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5.ファーストコンタクト(後)



「……またですか」


 わたしのななめ前に立つナキが言う。わたしの位置からは見えないが、きっと心配そうに眉をひそめたのだろうと、声色でわかった。


「そうそう。――主さまぁーごっつい門番が帰ってきたんでもう大丈夫ですよー」


 屋敷の中に向かってそう叫んでから、鮭頭はくりん、と再びこっちを振りかえった。

 モノクル越しの左目がすがめられ、わたしを見る。


 そして、次にその薄い唇がつむいだ声は、打って変わって硬質だった。


「――で、なにその女」


 鮭頭の、空色の目が探るように、ナキとわたしを交互に捉える。


「おまえの女、じゃあねえな。人間だし」


 じろじろじろ。不躾な視線とはきっとこういうものだろう。

 たしかにわたしは不審人物なのかもしれないが、一応仮にも頼まれてやって来た身だ、そこまで警戒されるいわれはない。


 眉を寄せたわたしのななめ前、かけらも毒を含まない声で、ナキが答えた。


「料理人殿です」


「……あーあーあー、主さまの絶食対策につれてくるとかいってたあの」


 話は聞いていたらしい。鮭のまなざしから硬さは消えた。


 が。


「こーんな小娘がねえ」


 かわりそそがれた見下したような視線に、ゆらと、わたしの感情が揺れた。


 ……端的にいうなら、いらっときた。


「見たところアナタだって同じような歳だと思うけど」


 言われっぱなしは癪なので、ささやかな反撃を試みる。


 しかし、あくまでナキの立場を悪くしない程度のささやか加減だったせいか、鮭はまったく応えていない様子で肩をすくめた。


「主さまを食わせるにゃ役不足に見えるけどなって話だよ」


 ああそうですか。

 まごまごとこちらへ視線を向けてきたナキへ、わたしは安心させるように小さく笑ってみせる。そこへ、


「玄関を開け放すな、ラミナ」


 低い、やたら威厳のある声が通った。





 鮭頭の背後、扉の奥の闇から浮かびでるようにして、白い髭の老人が現れた。


 老人は頭のてっぺんには髪がなく、耳の上あたりから床へつくほどまでに白い髪が伸びていた。鼻の下から口元を隠して伸びる白い髭もまた足元まで伸びている。踏んづけてこけないのかな、などと失礼な考えがよぎったが、心の中のつぶやきなので勘弁してもらおう。


 ともあれ、老人はゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。


 しっかりとした足取りだ。右手に、先端が渦巻き貝のようになった、背丈より高い杖を持っているが、それを歩行の支えにしている様子はない。杖や、この屋敷の外壁と同じ、長い年月を経た老樹のような、焦茶色のローブを着ていた。


 やがて扉から一歩出たところで立ち止まった老人は、ナキを見て、それからわたしを見て、薄く目を見開く。

 それから、ゆったりと灰色の目を細めた。


「ようこそおいでくださいました」


 言いつつ、老人はちらと横目で鮭頭を睨めつける。


「お客人がいらしているのに、ご案内もさしあげないとは。使用人の教育が行き届いておらず、お恥ずかしいかぎりでございます。なにとぞご容赦くださいませ」


「いえ」


 わたしはただ首を振った。見下されるのはたしかに嫌だが、いきなり平身低頭で来られるのも対応に困る。だってわたしはそんなごたいそうな人間ではない。


 ……ナキがどう説明しているかは知らないが。


 なんとなく嫌な予感がしたわたしの前で、


「私はこのお屋敷の使用人頭を務めております、モアレムと申します」


 老人が名乗った。


 そして、その名乗りが合図だったかのように、老人のうしろから、人影がわらわらと現れた。七、八人はいるだろうか。全員、深緑のローブを着ている。


 その深緑のローブ集団に、わたしはあっという間に取り囲まれた。


「貴女が珍妙な料理をふるまうという料理人殿ですか」


「こんなお若い娘さんだったとは」


「その籠に料理が入っているのですか?」


「おお、なにやらよい匂いが」


 珍妙ってなんだ。


 小娘でごめんなさい。


 うん、そうですけど。


 ありがとう?


 頭の片隅で淡々と返しながら、わたしは内心顔を引きつらせていた。もしかしたら表にも出ていたかもしれない。


 なにこの大歓迎。歓迎というか、むしろ逃がすまい、って感じで囲まれてるんですけど。


 深緑ローブ集団の目はぎらぎらしている。少なくともわたしにはそう見えた。なにこれ怖い。


 これならまださっきの鮭頭、もといラミナの反応のほうがよかった。分不相応の期待をされるのはプレッシャーがすごいし、期待に応えられなかったあとが怖い。


 輪の外で、他人事のように肩をすくめているラミナが憎い。いや、実際他人事なんだろうけど。つまりこれはたんなるわたしの八つ当たりだけど。同じく輪の外でおろおろしているナキは――うん、罪がないから許してあげよう。


 そんなことを思っている間にも、さあさあこちらです、と背中を押されて、わたしは屋敷の中につれこまれていた。


 四方八方を深緑ローブに包囲されたまま、照明のない、暗い廊下を進まされる。

 背後で扉の閉まる音がした。とたん、周囲が完全な真っ暗闇になる。

 なにも見えない。ただ、周囲の人の息づかいと、ローブの衣擦れの音だけが聞こえる。


 ちょっと待って、冗談抜きで怖いんですけど。


「あの――っ」


 ナキは、とわたしが言いかけたとき、目の前で、扉の開く音がした。





 開いた扉の向こうは、ぼんやりとした翠色の光に満たされていた。


 木肌そのものな焦茶の壁の、四隅に鈍い金の燭台が引っかけられ、そこに、蛍の光にも似た、翠の炎が灯って揺れている。


 やはり焦茶の、調理台らしき設備が部屋の真ん中にどんと置かれ、それを囲むように黒い鍋やら調理器具やら、包丁やらが乱雑に散らばっている。日本風にいうなら八畳ほどの、ここは厨房らしかった。


 認めたくないけど。


 だってこの、厨房かっこ仮かっこ閉じには、わたしの頭ほどもある、巨大な蛙がいたるところ跳びはねているのだ。翠の灯りに照らされて、緑の背中がてらてらとつやめいている。


 食用の巨大蛙が這いまわっているという噂は本当だったのかと青ざめたとき、


 調理台の向こうで、なにかがごそりと動いた。


 いわゆる台所害虫Gではない。音からしてそんなサイズではなさそうだったし、ありがたいことに、こちらの世界にやつらはいない。


 なんだ、と目をこらしたわたしのうしろのほうで、


「こんなとこでなにしてんすか主さま」


 ラミナの声がした。


 ……は?


 ぬしさま?


 ぎょろり。調理台の向こうから、覗く目玉が二つ。




「……げこ」




 こんもりと。小山のような巨大蛙が、そこにいた。






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