12.討ち入りは香ばしさをつれて(後)
通されたのは、前と同じ厨房だった。焦茶色の壁の四隅で、翠の灯りがあやしく揺れる、厨房というよりむしろ魔女の仕事部屋といった雰囲気の空間だ。黒々とした大鍋がおどろおどろしく鎮座ましましているのも、わたしの頭とほぼ同じサイズの蛙たちがいたるところはねまわっているのも、ありがたくないことに前回同様。ただひとつ前と違うのは、その奥に、このお屋敷の主さまであり、冗談みたいな美人に変身する……じゃなかった、冗談みたいな美人が正体である、巨大蛙がいないことだった。なるほど、引きこもっているというのは本当らしい。
運んできた食材を調理台の上に広げると、わたしは料理に集中した。視界の端にちらちらと映る、蛍光緑のスライムがこびりついたままの大鍋やら、原材料不明なショッキングピンクの液体で満たされた小瓶やら、どうにも小動物の骨に見える白い破片やらは強制的に意識から追い出して、とにかく自分の手もとだけに目をこらした。――しかしあの巨大蛙、やることやりっぱなしで唐突に引きこもったのだろうか。
さて、今回わたしが作ったのは、ふわふわ卵とバティの燻製肉と緑が綺麗なルコラ草のキッシュ、舌触りをなめらかにして旨みを閉じこめるべく上質な油で焼いてコーティングし、甘酸っぱいドレッシングで和えた彩り野菜のホットサラダ、そして、前回巨大蛙――からおそろしく綺麗な人間型に戻ったユリエスが「好き」と言ったピンクシチューだ。四日も飲まず食わずだと聞いたので、一番のおすすめは消化に優しいピンクシチューなのだけど、どうせビタミンもカロリーも全部不足しているだろうから、サラダとキッシュもつけてみた。本当はまず、雑穀をバティのお乳でどろっどろに煮込んだ病人食から食べさせたいところなんだけど、どうにもそれには手をつけないような気がしたので。
けれど、そうしてできあがった料理たちが円卓でほこほこといい匂いの湯気を立てても、蛙は出てこなかった。
「……そもそもさ」
だんだん湯気が消えていくのをなすすべもなく見守っていたわたしは、腕を組んで戸口の壁に寄りかかっているラミナを見た。モアレムさんは今、絶賛引きこもり中だという蛙のもとへナキを介した説得に赴いているから、この厨房にいるのはラミナとわたしだけだ。
「あんたは食事の匂いで主さまを引きずり出してくれって言ったけど、肝心の主さまは死人防衛線とやらの奥の部屋に、当然扉もきっちり閉めて引きこもってるわけでしょ? だったら匂いなんて届かないよね」
ラミナはひょいと肩をすくめた。
「だから今モアレムの爺さんが、どうにか扉を開けさせようと説得に行ってるだろ」
「難航してるみたいじゃない。そもそも、作りたてほやほやの食欲をそそる匂いが届かないんじゃ、わたしがわざわざここまで出張してきて料理した意味がないでしょ」
言ってわたしは、ラミナが運んできてくれた木箱の底から、丸い木のお盆を取り出した。温かみのあるすべらかな木のお盆は、食堂で配膳のときに使っているものだ。念のため持ってきておいてよかった。
毎日磨きぬいているそのお盆に、キッシュとホットサラダとシチューと木のお匙、ついでに水差しとグラスをのせる。今にもお盆から落ちそうになっているけど、大丈夫、このくらいならまだ運べる。食堂で、いつもひとりで給仕している経験が役に立った。
料理がのったお盆を持ち、戸口へ歩き出したわたしに、ラミナが胡乱げな目を向けてきた。
「……一応聞くが、まさか」
「これ持ってわたしも説得に行く」
「……死人防衛線がある。はっきり言って、あんたみたいな娘が見るもんじゃねえぞ」
「せっかくの料理が冷めるでしょうが」
おいしいものはおいしいうちに。そりゃ、冷めてもおいしいものだってたくさんあるけれど、それはあくまで冷めて「も」であって、作りたてのぬくもりに勝る調味料なんてありはしないのだ。なのに、せっかく作りたてを食べられる環境にあるのに食べないだなんて、そんなにもったいないことはない。
お盆を持って仁王立ちするわたしに、ラミナは小さく息を吐いた。それから、両手のふさがったわたしのかわりに、廊下へと続く扉を開けてくれた。