【八. 続・逸脱者-out side-】
【八. 続・逸脱者-out side-】
シャワーの音が響く。どうやら、植田がシャワーを浴び始めたらしい。この家で、女がシャワーを浴びるとは思ってもみなかった。が、今は、そんなことは、どうでもいい。多少落ち着かないところもあるものの、入っているのは、ほとんど、中学生か小学生の植田である。昨日、今日会っただけの人間にそれを言うのもいささか失礼な気がしなくもないが。
とりあえず、差し迫った、問題はこの後の身の振り方である。どうやら、彼女は、俺のドッペルゲンガーが見つかるまでは、ここに居座るつもりらしい、口ぶりだった。正直、あの女と一緒に生活をしていくのはなかなか辛い。我侭オーラがヒシヒシと伝わってくる。それに、もう一人の俺の同類らしい。昨晩は、例外だと言われていたし、話しているときは、普通の女の子に見える。けれども、冷静に考えてみれば、昨晩殺されかけたのを思い出せば、自分が彼女に敵わない事は明白だった。昨晩の出来事が、彼女の誤解から起きてしまったことだったとしても、そんな相手が居る中、安眠できるかといわれれば甚だ疑問である。
とりあえず、もう一人の諏訪部悠を捕まえなければならない。
そうすれば、少なくとも、俺には平穏な日常が帰ってくるはずだ。まぁ、普段が平穏かどうかも大概不明だが。とはいえ、安眠できえ、学校行って、啓太と飯でも食って。別に、その生活に不満は無かった。それを得るには俺の格好をして好き勝手している化け物をどうにか捕まえるなり、退治するなりするしかない。
テレビに映るのは夜のニュース。政党がどうのとか、首相がどうのとか。どうやら、昨晩の出来事はニュースになっていないらしい。地元にかかわる事件は放送されていなかった。もしかしたら、他の殺人事件が例のBD関連の事件の可能性ってもないこたぁないが。恐らくは、どっかが、何らかの圧力でもかけれ、昨日みたいなニュースが報道されないようにしているのだろう。ネットでも見つからなかったし、確かにあんなのの存在が公になれば、パニックだって起きそうだ。
で。自分なりに奴を探すのには、やっぱり、事件の情報とか、BD、化け物の情報も必要なのだろう。それに、中途半端に知ってしまっているのは、もやもやする。どうせならば、しっかりと把握しておきたい。とはいえ、今しがた、普通に情報を集めることができないことがわかったばかりだ。それを知ろうと思ったら、既にそれに関わっている人間に尋ねる他ない。
そして、そう思い立った直後、洗面所の蛇腹が開く音が響いた。植田が風呂から上がったのだろう。湿った足でフローリングを進む、ぺたぺたという足音。そして、彼女はバスタオルを使い片手で頭の水気を拭いながら、再びちゃぶ台の前に腰を下ろした。彼女の寝間着は灰色のスウェットの上下。色気の欠片もねぇ。心の中で俺はそう、あきれ返ってしまう。そんな俺のこころを知ってか知らずか、植田は、「牛乳ない?」と尋ねてきた。
「あると思う。冷蔵庫の中」
「取ってきてー」
予想通り期待はずれの返事。
「嫌だよ。自分で持って来い」
「それは嫌。人の家の冷蔵庫を勝手に空けるのは気が引けるし、何より面倒くさい」
後半言わなければ、株も下がらなかったろうに。まぁ、何にせよ、これから、話しを聞こうというのだ。機嫌はとっとくにこしたことはないだろう。俺は諦めて立ち上がると、先ほどまで、彼女が麦茶を飲んでいたコップを濯いで、彼女の所望する牛乳を、その前へと差し出した。
「ありがと」
そう言って、彼女はグラスを両手で持つと、それを傾け、喉を鳴らし始めた。それは、瞬く間に彼女の中へと消えていき、牛乳を飲み干した彼女は「ふはー」と大きく息を吐き、グラスをちゃぶ台の上にと戻す。
「髭、ついてんぞ」
「えっ?」
彼女は袖の部分で慌てて口元を拭った。昨日のことが嘘のように、今の彼女は見た目相応の年齢にしか、見えない。とはいえ、この目お前の少女が自分よりも年上だというのだから、BDの力というのもわからない。彼女の望みというのが子供のままでいたいとか、そんなピーターパンのような、可愛いものだったのだろうか。
それは、さておき。
「あのよ。BDやらアウトサイドやらに関して聞きたいんだけど」
彼女のグラスを片付け、俺は話しを切り出した。突然だったので、面食らったのだろう。彼女は、一瞬驚いた様子だったが、すぐに、黙り込み、数秒の間考えこんでしまう。そして、息を一つ吐いた。
