第一章 (1)
迷宮泉を中心とした小さな空間に、重々しい空気が蟠っていた。
地面に腰を下ろして休んでいるのは、二十代後半から三十代前半にかけての四人の男たち。金属鎧や革鎧、そして厚手の羽織など、ものものしい装備に身を包んだ冒険者パーティ――その名も“荒くれ一味”である。
緊張に張り詰めた彼らの表情には、苛立ちと疲労の影が色濃く出ていた。
迷宮探索が、思うように捗っていないのだ。
「くそがっ、こんなところでぐずぐずしてる暇はねぇのに」
舌打ちとともに重戦士が悪態をついた。
「あんな小物に、魔法なんか打ち込みやがって!」
先ほどの魔物との戦闘で、彼らのパーティで最大の戦力を誇る魔術師が、攻撃魔法を行使したのである。
魔法は強力だが、魔力を大きく消耗する。回復するには、マナポーションを飲むか、休息をとるしかない。
そしてマナポーションは、他のポーション類と比べて桁違いに価格が高く、また取り扱っている店も少ないため、中級冒険者である彼らでも手に入れることは難しいのだ。
「冗談ではないぞ」
暗色の羽織に身を包んだ魔術師が、片方の眉を吊り上げて反論した。
「前衛が魔物を足止めできなかったから、仕方なく使う羽目になったのだ。責任転嫁はやめてほしいものだな。この――」
鼻を鳴らしつつ、侮蔑の言葉を吐き捨てる。
「チーズ野郎が」
それは“穴だらけの壁”を意味する隠語であり、後衛を守る盾となるべき重戦士が、その役割を果たせていないことを示す。
「んだと、てめぇ。やんのかこら!」
色めき立つ重戦士と、冷笑を浮かべる魔術師。
残りの仲間は軽戦士と遊撃手だったが、仲間の仲裁をするどころか、我関せずといった様子で寝転がっていた。
彼らが休んでいるのは、タイロス迷宮の地下二十階層。広大な階層内のとある一角――ほうほうのていで逃げ込んだ安全地帯だった。
魔物たちは水を嫌うため、冒険者たちにとって迷宮泉のある広間は、絶好の休憩場所となる。光苔も豊富で、地中深くだというのにまるで昼間のように明るい。
「大声を出すと、危険ですよ」
一触即発の空気を破ったのは、静かに近づいてくる足音と、どこかのんびりとした声だった。
「水辺とはいえ、魔物がまったくいないわけではありません」
本能的に反応した四人の冒険者たちだったが、皮製の長外套に身を包んだ青年の姿を確認して、すぐに警戒心を解いた。
歳は二十歳を少し過ぎたくらいか。小麦色の髪を首の後ろで束ねて、おさげにしている。ひょろりとした長身で、案内人の大切な資質である筋力と持久力を兼ねそろえているようには見えない。
現れるタイミングが悪かったのだろう。重戦士の怒りの矛先は、青年――ロウへと向かった。
「さっきから見ねえと思ったら、どこをほっつき歩いてやがった、このくそシェルパが!」
両手に抱えていた籠に視線を落として、ロウはけろりと白状した。
「この近くには、薬草が生えている場所があるんです。強力な気付け薬になります」
「気付け薬? そんなものが売れるのか?」
寝転んでいた遊撃手が聞いてくる。
にこにこと微笑みながら、ロウは籠の中から朱色の葉を摘み上げた。
「ええ。これだけあれば、銀貨一枚にはなりますよ」
食事付きの宿にひと晩泊まれるくらいの金額である。
自分たちの雇ったシェルパが仕事中に小遣い稼ぎをしていることに、“荒くれ一味”のリーダーである重戦士はよい顔をしなかった。
しかし、魔力が尽き、疲労困憊し、魔物たちに半包囲されて危うく全滅しかけたところを、この若者の指示と道案内で救われたばかりである。文句を言うのはさすがに躊躇われたのか、悔しそうに呻くのみ。
代わりに発言したのは、攻撃力とスピード重視の軽戦士だった。
「薬草の生えている場所を教えるのも、シェルパの仕事じゃねぇのか?」
「そういったメニューもありますが、“荒くれ一味”さんは、地下三十階層までの最短ルートと、迷宮泉のみの案内で契約されています。いったん迷宮を出るまでは変更できませんよ?」
“荒くれ一味”のメンバーたちは一様に押し黙った。もっとも安い案内メニューを選んだのは、パーティの総意だったのである。
ロウは巨大な背負袋のポケットに薬草をしまうと、いくつかの陶器製の小瓶を取り出して、地面の上に並べ始めた。
赤、黄、緑、青――ずいぶんカラフルな色分けである。
興味を持ったのは遊撃手だった。いわゆる“何でも屋”と呼ばれている職種であり、戦闘中にポーションを配る役割も担う。
