当てて、悩ましげにため息をついた。
「いいなぁ。私もユイカ様とお話ししてみたい」
「……意外とミーハーなのね、アンちゃん」
「だって、素敵じゃないですか」
アンは勢い込んで力説した。
曰く、背が高くて、髪は長くて真っ直ぐで艶々で、美人で人気もあって、おまけに冒険者レベルも高くて――
「それなのに、私と同じくらいの年なんですよ。ほんとにもう、信じられない!」
“宵闇の剣”のリーダーであるユイカは、今もっとも注目されている冒険者のひとりだ。
本拠地である王都でも、ひとたび迷宮探索が決まれば、その美しい姿をひと目見ようと、たくさんの人々が押しかけるらしい。冒険者としての人気で彼女に迫れるのは、西の勇者パーティのリーダーくらいだろう。
「潜行計画書を提出するために、受付に来てくれるかと思ったんですけど、案内人ギルドの方に直接出されたみたいで」
「それは残念だったわね。でも――」
別の方向に視線を向けながら、スーラはアンに言った。
「勇者さまのことが知りたいなら、あいつに聞けばいいんじゃない?」
ふらりとロビーにやってきて、誰かを探すような素振りを見せていたのは、小麦色のおさげ髪の青年、ロウだった。今日は仕事用の長外套ではなく、安物の普段着である。
ロウもこちらに気付いたようだ。
「やあ、ふたりとも」
「あ、ロウさん。お疲れさまです」
アンは丁寧にお辞儀したが、スーラの態度はぞんざいだった。
「あんたが受付にくるなんて珍しいじゃない。どうしたのよ?」
「ちょっと、待ち合わせをしていてね」
「冒険者?」
「うん、まあね」
ロウが冒険者だった頃から、スーラは付き合いがあった。
くされ縁といってもよいだろう。
昔のロウは計算高く身勝手な性格で、同業者ともめごとになることも多かった。受付譲のスーラはずいぶんとフォローしたものだ。
ロウが真人間――と呼べるかどうかは分からないが、周囲の人間に気をかける振る舞いをするようになったのは、ここ三、四年のことである。
年の離れた妹が生まれ、同時に母親を亡くしてからだ。
何事にも動じないずぶとさとお金にうるさいところは昔のままだが、他人に対して尊大な態度をとることはなくなり、協調性も出てきた。
だが、人間の本質はそう簡単に変わるものではないと、スーラは考えている。
「ちょっとあんたに聞きたいんだけどさ。“宵闇の剣”のユイカさんって、どんな感じのひとなの?」
あまりにも直球な質問に、ロウは苦笑した。
「……まあ、いろいろとすごいひとだよ」
「そこのところ、もう少し具体的に」
前のめりになりつつ、アンが聞いてくる。
少し考えてロウが答えようとしたところ、後方から三人の冒険者がやってきて、ロウを取り囲んだ。
「よう、ロウ。元気そうじゃねーか」
声をかけてきたのは、タイロス迷宮では古株の冒険者パーティ“魔倒車”のリーダーで、サグという名の冒険者だった。
ロウやスーラとは同年代の昔なじみである。
「現役のときは浅階層でうろちょろしてたやつが、大活躍だったな」
「転職して、ずいぶんと出世したじゃねーか。“階層喰い”さんよ」
他のメンバーふたりが、ロウを馬鹿にするように笑う。
露骨な嫌味にスーラが眉をしかめ、アンはびくりと身体を硬直させたが、ロウは愛想笑いを浮かべたままだ。
「へっ、ちょうどいいや」
サグがはロウの肩に腕を回した。
「なあ、やつらの情報――全部教えろよ」
「やつらって?」
「東の勇者さまだよ。お前、一緒に潜ったんだろう?」
サグが知りたがったのは、“宵闇の剣”のパーティ戦略やメンバーのギフトだった。
中級冒険者である彼らが知ったところで、参考にもならないし実践の役にも立たない。単に好奇心を満たしたいだけなのだろう。
微笑を保ちつつ、ロウは首を振った。
「わるいけど、おしゃべりなひとには教えられないね」
「んだとぉ、こら!」
突然サグがキレて、ロウの胸倉をつかんだ。
冒険者時代のロウのわるい噂を酒場などで言いふらしているのは、サグである。同年代でありながら冒険者レベルで負けていることに、納得ができなかったらしい。また、ロウはロウで露骨にサグを無視していた経緯もあり、ロウが冒険者を引退して四年が経った今でも、ふたりの関係は改善されてなかった。
「ちょ、ちょっとサグ――やめなさい。ギルド内では、喧嘩ご法度よ!」
慌てたようにスーラが割って入ったが、その声で周囲の注目を集めてしまったようだ。
