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9.前夜



 危険料、危険料、危険料。


 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。


 お鍋をかき混ぜるわたしの脳内では、その一語が回転を続けていた。



 どういう意味ですか、とは聞けなかった。あのあとあれよあれよという間に翠貨の袋を握らされて、来たときと同じように荷車に乗せられて送り返されてしまったから。お帰りも森を抜けるのですから暗くなってはいけません、という、もっともらしい理由でもって。


 ――ただまあ、いくら不穏な言葉が気になろうと、夜になれば夕ごはんを作らなければいけない。独り暮らしならともかく、わたしは、この世界での命の恩人にして拾い主である、爺さまと同居しているのだから。


 というわけで、さっきからわたしが親の仇のようにぐるぐるぐるぐるかき混ぜているのは、パティのお乳に野菜とお肉をたっぷり加えた、栄養満点ピンクシチュー――あの蛙の屋敷で作ったのと、まったく同じ料理である。


 手抜きというなかれ、栄養満点だから、そうだ今日は爺さまにも食べてもらおうと考えた結果である。断じて、危険料危険料と考えすぎて他の思考がストップして、結果体が勝手に、一番最近作ったのと同じ料理を作ってしまったわけではない。ええ決して。


 味見するとき、無意識のうちだれかさんのように、直接お玉に食いつきそうになった。ああやっぱり、わたしは疲れているらしい。荷車での新幹線並高速往復が効いたのだ、きっと。


 あらためて小皿にとって味を見てから、奥の部屋に声をかける。


「爺さまー、シチューできたよ!」




「――今日は、店を閉めていたようだが」


 黙々と、ピンクシチューを口に運んでいた爺さまが口を開いたのは、お皿の中身が残り半分になってからだった。


「どこに行っていたのだ?」


 爺さまと呼んではいるけれど、老いた感じはまったくしない人である。ふたりで食事中の、つまり他人様の目がない今でも背筋はしっかり伸びているし、濃灰色の髪も髭も、いつだってきっちり整えられている。深い紺色のガウンは部屋着のはずなのに、よけいなしわひとつない。


 結局なにがいいたいかというと、そんな爺さまの、眼光鋭い濃灰の目に、眼鏡のレンズ越しに射抜かれると、嘘がつけなくなってしまうということだ。いやべつに、今ここで嘘をつく必要はないのだけれど。


「ちょっと、出張。お客さんの家で料理を作ってきたの」


 悪いことをしてきたわけではないのになんとなくうしろめたく感じてしまうのは、その「お客さんの家」が普通ではなかったからだろうか、やっぱり。


「……ねえ爺さま」


 シチューの最後の一口を飲みこんでから、わたしはもうずばり、聞くことにした。


「蛙になる人間っているの?」




 笑い飛ばされるか眉をひそめられるか。どちらにしてもあまりよろしくない反応を覚悟して聞いたのだけれど、爺さまの答えはじつにあっさりしたものだった。


「薬術師なら可能だろうな」


「薬術師?」


「精製した薬によって、さまざまな事象を引き起こす者たちのことだ。だが」


 す、と、レンズの向こうで、爺さまの目がすがめられた。


「そんな者と、どこで会った?」


「……今回のお客さんが、そういう人だったの。隣の隣の都はずれの、お屋敷に住んでるんだけど」


「ふむ」


 きれいにシチューを食べ終えた爺さまが、音を立てずに、木の匙を置く。それからまっすぐ、わたしを見た。


「そんな辺鄙な場所に居を構えているということは、王府お抱えの術師ではあるまい。どんなまがい者かもわからん、まちがってもそやつの薬を飲むなよ」


「飲まないよ」


 あんな全身で触れるな危険って主張してる液体だか固体だかもわかんないもの。


「それとさ、……」


 壁から生えてきた女の子のことを聞こうとして、やめた。

 なんとなくあれは、人が蛙になるのとは別次元の現象な気がしたから。


 ……つまりその、幽霊的な。


 ――ゆらゆらと揺れていた枝垂れ柳と、その下に置かれていた墓石もどき。突き刺さっていた、卒塔婆によく似た六本の木片。


 そんな場所に現れた、おそろしく美しい童女。蛇のような金の瞳と、すだれのように垂れた黒髪の。


 あのときの光景を思い返してぞくりとする。


「……リツヤ?」


「なんでもない」


 いぶかしげに見てきた爺さまに首を振る。


 おなかがふくれると、気持ちも前向きになる。わたしは、危険料も女の子も、気にしなければいいんだ、と思いはじめていた。あの蛙に食事をさせるという目的を果たした以上、もう、あそこに行くこともないだろうし。

 仮にあったとしても今度こそ、食事だけ届けさせればいい。



 その認識が甘かったと気づくのに、そう時間はかからなかった。





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