(11)
すさまじい爆音と爆煙がおさまってから、ロウは自分の身体の状態を分析した。
吹き飛ばされ、地面の上を数回転がった。
そのときのダメージは大したことはなかったが、耳鳴りがする。
身体を動かしてみると、衣擦れの音が聞こえるので、鼓膜は破れていないようだ。
――トラップだったか。
この爆発音で魔物がやってきたらまずい。
無理やり目を開けて広間の出入口を確認したが、ユイカが支配している魔物たちに変化はなかった。
深階層に棲む魔物は、ごくまれに迷宮泉で休んでいる冒険者たちを襲うこともあるという。
連動型ではなかったようだが、油断はできない。
しかし、理不尽なトラップもあったものである。
莢をひとつ切り落としただけで、他のすべてが爆発する砲弾蔓など聞いたこともなかった。
おそらくは亜種なのだろう。冒険者ギルドにその存在を報告して、魔物図鑑に登録しなくてはならない。
ゆっくり立ち上がろうとして、ロウは愕然とした。
身体に、力が入らなかった。
傷みがなくて気がつかなかったが、両手や手首に小さな刺が突き刺さっていた。咄嗟に顔を庇ったときに刺さったのだろう。あの砲弾蔓の亜種は、爆発と同時に鋭い刺を飛ばしていたのである。
そしておそらく、この刺には毒が含まれている。
一般的に植物系魔物の毒は、動物系魔物のそれよりも弱いとされている。間違って葉や実などを食べない限り、致死には至らないというのが通説だった。
しかし、ロウの身体は急速に感覚を失いつつあった。
身体が――寒い?
しかし、傷口は腫れ上がりそこだけは熱を持っている。
呼吸が浅くなり、意識が朦朧としてくる。
――まずい。
苦労して手の平と手首の刺を抜き取る。
早く水で洗い流す必要があった。手持ちの薬でこの症状を改善できるものは、限られている。せいぜいが延命措置程度のものしかない。だが、それでもましだろう。
痺れが全身に回る前に、調合しなければ……。
なんとか四つん這いになったところで、かすかに魔力の気配を感じた。
身体を覆うように歪な光陣が浮かび、その中に細かな文様が刻み込まれていく。かなり高度な魔法らしく、発動までにかなり時間がかかるようだ。
「“闇雫”」
女性にしてはやや低く、それでいて涼やかな声。
体内に電撃のようなものが走り、一瞬、目がくらむ。
すべての感覚が通り過ぎると、ロウは力を抜き、大きく息をついた。
「……ロウ、だいじょうぶか?」
「あ、ありがとうございます」
すぐそばにいて微笑んだのは、ユイカである。
ゆっくりと身体を起こして周囲を見渡すと、広間内には、うっすらとした白煙と焦げ臭い匂いが漂っていた。
爆発の規模はかなりのものだったらしく、蔦が張り付いていた天井や根のあった泉の縁の部分が、広範囲に渡って抉り取られていた。
虹草もかなり犠牲になったようだ。
ああもったいないとロウは嘆いたが、命が助かっただけでも僥倖だろうと、すぐに思い直した。
一時的な状態異常を完全に回復させる魔法は、水属性と闇属性しかなく、しかも上級魔法に分類されている。
その使い手がパーティ内にいたことは、ほとんど奇跡に近い。
使用できる魔法の数は、魔法ギフト習得後、冒険者レベルとともに増えていく。レベルが上がれば上がるほど、より強力な魔法を習得することができるのだが、話はそう単純ではない。
習得できる魔法の数――スロット数には、限りがあるからだ。
魔法のスロットは、下位の魔法から順次埋まっていく性質がある。
つまり、上級魔法を使える者は、自身の冒険者レベルが低いうちにスロット数の大きな魔法ギフトを得て、なおかつ冒険者レベルを上げていく必要があるのだ。
もちろん、上級魔法は魔力を大きく消耗するし、発動までに時間がかかる。
身につけている装備品によっては崩陣する可能性も高く、使い勝手という意味ではよろしくはない。
実際の迷宮探索では、初級や中級といった魔法の方が活躍する場面は多いだろう。
しかし、強大な敵を一気に殲滅し、味方の命を繋ぎとめることができる上級魔法は、パーティの運命すら左右する重要な存在なのである。
ロウが知る限り、このタウロスの町で“状態異常回復”の魔法を使える者は、ユイカを除けばただひとりだけ。それは治療院にいる医士で、三十年以上も前に引退した元冒険者だった。
ちなみに、すべての毒に効く解毒用のポーションは存在しない。
迷宮内の魔物から受ける毒は固有のものであり、それぞれに適した薬を処方する必要があるからだ。地下四十七階層までの魔物が持つ毒に対しては、それなりの準備をしていたロウだったが、今回は新手の毒である。
