7.正体
――どうしてこうなった。
今。シチュー作成中のわたしの隣で、巨大蛙が、毒物生成中である。
なにが悲しくて、バティのお乳に野菜とお肉をたっぷり加えた栄養満点ピンクシチューを、ど紫の、ときおりなぜか火花が散っている、アイアムポイズンと全身で主張しているような液体のそばで作らにゃならんのか。
どうしてこうなった、かは、わかっている。
お食事をなさってください、というモアレムの言葉を、この人語を操る巨大蛙――ユリエスが、やだ、とにべもなく斬りすてたからだ。
ユリエスはそれから、ぼってぼってと移動して、長細い舌を使ってお玉やらなんやらを器用に引き寄せると、なんと厨房の鍋を使って、現在も進行中の毒物生成を始めた。
この、毒生成――モアレムいわく「お薬作り」こそ、ユリエスが食事をおろそかにして没頭している趣味なのだそうだ。
そうして鍋からもくもくと不穏な煙を立てはじめた主の背中を溜息まじりに見つめたモアレムが、わたしにひとつのお願いをしてきた。
――ユリエスさまの隣で、なにかこう、めずらしくて、おいしそうな匂いのする料理を作っていただけませんか、と。
材料はこちらで用意いたします。すぐそばで作っているところを見れば、ユリエスさまも興味を持たれて、食べてみよう、とお思いになられるやもしれませぬ、と。
それで、……どれだけこの蛙に甘いんだと思いつつも、わたしはうなずいてしまったわけだ。
理由は単純に、無駄足になるのが嫌だったから、なんだけれど。今はちょっと、いやかなり、後悔している。
とりあえず目下の手段として、できるだけ右隣の蛙と鍋は見ないようにして、貸し与えられた自分の鍋だけを一心にかき混ぜていた。もしかしたらこの鍋でも過去に毒物生成していたかもしれないなんて、考えたら負けだ。
……だから、背後からひそかなどよめきが上がるまで、隣のど紫スライムをかき混ぜる音が止んでいることに気づかなかった。
「ねえこれ、なに?」
なんのどよめき? と考えるより早く、ユリエスのアルテノールが聞こえた。ただしさっきまでと違ってずいぶん高い位置――わたしの耳の上あたりから。
なんで? あの蛙は巨大だったけれど、縦の長さはわたしの胸あたりまでだったはず……とそこまで考えて、わたしの思考は一時停止する。
真珠のように白い手が――内側から光を放っているんじゃないかっていうくらい白い、ほっそりした手が、右隣から伸びて、わたしのお鍋を指していた。
……まぎれもない、人間の手が。
「……っはあ?」
あわてて身体ごと右隣へ向いて、わたしは絶句した。
……まぶしい。
それが第一印象だった。
全体的に色素が薄いのだろう、ごくごく淡い、金の髪。肩まで伸びて、寝起きのように、わりと好き勝手に跳ねている。それでもぼさぼさした感じがしないのは、髪の一本一本が繊細な絹糸のように細いからか。
服装は、白い、日本でいうTシャツのようなだぼっとした長袖の上衣に、これまた日本でいうジーンズのような、薄黒で細身な下衣を合わせている。ひとつの飾り気もない簡素きわまる格好だ。派手さのかけらもない。
なのに、「彼」の輪郭から、白い光がにじみだしているような錯覚を覚えた。
錯覚のおもな原因は「彼」の髪と肌だ。光をつむいだような髪と、内側から光を発しているように白い、真珠のごとき肌のせい――って、自分で言ってて薄ら寒くなったが、事実なのだからしょうがない。
と、いうか。
「……だれ?」
ひとつの予感はあったけれど、否定してほしくて聞いてみる。
「え、なにいまさら」
「いいから名乗って、今すぐ」
「ユリエス」
「……嘘」
振り向いたけれど、だれも否定してくれなかった。それどころか、モアレムがこくりとうなずいた。
……まじですか。
あのずんぐりごつごつしたヒキガエルのどこをどうしたら、このすらりすべらかな人間になるんだ。
人間、というか、人形、にも見える。たぶん男だろうけど女だといわれても違和感のない、中性的、というより無性的な顔。眠たげな目を覆う、金色の睫毛は癪なほど長い。少年、というには大人だけれど、青年、というには頼りない、浮世離れした空気。
ヒキガエルなんて連想もできない。さっきの、壁から生えてきた童女に勝るとも劣らない、冗談みたいな美人だ。
ただ、エメラルドのような翠玉の瞳とアルテノールの声だけは、蛙の姿のときと同じだった。
「人間だって言ったでしょ、おれ」
……言ってたねそういえば。
「なんで蛙に化けてるの、どうやって化けてるの」
「おれの質問が先。これ、なに?」
「え」
これってなに、と、真珠の手が指すほうを見て、ああ、とわたしはつぶやいた。
「シチュー」
「しちゅう」
なんだその片言。不覚ながらちょっとかわいいとか思ってしまった。
ちょうどできあがったことだし、と、わたしはお玉にひとくすいして掲げてみせる。
「食べてみる?」