【二.諏訪部悠 -Haruka Suwabe-】
【二.諏訪部悠 -Haruka Suwabe-】
つい、先ほど、人を殴った影響か。両の拳が酷く痛んだ。見るまでもなく、出血し、皮膚がズル剥けている事が容易に想像できる。
現在は保健室。この拳を代償に救出した啓太の怪我の手当てをしてもらっていた。
怪我自体は、大したことないだろう。主だった外傷は、肘と頬にできた擦り傷くらいか。
まぁ、そんな怪我でも消毒液は勿論、容赦ない痛みを浴びせる。
彼の背に立つ形になるので、表情を窺い知ることはできないが、数少ない、友人が苦悶の表情を浮べているのは間違いなかった。
俺は、同じ目には合いたくないので、さりげなく、養護教諭に見えないように、背中の辺りで手を組んでいる。
勿論、啓太をここに連れてきたのは、彼のことを思ってだ。
「はい、これでお終い」
養護教諭が、啓太の肘に絆創膏を、頬にガーゼを貼り終えてそう言った。
啓太は、頬のガーゼに手を触れた後、小さく会釈をする。そして、ゆっくりと、立ち上がると、俺の背中を押して、養護教諭の前へと差し出した。
「ほら、悠も、手、見てもらわなきゃさ」
その時の啓太の笑顔を忘れまい、と、俺は心に誓い、甘んじて養護教諭へと両手を明け渡す。
あの、青と白の悪魔は、耐え難い激痛を俺へと与えた。
そして、俺は啓太を睨み、そして、両手に大げさに巻かれた包帯を摩りながら、保健室をあとにする。
「ヤンキーに恐れられまくってる、諏訪部悠さんが消毒液ごときにみっともないなぁ」
そう言って、啓太はケラケラと笑った。
「……うるせぇ」
それに対して、俺はどうとも反論できずにそう口を尖らせるしかない。
辺りはもう、橙に染まり始めている。
元より、先の喧嘩が放課後だったのだから、今の季節でなかったら真っ暗でもおかしくなかっただろう。当然、教室等には人影はなく、二人の足音と、遠くのほうで響く吹奏楽部のラッパの音が耳につく。
教室に戻り、お互いに机の脇にかけてある鞄を肩へとかけた。
そして、下駄箱を通り、校舎を出る。
家の方向はほぼ一緒。学校では自転車通学が認められているものの、家が近いのと駐輪場の確保が難しいため、俺は徒歩での通学を好んでいた。啓太も同様。
昇降口から駐輪場までの距離が少しあるため、家までの距離が近かったら歩いたほうが楽、というのが二人の見解だ。
青から、オレンジへとグラデーションしていく空を眺めながら、ぼんやりと、サイクリングロードを歩く。
「なんで、お前さんは狙われやすいのかねぇ」
俺は、そう、啓太に問いかけた。勿論、啓太自身、そんなことが判るわけないだろう。案の定、啓太からの返答は「さぁ」というもの。
まぁ、原因がわかっていても、どうにか対処できるようなものでもないのかもしれないが。
啓太は昔から、苛めの対象になりやすい性質だった。昔から、体が大きかった俺が一緒にいることが多かったので、小、中学校くらいまでは、多少、それも形を潜めていた。けれども、高校に上がってからは、一人で呼び出されては、他の生徒の捌け口にされることが時折。
「悪いな、変なこと聞いてさ」
「いや、別に気にしないよ。それに悠には、いつも助けられてる。」
「そうか、な。まぁ、任せろ。何時でも助けてやるからよっ」
そう言って、俺は笑った。それでも、尚、啓太の顔は翳ったままだったけれど。
それからは、しばらくは無言だった。淡々と歩いていくうちに、サイクリングロードが途切れ、一般道へと変わる。そして、徐々に人通りの少ない道に。辺りが橙から灰色になっていった。
「ご飯でも食べてく?」
お互いの家への別れ道。古びたタバコ屋がある交差点の信号待ちでそう聞かれた。当然、帰るにはここで別れなければならないのだが、もう少し啓太の家の方まで歩いていけば、小さな食堂がある。時間に余裕がある時は二人で、そこで、食事をしたりしていた。
「遠慮しとくわ。兄貴の飯も作らなきゃならねぇし」
しかし、今回は断った。夜勤の兄がそろそろ起き出す時間である。残念ながら、今日は朝に準備をしてこなかったので、早く帰って食事を用意しなければならない。
「あぁ、今日も健児さん夜勤なんだ。わかった、それじゃぁ、また明日学校で。」
「うぃ」
啓太も長い付き合いだ。我が家の事情をある程度は把握してくれている。そうして、俺は啓太に小さく手を振ると、自宅へと歩みだした。