(4)
地下四十八階層へ続く螺旋道と、新たなる迷宮泉の発見。
その情報は、迷宮に関係する人々に驚愕をもって受け入れられた。
冒険者ギルドの長は、可及的速やかに上級冒険者及び町の住民たちに対する説明会を開催するとの声明を出した。
案内人ギルド内も、にわかに騒がしくなった。
こちらも上級シェルパたちの臨時会議が行われ、“シェルパの地図”の刷新にともなう情報の共有が行われた。
“シェルパの地図”とは、案内人ギルドが管理している迷宮の地図のことである。
迷宮に潜行したシェルパたちが新しい情報を持ち帰るたびに、“シェルパの地図”は更新され、常に最新の情報が保たれる。
原本を持ち出しすることは許されておらず、シェルパたちは広間と特殊な記号だけが記入された偽図を携帯する。
万が一誰かの手に渡ったとしても、それだけでは通路や螺旋道の位置が分からず、現在位置を特定することができない。さらには迷宮改変が起きると、偽図そのものが役に立たなくなる。
迷宮の地図情報を独自管理し秘匿とすることで、案内人ギルドは冒険者たちに対し優位性を保ってきたのだ。
「――今後、上級冒険者パーティによる遠征が、ぞくぞくと組まれる可能性がある。各自、しっかりと頭の中に叩き込んでおくように!」
そう言ってグンジは、力強く会議を締めくくった。
野太い声で男たちが「うっす!」と気合を入れる。
未到達階層で得られる薬草や鉱物、そして魔物たちの成果品等は、相場が確立されておらず、莫大な利益を生む可能性がある。タイロス迷宮攻略の最前線にいる冒険者たちは、今ごろ目の色を変えていることだろう。
「ロウ坊、お前さんはちょいと残ってもらうよ」
荷物をまとめてそそくさと帰ろうとしていたロウは、ギマにつかまりげんなりとした。
客室に連行され、ソファーに座るよう命じられる。
「今日は、これから用事があるのですが……」
「用事くらいこっちにだってあるさ」
ギマは取り合わず、水出しのお茶をテーブルの上に二つ置いた。
とうに六十を越えた老婆である。身体が小さくしわも多いが、眼光だけは鋭い。
「……で、どうだったね、東の勇者殿は?」
「感想でしたら、先ほどの会議でも話したでしょう」
「うちの迷宮を、踏破できそうかい?」
「……」
ロウはお茶に口をつけて考え込んだ。
“宵闇の剣”のパーティ戦略の要は、なんといってもユイカのギフト“幻操針だろう。通常、階層が深くなれば敵が強くなり、攻略が厳しくなるところ、このギフトは逆に強力な仲間を手に入れることができる。しかも、使い捨てが可能という便利な手駒だ。
他のメンバーたちも、まだすべてのギフトを見せてはいない様子。
弱点といえば、彼女が意識を失った瞬間、支配していた魔物たちが敵になることと、彼女自身が状態異常を受けた場合に回復の手段が乏しいことだろうか。
「これまで見たパーティの中では、一番可能性は高いと思います」
「――そうかい」
とぼけたように頷くと、ギマはキセルの煙草に火をつけた。
ぷはぁと紫煙を吐き出しながら、老婆は何かを思案するかのように目を閉じる。
用事があると言ったくせに、その後は最近の町の様子や“宵闇の剣”以外の冒険者たちの活躍など、当たり障りのない世間話になった。
漠然とした不安あるいは予感のようなものを、このときロウは感じていたが、老婆の真意を推し測ることはできなかった。
家に帰ると、ロウはマリエーテと連れ立って大通りの一角にある家を訪問した。
「ずいぶんと遅かったじゃないか」
不機嫌そうな顔で戸口に出てきたのは、唯一の親戚であるムラウである。
「仕事が長引いてしまって。すいませんでした」
そう言ってロウは、ユイカにもらった高級菓子を差し出した。
立派な木箱の上に押された焼印を一瞥して、ムラウは眉間にしわを寄せる。
「甘ったるい菓子は好きじゃないんだ。歯が溶けちまうよ」
そう言いながらも手土産を受け取った。
甘ったるい菓子がムラウの大好物であることを、もちろんロウは知っていた。
「さっさとお入りな。わるいけど、もう食べ始めてるよ」
「ありがとうございます」
ムラウの一家は四人家族である。
