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「マ、マリエーテです。四歳です」


 そういってお辞儀した少女だったが、その顔はあきらかに怯えていた。

 先日仲良くなったお姉ちゃんの声が聞こえたので、駆け足で玄関に出迎えたのだが、ユイカの隣に浅黒い色の肌をした見慣れないおじさんがいたので、びっくりしたのである。

 髪の毛と眉毛がない。

 とりあえず挨拶をしたものの、無表情な顔で見下ろされておどおどしていた。


「……ヌーク」

「は……失礼。これはご丁寧に。ヌークです。三十一歳」

「何を言ってる」


 ユイカはため息をつき、少女を安心させるように微笑を浮かべた。


「すまない、マリン。驚かせてしまったな」


 やがて廊下の奥からエプロン姿のロウがやってきた。


「やあ、おふたりとも、こんな朝早くからどうしたんですか?」


 マリエーテが兄の後ろに回りこんで、半分だけ顔を覗かせた。その姿を残念そうに見つめつつ、ユイカが訪問の目的を告げた。


「いきなり押しかけてすまなかった。今日は助けてもらったお礼を言いに――それとヌークは、今回の迷宮探索の件で話があるそうだ」

「では、リビングへどうぞ」


 キッチンと一体型になっているリビングには、中央にテーブルと椅子が配置されている。

 テーブルの上には小さな籠が三つほどあって、燻製肉を挟んだパンやゆで卵、果物などが詰め込まれていた。室内にはかすかに紅茶の匂いも漂っている。


「出かける予定だったのか?」

「ええ。マリンと一緒に、ガジの実取りに」

「ガジの実?」

「この季節に実る小さな果実です。煮詰めると美味しいジャムになります」


 ロウは籠に蓋をして、キッチンの方へ移動させた。

 何故誘ってくれない――と、あやうくユイカは口に出しそうになったが、あのような状態で地上に帰還した自分をいきなり誘うのは難しかったのだろうと思い直す。

 トレイの上に紅茶の入ったティーカップを二つ乗せて、マリエーテが慎重な足取りで運んできた。思わずユイカは腰を浮かしかけたが、ここでマリエーテの頑張りを邪魔するわけにはいかない。何とか無事で持ってきてくれと神に祈りつつ、何かあればいつでも手助けができるように身構える。


「そ、そ茶です」


 幸いなことに、事故は起こらなかった。


「ああ――マリン。ありがとう」

「かたじけない」


 よく頑張ったねという感じでロウに頭を撫でられると、マリエーテは恥かしそうに笑って、兄の隣の椅子に座った。

 やはりヌークに怯えているのか、こちらには近寄ってこない。


「……さえいなければ」

「黒姫さま、何か?」

「……なんでもない」


 とりあえず話ができる状態が整ったようだ。

 ユイカは用意していたお菓子の詰め合わせをテーブルの上に出した。木箱に入った最高級品である。店構えの立派な店に入り、一番高いものを購入したのだ。


「ロウのおかげで命拾いをした。ありがとう」

「迷宮内で助け合うのは当然です。気にしないでください」

「それと、これも受け取って欲しい」


 中身の詰まった皮製の袋を、ごとりとテーブルに置く。


「今回の探索で手に入った成果品ドロップアイテムを換金したものだ。冒険者ギルドの担当が徹夜で計算してくれたらしい。メンバーの中で話し合った結果、人数割り――つまり、五分の一をロウに渡そうということになった」

「さすがにそれは、多すぎるでしょう」

「いや、最初は半分を渡そうかという話だったんだ」


 ユイカは真顔で言った。


「金貨三十枚渡されたら、君はどうする?」


 地方で持ち家があるならば、金貨一枚でひと月は暮らしていける。金貨が三十枚といえば、二年半分の生活費だ。


「シェルパを引退するかもしれませんね」

「それでは困る」


 だから、チームの一員と見なして成果を分配したのだという。

 ヌークが話を引き継いだ。


「そもそも私は、荷物をあきらめてはどうかと君に進言した。金などはいつでも稼げるが、ひとの命はそうはいかないからだ。幸いなことに黒姫さまの命は救われたが、戦利品を投げ捨てて逃げ帰ったのでは、“宵闇の剣”の迷宮探索は完全に失敗だったということになる。君のおかげで、“宵闇の剣”の名声は守られたのだ。ぜひ受け取って欲しい」

