4.ファーストコンタクト(中)
黒髪の、女の子だった。すだれのように垂れたまっすぐな髪の隙間から、見えた頬は病的なまでに白い。
見ているうちに、女の子の頭は完全に壁から抜けだし、続いて上半身が、それから下半身が現れた。
生首ではなかったわけだ、とわたしが吐息を漏らしたと同時、つまさきが完全に壁から離れ、女の子がするりと浮きあがる。
――そう、「浮きあが」った。
壁から生えてきた時点でただの女の子でないことはわかっていたが、これはもしや、
「幽霊……?」
枝垂れ柳の木の下に、今女の子は浮いている。「女の子」というよりも、「童女」といったほうがしっくりくるかもしれない。
黒髪を肩の上で切りそろえた彼女は、鮮やかな着物を身にまとっていた。その出で立ちは、日本のわたしの家にあった、雛人形を思いださせる。
こちらの世界で暮らして七年目になるけれど、その間わたしはひとりとして、こんな和の格好をした人に出会ったことはなかった。その事実がさらに、童女を異質なものに見せる。
そして、わたしは目の前のお屋敷にまつわる、ひとつの噂を思いだしていた。
つまり、――「幼い女の子が、屋敷の中に引きずりこまれていった」、という噂を。
その女の子の怨念が化けて出たんじゃなかろうかと、なかば本気でわたしが考えたとき、
童女がちらりとこちらを見て、――目が、合った。
「え……」
わたしは息をのむ。
童女は、金色の目をしていた。瞳孔は黒く、縦に裂けるように細長く伸びている。蛇の目に、よく似ていた。
血色を失い、青白いまでの肌に、唇だけはぷっくりと紅くつやめいている。その顔立ちは人形のように、つまり自然ではありえないだろうと思うほどに整っていた。……が、整いすぎていて逆に恐ろしいと、わたしは感じた。
まとう異質な雰囲気と、人形じみた容姿のせいで、年の頃はわからない。ただ、背格好から判断するなら、まだ十歳前後の童女だった。
――そんなことを考えている間にも、ずっと、わたしと童女の目は合っていたのだが、やがて童女のほうがふいと、興味をなくしたように、視線をそらした。
そして次の瞬間、すうっと、空気に溶けるように消えていった。
「な……」
なんだったの、と、言おうとしたわたしの声は、
「なんで、なんでなんで毒蛇地帯も死人防衛線も抜けて、もう嫌だあああ!」
再び屋敷のほうから上がった、半泣きの声に遮られた。
にわかに、今の今まで死んだように静まりかえっていた、屋敷の中のほうがざわつきはじめる。
「主さま、どうか落ちつかれて」
「だれか、温かな飲み物でもご用意しろ!」
「もう行っちまいましたよ、俺が確かめてきましょう」
そんな声と一緒に、お屋敷の、まわりの外壁とまったく同じ材質の、玄関扉ががちゃりと開いた。
――それはもう、あっけなく。
そして出てきたのは、サーモンピンクの髪をした若い男だった。
今年で十九になるわたしと、おそらくは同年代。臙脂色のチュニックと、紺色で細身のズボンの上に白衣を着ている。目は空色で、左目にだけ、薄い金縁のモノクルをつけていた。
チュニックとズボンの組み合わせは、こちらの男性の一般的な服装だ。それはいい。白衣は、こちらではあまりお目にかかるものではないが、それもまあいいとしよう。
しかし、サーモンピンクの髪というのは……ああ、南西の生まれなら可能か。
この世界は大きく五つの地域に分けられる。北方、東方、南方、西方、そして、中央。
そして、元教師の爺さまいわく、この世界では髪の色を見ればある程度生まれた地域の特定が可能らしい。黒系なら北方、青系なら東方、赤系なら南方、白系なら西方、黄系なら中央、というふうに。
そう考えるならピンク色は、赤系と白系の交わる南西生まれ、と予想できるというわけだ。ちなみに、北方よりやや中央寄りにあるわたしの町には、黒に若干黄色を混ぜたような、茶系の髪色が多かったりする。
……それにしても印象の強い頭だ。正式な名前がわかるまで、便宜上鮭と呼ばせてもらおう。
その鮭は、扉を開けてこちらの姿を認めるや、ぶんぶんと手招いてきた。
「なんだ帰ってたのかよナキ、早くこっち来い、主さまをなだめんの手伝え」