【六.和解 -boy meets girl-】
【六.和解 -boy meets girl-】
「なんだ、この状況」
俺は、シンクで食器を濯ぎながら、溜息をつく。
水の流れる音。俺の背のリビングからは、楽しそうな話し声が聞こえる。なんで、こんなことになっているのか。
我が家は兄と二人暮らしだ。俺は言うまでもなく、兄もこの家に友人を連れてくることもあまりないので、そうそう、俺と兄以外が家にいることはない。稀に啓太が遊びにくるくらい。俺の記憶している限り同世代の女が、この家の敷居を跨ぐのは初めてだ。
「いやぁ、こんな男臭い、部屋でよければ、好きに使ってくれ! まさか、悠にこんな可愛い彼女がいたとはなぁ」
「いえいえ、可愛いだなんて」
兄の言葉に侵略者、植田亜姫はそう言ってはにかんでみせる。俺への態度とはえらい違いだ。そうして、兄貴も兄貴で簡単に懐柔されてんじゃねぇ。
俺は、キッチンに掛けてあるタオルで手を拭くとリビングで話す二人、を素通りして、自室へと向かった。
なんで、こんなことになっているのか。なってしまったのか。
放課後、植田は、何の前触れもなく、俺との帰宅を強行した。どうやら、啓太は気を使ったらしく、植田の同行を知り、用事があるからと先に帰ってしまう。そして、止む無く俺は植田と二人、まったく口を聞く事もなく自宅へとたどり着いた。
「じゃあな」
そう言って俺は自宅前まで着いて来た植田と、別れるはずだった。けれども、植田はそんな素振りをみせることなく、あろうことか、俺と一緒に、玄関の自動ドアをすり抜けて着てしまった。
「言ってなかったけ? 今日からあんたの家に世話になるつもりだったんけど」
「はぁっ!?」
俺は驚きを隠すこともなく、そう声を上げた。思ったよりも声が大きかったらしく、自身の声が反響する。幸い、周囲に人はおらず、目立つようなこともなかったが。
「いや、意味わからねぇし」
俺は、声のトーンを落としつつも植田を睨む。けれども、植田はそれを気にする様子も無かった。
「仕方ないでしょ。あんたの疑いは晴れてないんだから、あんたの監視を続けなきゃいけない。もう、どうせバレてるし、あんたの家に居たほうが監視も楽じゃん。外で待機してるのって、熱いしなかなかつらいんだよ?」
「馬鹿言うな。そんなん通るわけないねぇだろ。それに、うちは、俺と兄貴の二人暮らしだから、女泊まらせらんねぇよ」
「なんで。襲っちゃうから?」
「んな訳ねぇだろ。常識考えろよ。それに兄貴だって、そんな許してくれねぇ」
はずだった。
帰宅して、兄貴と顔を合わせた、植田は、昨日から今までで一度だって見たことの無い、予想することも出来なかった程の笑顔。そりゃぁもう、愛想のいい表情だった。
「はじめましてっ。悠君とお付き合いさせていただいております、植田亜姫と言います」
そこから、兄貴に取り入るまでは一瞬だった。まんまと、我が家に上がりこんだ植田は、俺の彼女と自称し、自宅が全焼しちゃったからお世話に、少しの間、お世話になりたい、と嘘を並べ立て、見事兄貴の許可を得たのである。あまつさえ、夕食も三人分用意させられた。ちなみに、植田が兄に、ないことないこと喋っている間、当然、俺はその否定を行おうとした。が、口を開こうとするたびに、奴の怪力が俺の二の腕を引き千切らんばかりに、つねってきたので結局、俺が植田の家庭侵略を妨げることはできなかった。
そして、現在に至るのである。
俺は、部屋着に着替え、ベッドに寝転ぶ。と、突然、乱暴に扉が蹴り開けられた。来訪者は言うまでもない。兄貴はこんな乱暴に扉を開けたりはしない。
「蹴るなよ。それに、ノックぐらいしろ」
ベッドに横になったまま。植田の方を向くことなく言った。
「お兄さん、仕事行ったよ」
天晴れな無視っぷりだ。そう言うと、部屋に入り、片隅に自身の荷物を置く。容赦なく下敷きにされる俺の雑誌。それほど部屋が片付いているわけではないが、鞄を置く場所くらい、いくらでもあるだろうに、なんで、わざわざ、そんな風に置くのか。どうせ、口にだしたところで、奴の機嫌を損ねるだけなのだから、あえて口にはしない。
植田はぐるりと部屋を見回してから、ゆっくりと、その場に腰を下ろす。スカートの後ろ部分を、押さえながら座るその仕草が、女の子っぽくてらしくなかった。
「暑い」
植田はそう呟く。
それは、そうだろう。俺だって汗だくだ。リビングにいれば、窓がある分、幾分涼しいのだろうけど、この部屋は、熱気がこもり過ぎている。俺は、たとえ暑くても落ち着くし、何より、植田が、ないから、自室に来たというのに。なぜ、彼女がここに来のか。