しかし、ここは荒くれ者たちの巣窟、冒険者ギルドである。止めようとするものはなく、他の冒険者たちは面白い見世物が始まったとばかりにはやし立てた。
「お、因縁の対決だぞ」
「“魔倒車”のサグ対、“階層喰い”のロウだ!」
「ひょー」
引っ込みがつかなくなったのはサグである。ロウの胸倉を締め上げながら、殴るか突き飛ばすか迷う素振りをみせる。
そのとき。
「――何をしている?」
盛り上がりかけた空気を切り裂くのように、こつこつと硬質な足音が近づいてきた。
ロビー内にいる全員が声の主に視線を向け、言葉を失った。
腰にまで届く漆黒の髪と、黒曜石の輝きを宿した瞳。細身の身体を黒色の男装で包み、圧倒的な美しさと存在感を漂わせる。
ロウとサグの間まできて立ち止まったのは、噂の張本人であるユイカだった。
骨董人形のように整った顔は冷静を装っていたが、わずかに頬を引きつらせている。
「宵闇の、剣……」
「……から、……を離せ」
「あん?」
ぽかんとした顔のサグを、ユイカはものすごい形相で睨みつけた。
「私のダーリンから、手を離せと言った!」
「――っ!」
冒険者たちの序列は、年齢や性別で決まるのではない。
そのレベルと迷宮の到達階層――実績がすべてだ。
特に上級冒険者たちが受けている大地母神の加護――神気は強く、同じ冒険者であれば、その力を本能的に感じ威圧される。
レベル十二のユイカの怒号は、レベル六のサグの全身を貫き、尻もちをつかせた。
追い討ちをかけるように、地べたを這い回る害虫を見下ろすかのような、冷たい視線を放つ。
「ひっ――ひい!」
「ユイカ、ユイカ」
「……ん?」
「やりすぎです」
ロウに注意された瞬間、ユイカの殺気は霧散した。
いつの間にか、周囲はしんと静まり返っていた。
常にガンを飛ばしながら道を歩く無頼者が忌避されるように、上級冒険者たちは神気を抑えることが望ましいとされている。きちんと明文化されているわけではないが、それはこの業界の礼儀作法のようなものだ。
我知らず小物を威圧してしまったことを恥じ、ユイカは頬を染めた。
「いや――その、君。すまなかった」
「……」
床の上に座り込みぼかんとしていたサグは、はっとしたように気を取り直し、差し出された手を払いのけるようにして立ち上がった。
忌々しそうにロウを睨みつけたものの、同業者の面前で無様な姿を晒した事実を消すことはできない。捨て台詞を残そうか悩んだ挙句、「けっ」と踵を返し、仲間たちとともに冒険者ギルドを出て行った。
「……ひょっとして、ダーリンの友達か?」
「いえ、違います」
「なら、問題はないだろう」
あっさりと自己完結して、ユイカは受付カウンターにいるスーラに声をかけた。
「君、すまないが」
「は、はい」
「私は用事があるので、先に失礼させてもらう。もしギルド長が私を探しに来たら、そう伝えてもらいたい」
「……え? で、でも」
「会場にはメンバーのヌークを残してあるから大丈夫だ。質疑応答については無難にこなすだろう。面白みは欠けるかもしれないがな」
「あ、はい――」
やや混乱しつつも、スーラは頷いてしまった。
その隣で、アンが石像のように硬直している。
「ユイカ。ふたりは俺の知り合いなんです」
「ほう。そうなのか」
気を利かせたロウが話を振ったので、スーラとアンは慌てたように立ち上がって、自己紹介をすることができた。
「申し遅れました。当ギルドで受付をしております、スーラと申します」
「わ、私は――アンです。案内人ギルドから、は、派遣で来ています」
「“宵闇の剣”のユイカだ。いつもロウがお世話になっている」
「……」
先ほどからの会話の流れに違和感を感じて、スーラが頬を引きつらせる。
「ちょ、ちょっとロウ、どういうことよ?」
「え、ああ。何というか……」
いつになく、ロウの返答は歯切れがわるい。
物怖じしない性格のスーラは、直接ユイカに疑問をぶつけることにした。
「あの、失礼ですけど。ロウとはどういうご関係で?」
雇い主と雇われシェルパ。
あるいは親分と子分。
そんな予想は、あっさりと裏切られた。
「――恋人だ」
わずかに頬を染めながら、ユイカが断言した。
周囲の人間が息を呑み、緊迫した空気に包まれる。
ユイカはこほんと咳払いをした。
「で、ではダーリン、いこうか。マリンが心配だ」
「そうですね。おなかを空かせて待ってると思います」
呆気にとられている観衆の前で、美しい勇者と食えないシェルパは、にっこりと微笑み合ったのである。