「まぁ確かに、真琴さんの言うとおり今更、か」
「じゃぁ」
「わかった。私の知っている限りのことを話すよ」
そうして、彼女は真剣な表情で語りだす。人を食らう化け物の話し。
「まず、BDについてかな。存在は知ってたよね。昨日、真琴さんが、話していたし。あれの中身については聞いてる?」
「いんや」
俺は、首を横に振る。摂取している人間が、どうなるかは聞いた。しかし、その成分やらなにやらは聞いていない。
「あれの中身はある特殊な機械なんだ。十億分の一っていう超極小の」
「ナノマシンってやつか? SFとかに出てくる」
「正解。かつて、白鳥恭二っていう科学者の開発したナノマシンが、BDの正体」
「白鳥恭二?」
俺は聞き返す。なんとなく、聞いた覚えのあるような名前だったが、詳細が思い出せない。
その俺の質問を聞き植田は「そっか」と小さく頷く。
「白鳥恭二が死んだのは私たちの物心のつく前だしね。当時はすごく、話題になったらしいけど。なんとかっていう宗教団体の施設で、生物兵器を開発していたんだってさ。それで、国が調査を行おうとしたら、そのまま、その施設に篭城。そこで開発されていたのが生物兵器だったとかなんとかで、自衛隊の特殊部隊が出動。で、施設制圧の際に銃撃戦になってその白鳥ってのは死んじゃったんだけどね。その施設から、彼の開発したものが大量に発見されたんだって。生物兵器はもちろんのこと、当時は革新的だったものがいろいろとね。で、その一つがBDの中に入っているナノマシンだったってわけ。」
「なんで、そのナノマシンがドラッグになったんだ?」
植田は小さく首を横に振った。
「わからない。そもそも、押収された時点ではナノマシンがどんな働きをするものなのかもわからなかったらしいよ。押収から数年してアウトサイドが出現、その後にアウトサイドを調べていったら、例のナノマシンと同じだったって感じらしい」
「そうなのか」
まぁ、今更ながら、本当に映画みたいな話だ。とはいえ、疑うようなこともないけれど。ともかく、そのナノマシンってのがアウトサイドになる効果を持っているってことなんだろう。
「そして、アウトサイドはまぁ、概ね真琴さんから聞いていたよね」
「まぁな」
頷く。
「人を食べる、やたら強い奴のことだろ」
「そう。さっき、話したナノマシンはね、人の肉をエネルギーにして動いているらしいの。厳密にはたんぱく質。ナノマシンは人のたんぱく質にのみ反応して活動するんだって。そして、そのたんぱく質を得るために、ナノマシンが脳に作用して人を食べたいっていう強い感情を与えるんだ」
「また、けったいなシロモノだな」
「白鳥がそれをわざとナノマシンのシステムに組み込んだのか偶然の結果、そういう風になってしまったのかは、今じゃ知る由もないけどね。まぁ、それはいいとして。で、ナノマシンが活発に活動を始めると、ナノマシンの効果によって筋肉のリミッターの解除、新陳代謝の加速とか、様々な力を得られるの。それが、アウトサイドのアウトサイドたる所以。」
「なるほど、だけどさ、超能力ってのはなんなんだ? 真琴さんは言っていたけどさ。」
なんとなく、なんとなくだけど、これまでの説明は納得のいく気がするナノマシンが、新陳代謝を活性化させて治癒能力を上昇させたり、筋肉のリミッターを解除させたり。これは、体の構造を人為的に歪ませているというので納得は出来る。俺の知る常識の範疇かどうかはさておき。ただし、超能力を使えるようにするってのはいまいち想像がつかない。
「まぁ、どんなものかは、人それぞれだけどね。アウトサイドの超能力には二つの分類がある。一つは肉体改造型。もう一つは、純粋超能力型。多くの場合は前者。純粋超能力型は私も見たことない」
「肉体改造型と純粋超能力型?」
「そう。前者は、ナノマシンによって体の形や構造を変化させるもの。常軌を逸していると思うけれども、人によっては、自分の姿をまったく、別の姿に変えることができるよ。多分、今回の事件もこのタイプでしょう。殆どの場合はこの肉体改造型に分離される
そして、もう一つの純粋超能力型は、まぁ、世間一般に想像される超能力かな。人間が、自身の脳の大部分を使用していないのはしってる?」
「なんとなく」
そんなことを、テレビか何かで見たことがある気がする。
