0.〈アメイロタマネギ〉
レモンによく似た果実から絞った果汁に、白百合もどきの蜜を加えて、小さなお鍋でことこと煮こむ。
リュス麦を粉にしたものを塩水で練ってうすーく伸ばした生地に、バティのお乳から作った桜色のチーズを塗って、玉葱と緑色唐辛子と、黒こしょうをまんべんなく散らす。
それを窯の中に入れて、あとはときどき様子を見ながら、焼きあがるのを待つだけ。
――さて。
なにを隠そう、ここは食堂だ。……いや、べつに隠してはいないけど。堂々と表に看板を出してるけど。
ともあれ、この小さな食堂、〈アメイロタマネギ〉はわたしが、勝手気ままに創作料理をふるまう場所である。別名、わたしの城。
そして、わたしの名前は麻倉律也。
こことは違う場所――陳腐な表現でぶっちゃけるなら「異世界」で生まれ育った、かつての女子中学生である。
わたしは少なくとも三つの点で、幸運だったのだと思う。
一つめは、右も左もわからないこの世界に落ちてきてすぐ、多少性格に問題はあるものの他人に甘いお爺さまに拾われたこと。
二つめは、そのお爺さまが、やたら教え上手な元・教師であったこと。
そして三つめは、こちらの世界に、食材が豊富にあったことだ。
わたしがこちらの世界に来たのは十二歳、中学入学後すぐのとき。
そこから三年は、こちらの生活に慣れることとこちらの言葉を覚えることで必死だった。予想もしなかった中学三年間になったわけだ。
今のわたしの人格形成に多大なる影響を及ぼしたその三年間は……まあ正直二度と経験したくないようでいて貴重な体験ばかりだったわけだが、ぐだぐだ語っておもしろい話でもないので割愛する。
ともかく、そのやたら密度の濃い三年が過ぎてようやく一息ついたとき、わたしははたとあることに気づいた。
つまり、――おいしくない、と。
こちらの生活になじみかけたわたしが衝撃を受けたのは、料理のバリエーションの少なさだった。
食材はいろいろな種類があるのに、加工の仕方がなんともワンパターンなのである。たいてい生のままか、焼くかの二択だけ。
素材の味を楽しむという意味ではありなのかもしれないが、こちらの食べ物に不慣れなわたしには無理だった。だってね、味はともかく、ざらざらしたりごわごわしたりちくちくしたり、未加工では舌触り的によろしくない食材が多いんだよこっちには。
ただ、舌触りの悪さにさえ目をつむれば、こちらにはわたしが元いた日本という国に存在していたものとそっくり同じ、またはよく似た、あるいはどことなく面影を感じさせる食材もたくさんあった。
そこでわたしはどうにかして、自分になじみのある、自分がおいしく食べられる料理を作りだそうと決めたわけである。それまで電子レンジとやかんくらいとしか仲良くしていなかったわたしが、鍋やら窯やら薪やらと全身全霊のおつきあいを始めたわけだ。
結論から言うと、ものすごく大変だった。
一口の味見で失神したところを介抱してくれ、鍋ごと丸焼きにしたところに瓶ごと水をぶっかけてくれ、どうにかこうにかできあがった料理ならぬ生成物を黙々と試食してくれる爺さまの存在がなかったら、とうの昔に投げだしていただろう。
まあしかし、そんな苦闘の日々が続いた三年め、わたしが作りだした実に何万個めかの生成物を口にした爺さまがぽつりと言ったのだ。
――「これなら、食べたいという物好きもいるかもしれんの」、と。
基本的に、わたしは褒められれば舞いあがりその気になる性格である。それは、ある日突然異世界かっこ笑いかっこ閉じなんぞに飛ばされ、いろいろ、本当にいろいろあった今でも変わっていない。
そこから、爺さまが昔塾として使っていた小屋を食堂に改装して、今にいたる。
がらごん、と。
扉につけてある鐘が鳴った。
奥で調理をしていても来客に気づけるように、と取りつけたこの鐘、お客にはおおむね受けが悪い。なんだか開けてはならない扉を開けてしまった心持ちがするそうだ。はるばる町ふたつ越えた向こうの山まで行って発掘してきたのに、なんとも心外な言われようである。
それはともかく、リュス麦と桜色チーズのピザもどきが焼きあがった瞬間やってくるとは、間のいいお客だ。そう思いながら、わたしは窯の扉を開けた。
とたん、焼けた生地の香ばしい匂い、ぐつぐつと泡立つチーズの幸せな匂いが小さな食堂中に漂う。
「いらっしゃい。ちょうど、『桜色チーズに真珠玉葱と緑色唐辛子のピザ』が焼きあがったところだよ」
開かれた扉のほうを見もせずに言って、わたしは慎重に窯からピザを取りだす。
桜色のチーズにはこんがり茶色の焼き目がついて、緑色唐辛子は焦げることなく、スライスした玉葱はチーズからとろける油にコーティングされて、真珠のように照っている。
ああおいしそう、上出来上出来、と自画自賛していたわたしは、だけど次の瞬間顔をしかめた。
この幸せなチーズの匂いを圧倒して、食堂にははなはだよろしくない臭いが、開いた扉のほうから迫ってきていた。汗と泥をぐつぐつ煮こんだような、この臭いは。
「リツヤ殿!」
響く、がらごん、なんてドアベルの音がかわいらしく思える、破鐘のような声。
ピザをすべらかな木皿に移して窯の扉を閉め、わたしは立ちあがった。