6.ユリエス
「……なにこれ」
「主人です」
答えた、使用人頭だという老人、モアレムを、わたしは振りかえった。
「ここの主人って蛙なんですか」
「いえ、これはその」
「げこ」
「完っ璧に蛙じゃないですか」
「あ、まちがえた」
背後から、声が聞こえた。
わたしはとっさに、背後にいる唯一の生命体、巨大蛙へと向きなおる。
今聞こえたのは若い声だった。だけど鮭頭――ラミナのものではない。もっと淡々として中性的な、アルトとテノールのちょうど中間くらいの高さの声。
まさか、と見下ろしたわたしと、見上げてくる巨大蛙の翠の目が、ぱちり、と合った。
巨大蛙の、口が開く。そして、
「君、なに?」
――まごうことなき、人語をつむいだ。
「……ですから、この方が我々の主人なのです」
唖然としたわたしのうしろで、モアレムがいうのが聞こえる。
「このお屋敷の主。ユリエスさまと申しあげます」
「……屋敷の主は、蛙の血を飲むのが好きな変人だって……だから屋敷の中には、食用に飼われてる巨大蛙が這いずり回ってるって……」
そういう噂だったのに、まさかその蛙のうち一体が本人だったとは。
というか、
「なんで喋るの、蛙なのに」
わたしが、なかばひとりごとのように漏らせば、巨大蛙はぎょろりとその目を動かして答えた。
「人間だから」
……いやいやいやいや。
「どう見ても蛙だけど」
大きすぎるけどさ。ヒキガエルを巨大化したらまさにこんな感じだろう。
ただまあ言われてみれば、エメラルドのような翠の目には、人間的な知性が宿っていそうに見えないこともない。
「この姿には深くて浅い理由があるんだよ」
「……なにそれ、魔女に魔法をかけられたとか?」
たしかそんなおとぎ話が、日本にはあったような。
「なにそれ」
……違うのか。
こちらの常識は今でもたまによくわからない。人間がそう簡単に蛙になれるものだったか?
これも、帰ったら爺さまに聞くことリストに追加して、わたしは別の質問をすることにした。
「ところで、さっきの悲鳴はなに?」
蛙がきょろりと目を動かした。
「なんのこと?」
「女の子みたいな甲高い悲鳴だよ。さっき聞こえた。主さま、どうか落ちつかれて、とかなだめられてたんだから、あなたが上げた悲鳴なんじゃないの?」
蛙がふい、と顔をそむけた。
「知らない」
……たしかにあれはアルテノールよりもっと、ソプラノに近い、高い悲鳴だったけど。
しかし、ということは。
「女の子を幽閉したりしてないだろうね」
噂のひとつを思いだしてわたしが問えば、案の定、蛙はまたこう返してきた。
「なんのこと?」
わたしはひとつ溜息をついた。
いい、深入りはするまい。好奇心は猫を殺す。そもそもわたしが今日ここに来たのは、探偵ごっこをするためじゃない。
そうでしょう、と視線をやれば、モアレムが心得たようにうなずいた。できた使用人頭だ。
「ユリエスさま、お食事をなさってください」
足元まで届く白い髭のモアレムは、穏やかだけれど毅然とした調子で言った。
「こちらの、リツヤ殿が、めずらしい料理をお持ちくださいました」