「ナノマシンは、時に、その脳の未使用部分をこじ開けることがあるの。んで、その未使用部分が開放されるとまったく、思いがけない超能力が使えるようになるらしい」
「らしい?」
俺は彼女の語尾を聞き返す。
「言ったでしょ、みたことないって。ま、それは、それとして。話を戻すけど、そのアウトサイドを退治するのを国に委託されたのがASOってこと。混乱を招いてしまうからとかで公に出来ないから、行政にそれを組織することをお国が嫌がったんだってさ。そうはいっても、ASOでできた、対アウトサイドの部署にいる人間のほとんどは組織された後にスカウトされてきた人たちばかりらしいけどね。とりあえず、そんな感じかな」」
立ち上がり、話しを畳もうとする彼女。
「いや、まだ、聞きたいことがある」
それを引き止めて、俺は話の続行を求める。アウトサイドの生態っていうか、まぁ、どんなもんなのかは理解した。けれど、言ったとおり、聞きたいことはある。
「お前は、本当にアウトサイドなのか?」
大事な質問だ。昨晩、真琴さんと彼女がアウトサイドなのは聞いていたが、真琴さんは、私たちは例外だと言っていた。例外とはどういう意味なのか。
「そうだよ。」
植田は、事も無げに肯定する。しかし、それは同様にある事柄をも肯定することだ。聞いていいのか、逡巡する。けれども、俺の聞いた質問の本質はここにあったのだ。聞かないわけにはいかない。
「でもよ、アウトサイドは人を食べるんだろ」
そう、彼女が昨晩のビデオで見た化け物と、同様の物なのか。
「まぁ、そうなりえたかもしれない」
彼女は、一瞬、目を細めた。
「でも、今はありえないよ。言ってたでしょ、例外だって。」
彼女はそう言って、鞄の中から、小さな薬ケースを取り出す。中には小さなカプセル。食後に、それを飲んでいるのを見た気がする。
「これね、ナノマシンの食人衝動を抑える効果があるの。擬似的にナノマシンにエネルギーを与えるんだってさ。ま、一度でも人を食べてしまうと効果はないらしいけどね。私に食べられると思った?」
そう言って彼女は悪戯に笑った。そうして、再び鞄の中にケースをしまい、俺の部屋の扉を開く。話は終わったということだろう。
「そろそろ寝ようか。いい時間だし」
そう言われて俺は、時計を確認する。気がつけば、日付が変ろうとしていた。思いのほか、長いこと話し込んでいたらしい。と、不意に気がつく。寝るかと言って、何故、彼女が俺の部屋に消えていくのか。
「まさか」
俺は、慌てて立ち上がり、部屋へと入る。
そこで、目に入ってきたのは予想通りのもの。俺が普段寝ているベッドには、すでに、植田が入り込んでいた。タオルケットに巻かれて。
「なんで、お前がそこで、寝てるんだ」
すでに、そっぽを向いて寝る体勢に入っている植田を睨む。てか、髪の毛濡れたまんま、布団に入るんじゃねぇ、枕に頭を乗っけるんじゃねぇ。
「じゃぁ、どこで寝ろって言うのさ。お兄さんのとこは流石に申し訳ないでしょ。」
「ソファで寝ろソファで」
我が家のリビングにはちゃぶ台から少し離れた位置にリビングが設置してある。ちゃぶ台で飯を食うにはいささか高いので、テレビで映画とか見るとき専用になっているものが。いささか、必要性に疑問は感じるものの、今日まさに活躍する場面が来た。と、いうのに。
「嫌だよ。ベッドじゃないと、寝れないもん。ソファ体痛くなるし。」
なんという我侭娘か。
「ま、暑くても、我慢するよ。思いのほかベッドやわらかいしね」
この子は何様なのだろう。まぁ、これの相手をするのも面倒だから、俺自身が動いた方が正解か。「はぁ」と溜息を一つ。俺は仕方なく、部屋から出てソファへと向かう。と、不意に、服の裾を引っ張られ、俺を後ろへと仰け反った。
「なんだよっ」
振り向く。当然、今、この家に居るのは俺と植田の二人だけなのだから、引っ張った相手は彼女しかいない。
「どこに行くの? ここで寝なさい」
そう言って彼女はベッドの脇の床を指差した。俺に床で寝ろと言うのか。
「当然。ベッド一つしかないし、同室じゃなきゃ監視の意味ないし」
どんな横暴だ。
「ふざけんな」
俺は、そう言って断固拒否の姿勢をとる。流石に、そこまで付き合ってられない。俺にだって人権はある。何が悲しくて固い床に寝なきゃならねぇのか。絶対に床で寝るなんてことはしたくない。
と、彼女がすごく、俺の顔を見てくるのがあわかった。じっと。そして、その小さい口が言葉を紡ぐ。
「食うぞ」
俺の決意は物の数秒で瓦解した。