「そんな風に名声を守っても、息苦しくなるだけだぞ?」


 ユイカの横槍に、ヌークはわずかに口元を強張らせた。


「黒姫さま。我々は、多くの組織と個人の援助を受けているのです。資金面だけではありません。この町へ来るための馬車や御者の手配、宿の手配、冒険者ギルド間の調整や案内人ギルドへの推薦依頼など、我々が迷宮攻略に集中できるのは、つまるところ、“宵闇の剣”の名声があるからです。情報収集の面においても――」

「分かった分かった。その話は前にも聞いた」


 話が長くなりそうだったので、ユイカは降参とばかりに話を打ち切った。

 とにかく、パーティの総意なのだからとユイカが言い張り、それならばとロウは金貨の入った皮袋を受け取った。


「それと、私の用件だが」


 ヌークの話は、先ほどの名声についての続きだった。

 簡単に言うと、潜行報告書ダイブレポートの内容を、見栄えのよいものにして欲しいということである。

 たとえば、地下四十八階層で迷宮泉オアシスを発見したパーティは浮かれてしまい、ろくな観察も行わず、迂闊にも新種の植物系魔物に切りかかった。その結果、魔物は大爆発を起し、パーティどころかシェルパまでもが毒を受けてしまった。ユイカを解毒する手段がなく、迷宮探索は断念。シェルパの薬とギフトを使って、命からがら脱出してきた――という内容では、いささか体裁がわるい。

 ロウは頷いた。


「分かりました。ではこうしましょう」


 地下四十八階層の迷宮泉オアシス砲弾蔓キャノンバインを発見したパーティは、迷宮泉オアシスを利用可能にするために、これの討伐を行った。しかし、実際には砲弾蔓キャノンバインの亜種であり、魔物は爆発して不運にも近くにいたユイカが毒を受けた。新種の毒であったため、有効な解毒薬は存在しない。あらかじめ用意していた薬で延命措置をはかったものの、さらなる迷宮探索は困難であると判断。一定の成果を得ていたこともあり、治療のために帰還することにした。


「結構。私が冒険者ギルドに提出するこちらの潜行報告書ダイブレポートも、同じ内容にするつもりだ」


 大人の会話は終わったが、ユイカは見るからに不機嫌そうだった。

 迷宮探索の件で大切な話があるというから、嫌々ながらヌークをつれてきたのだが、こんな情けない話だとは思わなかったのである。

 おまけに、マリエーテまで怯えさせてしまった。


「さあ、話は終わったな。ロウ、出かける準備の邪魔をしてすまなかった」

「いえ、構いませんよ」


 外に出ると、ユイカはヌークを門のところで待たせて、すぐに踵を返した。

 それから、玄関先で見送っていたロウをじっと見つめる。


「……?」


 隣にいるマリエーテに微笑んで、もう一度ロウを恨みがましそうに見る。


「……あ~」


 ロウは後頭部をかきながら、ユイカに聞いた。


「身体の具合は、どうですか?」

「すごぶる調子がいい」


 ユイカはにこりと笑う。


「もしお時間があるようなら、いっしょにガジの実取りでもいかがですか?」

「――行く!」


 嬉々として、ユイカはヌークを追い返した。



 



「さっきはすまなかった、ロウ」


 目的地への道すがら、マリンと手を繋いだユイカが話しかけてきた。


「何のことです?」

「ヌークの話だ。“宵闇の剣”に失望したのではないか?」


 潜行報告書ダイブレポートの擦り合わせの件だろう。

 冒険者に憧れる子供であれば、そういった感情も生まれるかもしれないが、生活のためにシェルパをしているロウである。


「そんなことはありませんよ。お互いの潜行報告書ダイブレポートがある程度一致しないと、後日確認の呼び出しがあったりしますからね。今回は偽造ではなく、情報の一部欠落と表現の変更ですから、まあ、問題はないでしょう」