他の薬を応用したとして、自力で助かる見込みはどれくらいあっただろうか。どちらにしろ薬の量には限りがあるので、パーティ全員を助けることは不可能だったはず。
トラップに引っかかったのは不運であり、助かったのは幸運だった。
「他のみんなを、助けなくては……」
「手伝います」
地面を見れば、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの刺が落ちていた。
敵の攻撃を逸らすマジカンの魔法“銀衣”がなければ、体中に刺が突き刺さり、毒の影響も増し、解毒にも多くの魔力と時間がかかったことだろう。
一番ひどい傷と毒を負ったのは、ベリィだった。
爆発の至近距離にいたこともあるが、彼女の装備は皮の胸当てと篭手だけであり、肩や二の腕が剥き出しになっているのだ。
咄嗟に目は庇えたようだが、頬や口も傷ついていた。
「刺には触らないでください」
ロウは自分の荷物から金属製の鑷子を取り出した。薬草の重さを計るときに、秤の分銅を摘む道具である。
手早くベリィの刺を抜いていく。
すべて抜き終えると、ユイカが“闇雫”を行使する。
「……」
自分がしでかした結果に、ベリィは呆然としており、ロウからヒールポーションを渡されたときも、何も言葉を発しなかった。
「く、黒姫よ。わしを忘れてはならんぞ。世界の損失ぞ」
マジカンが空中に浮かんだまま苦しそうに手を伸ばしている。
金糸の入った派手な羽織には、“硬化”のギフトが封緘されているそうで、怪我は一番少ない。刺も額にひとつ刺さっただけである。
マジカンに続き、自分の順番が来るまで無言のまま耐えていたヌークの治療を終えると、ようやくひと息つくことができた。
「これ小娘、今のうちに謝っておくのが吉じゃぞ」
「う――うっさいわね、ジジイ」
ぷいとそっぽを向いたベリィだったが、悔しそうに歯を食いしばりながら「ごめん」と呟いた。
「ロウを除き、誰も気付かなかったのだから、ベリィばかりの責任は問えないだろう。我々の思い上がりを正す出来事だったと、割り切るしかあるまい」
ヌークの言葉は、悟りを開いた神官のように説得力がある。
「しかし、わしも長いこと生きておるが、あのような魔物は初めてじゃ。魔物図鑑に載っておったか?」
マジカンの問いに、ロウは首を振った。
「俺が知る限りでは、載ってませんね。階層主だった可能性もあります」
「ほっ、その根拠は?」
「植物系の魔物にしては、破壊力も毒素も、桁違いに強い」
地下四十八階層の適正レベルは、十五。もし階層主であったならば、適正レベル十七の階層に棲む魔物ということになる。
「なるほどのう。それならば、一応の納得がいくか」
「あくまでも、推測です」
たねが分かってしまえば、防ぐことは容易な攻撃である。盾を構えて遠方から狙撃するか、もしくは支配した魔物を利用すればよい。
「しかしこれは、植物系魔物に対する認識を、改める必要が――」
ヌークの発言は、地面を引きずるような足音によって中断された。
視線が集まった先にはユイカがいて、広間の出口の方に向かおうとしていた。しかし、頼りない足をもつれさせ、ばたりと地面に倒れ込んだのである。
長い黒髪を乱しながら、荒い息をついている。
「く、黒姫さま!」
ヌークの声に、ベリィが弾かれたように立ち上がる。
「ひ、姫っ!」
全員で囲み、ベリィがユイカを抱きかかえた。
「え、なにこれ――どうしたの?」
「毒を受けたのではないですか?」
冷静に分析したのはロウである。
至極当然の推理だったが、他のメンバーは驚いたようだ。
「だ、だって姫は“状態異常耐性”のパッシブギフトを持っているのよ。しかも、効果は三――そんなのありえない!」
ギフトにはその効力の大きさを表す指標がある。それはギフトを取得したときにすでに決まっているものであり、効果と呼ばれていた。
“炎耐性”や“毒耐性”といったパッシブギフトは有名だが、すべての異常を防ぐ“状態異常耐性”はかなり希少なギフトである。しかも効果が三といえば、ほぼ無効に近い。
「しかし、確実に防げるとは言い切れません」
「そ、それは、そうだけど……」
ロウは不思議そうに首を傾げた。
「何故ユイカは、“闇雫”を使わなかったのでしょう」
重苦しい表情で答えたのは、ヌークだった。
「闇雫は、自分自身には使えない」
「……え?」
水属性の状態異常回復魔法――“浄化”は、自身にも使用可能である。治療院にいる老人が、ひどい二日酔いを治すのに使っているのを、ロウは何度も見たことがあった。しかし、闇属性魔法は使い手が少なく、その制限や消費魔力といった情報については知らなかったのである。