夫のダッシは恰幅のよい中年男で、穀物を運搬する店に勤めている。子供はふたりでそばかす顔のバルと、同じくくそばかす顔のミッチ。十二歳と十歳の男の子だが、すでに食事を終えて自分たちの部屋に引っ込んでいるようだ。
「ロウ君、最近どうかね、仕事の方は?」
月に一度の食事会。
ダッシの会話はいつもここから始まる。
「はい、おかげさまで順調です」
ロウは自分が東の勇者のシェルパに選ばれたこと。最初の迷宮探索で大きな報酬を得ることができたことを報告した。
パンは固く、スープの具材は少ない。
ロウの隣で、マリエーテが息を殺すように食事をしている。
「ほう、それは素晴らしいな」
ダッシの目つきが変わったが、ロウは気付かないふりをした。
しばらく食事を続けながら、今月はいくつかの仕事をこなしたこと、そして自分が安心して迷宮に潜ることができるのは、ダッシさんとムラウさんのおかげであることを伝えた。
「いやいや、礼にはおよばないよ。まあ、親戚とはいえ、他の家の子供を預かるのは、大きな責任がともなうことは事実だがね」
「恐れ入ります」
対価としては十分な金を渡しているのだが、ダッシもムラウも、そしてロウもそのことについては触れない。
「ところで……」
ダッシが問いかけた。
「どれくらい貯まったのかね?」
ロウはスプーンを皿の中に置いて、考える素振りをみせた。
実際のところは、事前に計算を済ませてある。ロウは自分の貯蓄額――の半分の額を、ダッシとムラウに伝えた。
万が一迷宮内で事故が起こりロウが戻らなかった場合、マリエーテが成人するまで面倒をみてもらうという条件のもとで、ロウは自分の財産をムラウに譲る取り決めをしていた。
血の繋がりがある以上、法的にはムラウにマリエーテを引き取る権利があるのだが、ロウが財産の管理を別の人間に任せる可能性があることを、ダッシとムラウは承知していた。
それではダッシとムラウにうまみがなく、マリエーテの引き取りを拒否される恐れがある。
だからロウは、この話をもちかけたのだ。
冒険者時代から溜め込んでいたロウの貯蓄額は、かなりのものである。
わがままな息子たちにを溺愛し、湯水のごとく金を使うダッシと、それを不満――あるいは不安に思っているケチなムラウ。
双方の利害は、まさに一致した。
これでマリエーテに対しては最低限の便宜は図られるだろうが、ロウはそれ以上のことは期待していなかった。
自分の財産のほとんどは、マリエーテのためには使われない。
だからこそロウは、非礼を承知の上で、策を弄したのだ。
実際にダッシとムラウが受け取るのは、ロウの財産の半分のみ。もう半分はマリエーテが十二歳になったときに、グンジからマリエーテに委譲されることになっている。
そのことを、ダッシもムラウも知らない。
「君の年齢にしては、たいしたものだな」
やや不機嫌そうにダッシが鼻息を荒くしたのは、彼の家に貯蓄がほとんどないからだろう。
この町で一番金を稼げる職業は、冒険者。次にシェルパとされている。
穀物を運搬する店の雇われ人では、その給料はたかがしれていた。
落ち込んだふりをして、ロウはため息をついた。
「いえ、迷宮探索などは、褒められた仕事ではありませんよ。他に能がないからやっているだけです。現に俺には、嫁のなり手もいませんからね」
「まあ、そうだろうな」
自分を貶めることで相手のご機嫌をとりつつ、ロウは重苦しい食事と財産の報告会をやりすごしていく。
食事を終えてしばらくすると、マリエーテがうつらうつらとしだしたので、これ幸いとロウはお暇することにした。
小さな身体を背中に背負って、夜道を歩いていく。
町の中心部から外れていくにつれ、景色は寂しくなっていくが、空には雲ひとつなく、星がきれいだ。
「……に…いちゃ……」
耳元に可愛らしい寝言が聞こえて、ロウは微笑した。
誰も彼も、そして自分も――打算という名の誘惑に、打ち勝つことができない。
それでもこの世界には、美しく価値あるものが存在する。
背中に感じる確かな重みと、ほのかな暖かさ。
「マリン」
「……んぅ」
たとえこの手が、どれだけ汚れたとしても。
守り、導いてみせる。