「そういうものか」


 目的地である森に到着した。

 ここは背丈の低い潅木が多く生えており、日の光も多く差し込んでくる。泉やお花畑もあり、マリエーテのお気に入りの場所だった。


「この前、お花を見ていたら、うさぎさんがきたの」

「ほう、可愛かったか?」

「うん。真っ白で、耳が長くて、ふわふわしてて……でも、つかまえようとしたら、逃げちゃった」

「捕まえる? どうして?」

「うさぎさんはね、高く売れるんだよ」

「――おい、ロウ」


 ぎろりと睨まれて、ロウは頬を引きつらせた。


「この前も思ったのだが、マリンの教育方針についてちょっと話をしようか」

「いや、その、まあ……」


 迷宮内の事故で自分が戻ってこれなかったとしても、たくましく育ってくれるよう教育したのだが、さすがにやりすぎたかもしれない。

 話を逸らすことにする。


「あっほら、マリン。あそこにガジの木があるぞ」

「ほんとだ! お姉ちゃん、早くガジろ!」

「あ、ちょっと待てマリン。そんなに走ると転ぶぞ!」


 ガジの実は小指の先ほどの大きさで、熟すと鮮やかな黄色になる。大きなポケットのついた前掛けを腰につけて、ガジの実を入れていく。

 お昼になるといったん作業を切り上げて、木陰になっている平らな場所を見つけて大きな布を敷く。

 ロウお手製の昼食を食べたあとは、そのまま三人並んで昼寝である。


「お兄ちゃん。お話して」

「う~ん、何がいいかな」 


 ロウが選択したのは、迷宮内で仲間に裏切られ、ひとり取り残された冒険者が、勇気と知恵を振り絞って地上に生還する話だった。迷宮の出口には結婚を約束した恋人がいて、ふたりは抱き合い幸せに暮らす――という、お約束のハッピーエンド。

 話の途中で眠ってしまったマリエーテの髪を撫でていると、不意に視線を感じた。


「どうしました?」

「いや、マリンといるときのロウは、いい顔をしていると思ってな」


 ユイカは肘を立てて頬杖をつきながら横になっていた。


「それは、ユイカも同じですよ」


 初めて出会ったときと比べて、いろいろな表情を見せてくれるようになった。


「ん、そうかな?」

「ユイカも寝てください。まだ疲れは残っているでしょう?」


 ユイカは“幻操針”のギフトを使うと、眠ることができない。このことを教えてくれたのはマジカンである。治療院にユイカを運んだあとに聞いたのだ。


「……今度は、いなくなるなよ?」

「何のことですか?」

「治療院で目を覚ましたとき、骸骨兵士ポーンスケルトンのような老人が私を覗き込んでいた」


 ロウは苦笑しつつ「すいません」と謝った。

 シェルパの仕事が終わったら、一刻も早く迎えに行くというのが、マリエーテと交わした約束だったのである。


「カノープ先生は腕のいい魔術師です。付け加えるなら、俺の薬学の師匠でもあります。顔は怖いし、怒りっぽいし、治療費をぼったくるし、仕事中に酒を飲んだりしますが、信頼のおけるひとですよ」

「よいところがないように聞こえるが」


 ロウは毛布を取り出して、ユイカとマリエーテにかけてやる。


「さあ、ゆっくり休んでください。マリンと一緒に起しますから」

「……うん」


 やはり寝不足は解消されていなかったのだろう。ユイカは目を閉じると、やがて穏やかな寝息を立て出した。

 その寝顔を、ロウは何とはなしに見つめてしまう。


『好きになった人を助けるのに、理由がいりますか?』


 自分は何故、あのようなことを言ったのだろう。

 強力な毒におかされ、気力の勝負となったユイカに、少しでも生き残りたいという意思を与えたかった――ということもある。

 返答がどちらにしろ、異性から告白されたまま死ぬというのは、目覚めがわるいに違いない。

 だが、それにしてはずいぶんとひどい問いかけだ。

 普通に心の中から出た言葉ではないかと考えると、すっと腑に落ちた。

 客観的に見て、ユイカは美しい女性である。

 顔の造形は整っているし、髪は長く艶やか。すらりとしたスタイルは自分好みだし、肌も白く透き通るよう。

 効率を重視して、大胆に物事を割り切れる性格も好ましい。

 マリエーテと遊んでいる様子を見ていると、子供好きであることも分かる。マリエーテが懐いているというのは、大きなポイントだ。

 それに、タイロス迷宮で見せた強靭な精神力。

 毒が回って身動きをとることもままならなかった自分に対して、ユイカは仲間全員に回復魔法をかけ、なおかつ自身の毒にも負けなかった。

 世間的な身分の区切り――いわゆる社会階級の違いは大きな問題かもしれないが、それと自分の感情は別物である。


「迷宮で言ったこと……」


 囁くような声で、ロウは呟いた。

 さわさわと、木の葉が優しい音を立てている。


「嘘じゃないですよ」


 心の中の小さなつかえが取れたような、すっきりとした感じ。

 思わず納得していると、今しがた寝たはずの黒髪の勇者が、突然がばりと起き上がった。

 呆気にとられていると、強引に胸倉をつかまれ、ぐいっと引っ張られる。


「――本当だろうな?」


 そして、まるで詰問するように確認してきたのである。

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