「念のためにお聞きしますが、みなさん毒消し関係の薬は持っていませんか?」
一応ユイカには、“宵闇の剣”が所有する消耗品については聞いていた。ほとんどがポーション類であり、状態異常回復の薬はなかった。ロウとしてもユイカに購入を勧めたのだが、「必要ない」との答えだった。
「――持ってない」
顔を青ざめさせながら、ベリィが首を振る。
ようするに“宵闇の剣”は、“状態異常耐性”のパッシブギフトと“闇雫”という魔法ギフトのコンボを、完全に当てにしていたということである。
毒消しの薬は種類も多く、荷物としてはかなりかさばる。毒を持つ魔物ごとに中身を選ばなくてはならないからだ。
薬の原料を元に調合する方法もあるが、それには薬学の知識が必要となる。
それよりも、マナポーションを多めに持ち、“闇床”やその他の魔法を使うために備えたほうが得策だというパーティ戦略だったのだろう。
ロウはユイカの身体を調べて、刺をすべて抜き、傷口を飲料水で洗い流した。
「ね、ねえ、ちょっとあんた。姫はどうなるの?」
「このままだと、助からないかもしれません」
「――!」
自らも同じ毒を受けた経験から導き出した結論である。
即効性とまではいかないものの、かなり毒の回りが早い。全身の筋肉が弛緩し、体温が下がり、わずかな時間で思考能力の低下という症状まで出ていた。自然治癒で回復する見込みは不明である。
最悪、心臓が弱って死ぬ。
他の仲間に対して“闇床”を使い切るまで、平然とした様子を見せていたことが、すでに信じられない。尋常ではない精神力を宿しているのだろう。
ユイカはきつく目を閉じて、うわ言のようなものを呟いた。
「すでに、意識の混濁が始まっています」
「い、いかんぞ、これは!」
初めて慌てたように、マジカンが立ち上がる。すでに“浮遊”のパッシブギフトは解除したようだ。
床の上に転がっていた杖を拾い上げると、広間の出口にいる魔物に向かって構えた。
空中に巨大な、そして複雑な魔方陣を描いていく。
「“破魔砲光弾”――ほいっ」
魔方陣が分裂移動し、総数二十体にも及ぶ魔物たちを囲むように、半球状になる。
それは、強力無比な範囲攻撃魔法だった。
半球状の魔方陣は、無数の円系の魔方陣で形成され、そのひとつひとつから、ひとの胴体ほどもある太さの光の矢が、中心部に向かって放たれたのだ。
耳を劈くような轟音。
地面からものすごい量の土煙が舞い上がる。
そしてさらに――
「“連続魔”」
先ほどとまったく同じ魔方陣が、瞬時に形成された。
再び、轟音と爆煙。
すべてが終わり、球形の魔方陣が消え去ると、そこには抉れた地面と魔物の死体の一部と思われる破片しか残っていなかった。
魔核も成果品も破壊されたようである。
無理やり支配され、戦わされ、最後には消滅させられる。
魔物たちに対して同情する心が沸き起こったものの、ロウはすぐに頭を切り替えた。
「どうして、魔物たちを?」
ロウの問いに答えたのは、ヌークである。
「黒姫さまが意識を失えば、魔物たちの束縛は解かれてしまう」
いささか強力すぎると思われた“幻操針”にも、弱点があったのである。
今の状態で二十体もの魔物に囲まれたら、パーティは総崩れになるだろう。だから、常にひょうひょうとしているマジカンが、焦ったように攻撃魔法を行使したのだ。
ユイカが眠っている間はどうなるのだろうとロウは疑問に思ったが、これ以上の問いを重ねている時間はなかった。
背負袋についているポケットから、自分専用の道具類を取り出す。
無数の小瓶に入った粉、陶器製の乳鉢と乳棒。
素早く調合し飲料用の水を入れ、気付け薬と強心薬を練り上げる。
「ユイカを地面に寝かしてください」
有無を言わさず、ベリィに命令する。
まず、気付け薬をユイカの鼻の下にちょんと塗る。これは飲むものではなく、刺激臭で意識を覚醒させる薬だ。
「ぐ――はっ」
堪りかねたようにユイカが息を吐き出したが、返事ができる状態ではないようだ。視線も空ろで、浅い息を繰り返している。
声をかけても反応は薄い。
「念のために聞きますが、この中にユイカの恋人はいますか?」
そう言ってロウは、ヌークとマジカンを見つめた。
これは完全に意表をつく質問だったようだ。ふたりが沈黙したのを確認してから、ロウは強心薬と飲料水を自らの口に含んだ。
「――ぁ」
一番近くにいたベリィが口を開けて短い言葉を発したが、無視。
口移しで、ロウはユイカに薬を飲ませた。