ロウは順番に効能を説明した。
傷を癒すヒールポーション。疲労を取り除くキュアポーション。精神を高揚させるマインドポーション。そして、魔力を回復させるマナポーション。
「先ほどの戦いで、“荒くれ一味”さんは、かなり消耗されたと思います。手持ちが心もとないのではないかと思いまして」
仲間を癒す魔法を持たないパーティでは、ポーション類が文字通り生命線となる。“荒くれ一味”の面々は真剣な表情になり、ロウのそばへと集まった。
「もちろん、ただというわけではないのだろう?」
マナポーションに目をやりながら、魔術師が確認する。
こくりと頷いて、ロウは懐から一枚の紙を取り出した。
「こちらが価格表になります。単位は銀貨ですね」
それはマス目のついた表になっていた。価格は一定ではなく、階層が深くなればなるほどポーションの値段が上がる仕組みになっている。
重戦士が叫んだ。
「ざけんな! ぼったくりじゃねーか!」
地下二十階層では、地上での価格の約二倍。マナポーションにいたっては銀貨十枚――金貨一枚という値段だった。
「どんな店でも、原材料となる薬草の収穫量によって、ポーションの値段は変わります。一昨年前はキュアポーションの材料となる薬草が不足して、店頭価格は三倍以上に跳ね上がりました。つまり、需要が一定だとしても、その時点その場所における供給量で、市場価格が変わるわけです」
ポーションがなくては迷宮の奥には進めない。かといって、一度地上に戻り準備を整えるのは、さらなる時間と金がかかる。
「けっして高くはないと思いますよ?」
邪気のない笑顔に毒気を抜かれたのか、重戦士は「けっ」と顔をそらした。
結局、文句や悪態をつきながらも、“荒くれ一味”はロウからぼったくりポーションをいくつか購入し、迷宮探索を続けた。
最終的な到達記録は、地下二十五階層。
目標としていた地下三十階層には届かなかったものの、シェルパを含めた全員が五体満足で帰還することができた。
そして、魔物の成果品を換金し、経費を差し引いた結果、パーティ全体で金貨一枚程度の利益が出たという。
金遣いの荒い冒険者たちにとっては、鼻白む金額。一週間と経たず使い切ってしまうことだろう。その後はタイロス迷宮に再挑戦するか、他の迷宮を目指して旅立つかの選択を迫られることになる。
ちなみに、シェルパの報酬とぼったくりポーション等の売上げによるロウの黒字は、金貨一枚と銀貨二枚。
こちらはよい稼ぎとなった。
「てめーなんざ、二度と雇わねーからな!」
別れ際の重戦士の捨て台詞を、ロウは涼しい顔で受け流した。
「迷宮道先案内人のまたのご利用を、心からお待ちしております」
そう言って、丁寧に頭を下げたのである。
タイロス迷宮から戻ってきたロウが案内人ギルドに顔を出すと、カウンターで煙草をふかしていた白髪の老婆が出迎えてくれた。
「ロウ坊、おかえり」
「ただいま、ギマさん」
三日ぶりの再会である。老婆――ギマは、キセルを叩いて煙草を落とすと、まず無事に生還したことを褒めた。
「大事はなかったかい?」
「はい。一度、群魔祭に遭遇しましたが、運よく迷宮泉に逃げ込めました」
「“荒くれ一味”はどうだった?」
「戦力的な意味では、バランスはとれていると思います。さすがは熟練冒険者ですね。引き際も鮮やかでした。ただ、二度とお前は指名しないと言われましたが」
「これで三人目さね。ロウ坊で駄目なら、他のどんなシェルパを雇っても納得しないだろうよ。ご苦労だったね」
「報告書は、明日提出します」
「ああ、それでいい。早く帰って、マリンを安心させておやり」
ロウは倉庫に荷物を片付けてから、談話室へと向かった。同僚がいれば挨拶をしようと思ったのだが、そこにはガボがいて、今まさに大きな背負袋を担ごうとしているところだった。
「これから潜行かい、ガボ?」
「お、ロウ。上がったのか」
ガボは肩幅が広く、体格がよい。ロウとは同年代であるが、シェルパになってまだ日が浅く、案内できるのは地下十四階層までという制限がかけられていた。得られる報酬も少なく、ことあるごとにロウに愚痴をこぼす。
「“荒くれ一味”、ひどかっただろう? 冒険者ギルドでも評判わるいみたいだぜ」
彼らがタイロスの町に来たのは、ひと月ほど前のことである。肩慣らしと称してタイロス迷宮の浅階層に入ったとき、最初についたシェルパがガボだったのだ。