「リビングに行って窓開ければ、涼しいと思うぞ」
暗に出て行くように訴える。自分の部屋に人が、それも女がいるというのはとても落ち着かない。その相手も相手だ。
「だって、人の家で一人ってのも落ち着かないでしょ」
どうやら、俺の気持ちは伝わらなかったらしい。
「それに、あんたを監視するためにここに居るんだから、違う部屋にいたら意味ないじゃん」
「俺の部屋には、窓ないから、リビングにいれば、外出するときわかるだろ」
「あんたがアウトサイドだったら、どんな能力があるかわからないからね。こうやって、監視してるのが一番でしょ」
どうやら、俺は、あの映像の男が捕まるまでは、こいつに付きまとわれなければならないらしい。まぁ、寝てるときとか、どうするつもりかは、わかりかねるけどな。それに学校でだって学年が違うから教室のあるフロアすら違うってのに。
とはいえ。流石に、狭い部屋に二人、汗を流しながら我慢大会していても仕方が無い。
「わかったよ。それじゃぁ、俺もリビングに行くから」
俺は、ベッドから、起き上がり、リビングへと向かった。植田も、だるそうにではあるが「はーい」と、返事をする。小さいマンションだ。部屋を出れば、すぐリビングだ。植田は、先ほどまで、座っていたの時と同様にちゃぶ台の前に腰を下ろす。俺はというと、喉が渇いたので、キッチンまで足を伸ばし、グラスに麦茶を注いで、その場で飲み干した。そして、再び、グラスに麦茶を注ぎ、今度はもう一つグラスを用意しそちらにもグラスを注いだ。よく冷えている。グラスもすぐに汗をかいた。俺は、その二つのグラスを持って、ちゃぶ台の前まで行く。一つを植田の前に、一つを自身の前に置き、俺も腰を下ろした。テレビのリモコンを操作し、電源を入れる。特に、内容には興味がなかったので、点けたときにやっていた情報番組をそのまま流す。最近、よく見かける芸人がラーメンを食べていた。
「気が利くじゃん。ヤンキーのくせに」
麦茶を半分ほど一気に飲んで植田が言う。
「ヤンキーは余計だろ」
「じゃぁ、不良だな。金髪でピアスあけてて、喧嘩っ早い高校生をそれ以外で形容する方法を私は知らない」
そう言って、再び、麦茶に口を付ける。そんなに、喉が渇いていたのだろうか。
「気が利くことと、ヤンキーになんの関係性もねぇって話しだ。」
俺は、そう言って頬杖をつく。
「そっか」
そう言って、植田も、麦茶からテレビへと視線を移した。
「にしても、また、えらくぶっ飛んでんな。監視のためにお泊りですか」
視線も向けず、頬杖はついたまま。テレビは見ているものの特に内容に気を向けているわけではなかった、ただ、なんとなく気を紛らわすために点けているだけだ。
「なんか、その言い方気持ち悪。」
「うっせ」
時折、麦茶を口に運ぶ。喉を抜けるよく冷えた、それは火照った体を覚ますには丁度いい。時折、窓から吹き込む風も、汗を冷やしてくれて心地いい。まぁ、快適。
それから、僅かな沈黙があった。テレビの場面は切り替わり、スタジオで、また同じように芸人たちがあれこれ喋っている。部屋に響くのは、スピーカーから、垂れ流されるその音声ばかり。
「昨日は、ごめん」
それは、唐突に割いて放たれた言葉。そこで、俺は、言葉の意味を反芻して植田を方へと顔を向けた。そこで、植田が、いつの間にかこちらへと向き直っているのに気がつく。
「謝ってすむとは、思わないけどさ」
発せられたのは謝罪だった。
「ただ、まぁ、これは、私の自己満足なんだけど、どうしても謝りたくて」
その大きな瞳がまっすぐに俺を見据えている。ひねくれていて、まったくもって何を考えているのかよくわからない奴だと思っていた。けれども、それはもう、真っ直ぐに俺の目を見ている。
「もういいよ。死んでもねぇし、大した怪我もねぇしな」
「でも」
「気にしてねぇよ。」
言葉を遮った。本人が反省しているならいいだろう。それに止むを得ない事情っちゃ、そんなような気もする。許さないことで何かがあるわけでもない。だったら、ここですっきりさせといた方がお互いのためだろう。ましてや、昨晩の映像だ。あんなん、誰が見たって、俺が犯人だろ。
「そう。ありがとう」
彼女は、それまでの行動が嘘だったかのように、しおらしく、小さく呟いた。そして、大きく一つ伸びをすると、勢いよく立ち上がる。
「どうした?」
俺は尋ねる。彼女は、俺の部屋の扉を開けて鞄を引きずり出す。
「いやさ、そろそろいい時間だしね。寝る用意も兼ねて風呂借りるわ!」
「お、おう」
急にどうしたというのか。妙に元気よく、風呂場へと向かう彼女は俺は麦茶を片手に見送った。