「休憩中もぎすぎすしててさ。案内が下手だの、役立たずだの、好き勝手言いやがって! 典型的なシェルパ虐めだぜ。みんなで結託して締め出してやろうか」
シェルパが依頼拒否名簿に載せたパーティは、すぐさま冒険者ギルドへ伝えられ、この町でシェルパを雇うことができなくなる。
そうなれば、迷宮探索はほぼ不可能となるので、気の荒い冒険者たちも滅多なことではシェルパと敵対はしない。
しかし本来、冒険者とシェルパは持ちつ持たれつの関係だとロウは思っていた。
「まあ、慌てなくても、そのうち他の迷宮へ流れていくさ」
「その前に、“冒険性の違い”が原因で、解散すると思うね!」
ガボの予想通りになるとは、ロウは思えなかった。
確かに仲がよいとはいえないパーティだが、先ほどギマに報告した通り、戦力的にはバランスがとれていた。たとえ解散したとしても、今よりよいパーティに巡り合える保障はない。レベルの高い冒険者たちが集まったとしても、バランスの取れていない即席のパーティでは、迷宮からの生還率は向上しないのだ。
“荒くれ一味”のメンバーたちが、あと数年で冒険者としての平均引退年齢に達するであろうことからも、なんやかんや文句を言い合いながら、このまま続けていくのではないだろうか。
などとロウが考えていると、ガボの話は別の方向へ飛んでいた。
「それより聞いたか、ロウ。勇者さまご一行の話」
「……勇者さま?」
ロウが迷宮に潜っていた三日間のうちに広まった噂のようで、ガボは得意げに最新情報を披露した。
「王都で大活躍している上級冒険者パーティ、“宵闇の剣”が、うちの迷宮を攻略しに来るんだと。冒険者ギルドを通じて、連絡が入ったらしいんだ!」
「へぇ」
著名な冒険者やそのパーティについては、誰もが関心のあるところである。住民たちの間では、毎月発行される冒険者パーティ番付表も大人気だ。
そのトップ――東の勇者の位に位置づけられているのが、“宵闇の剣”というパーティだった。
地方に限定されるが、すでに二か所の迷宮を踏破。その迷宮核を手中に収めた。
王都にある無限迷宮の到達記録は、地下七十八階層に達する。
華々しい活躍をみせる“宵闇の剣”だったが、そのリーダーは、二十歳にも満たない美しい黒髪の女性だという。
実力だけでなく、人気も断トツの冒険者パーティだった。
「そんなメジャーなパーティが、うちにねぇ」
「短期間攻略を目指すだろうから、シェルパを雇うのは確定だな」
ガボの鼻息は荒い。
現在、この町にあるタイロス迷宮の到達記録は、地下四十七階層。魔素の濃度から、地下五十二、三階層が最深部と予想されている。
「あと五、六階層なら、突破する自信があるというわけか」
ロウはひとりごちた。
その目的は、更なる名誉か。いや、番付で勇者まで一気に上り詰めたパーティだ。落ち目の冒険者たちとは違い、辺境であるタイロス迷宮にまできて名誉を求めることはしないだろう。
となると、迷宮核そのものか。
冒険者たちには、レベルと呼ばれる概念が存在する。
魔物たちの体内に宿る魔核を吸収することで、経験値という要素が増え、それがある一定量に達したときにレベルアップし、様々な能力が向上するのだ。
ちなみに、冒険者としての区分は、レベル一から四が初級、五から九が中級、十以上が上級とされている。
冒険者暦十年の平均レベルは、七。
上級冒険者になるためには、自分たちの限界層へ赴き、尋常ではない魔物の狩りを、絶え間なく続ける必要があるわけだが、実は、もうひとつ方法があった。
それは、迷宮核を手に入れることだ。
迷宮核は迷宮の最深部に存在し、魔物を生み出す素となる。
魔物の持つ魔核とは比べものにならない経験値を有しており、しかも、パーティ全員のレベルを一気に上げることができるといわれている。
地方に存在する比較的攻略が容易な迷宮を踏破し、迷宮核でレベルを上げ、王都の無限迷宮を踏破する。
それこそが“宵闇の剣”の真の目的なのだろう。
「ちくしょう、俺はまだ制限付きの初級シェルパだからな。遠征についてはいけない。でもきっと、ロウなら選ばれるぜ」
「未踏破階層のお供に? 死ぬよ」
うらやましそうな顔をしていたガボは、はっとした表情になる。
「そ、そうだよな」
「親父が死んでから、まだ半年だ。妹を泣かせるわけにはいかないよ」
穏やかな表情と口調で、ロウはさらりと付け加えた。
「命を賭けられるだけの報酬が出るなら、別だけどね」