虚飾の凱旋(国民の英雄)
鏡の中の異物
都内、防衛省の特設宿舎。
誠司は、洗面台の鏡に映る自分の姿を凝視していた。
支給された最高級の礼装用軍服。肩には銀色の階級章が輝き、襟元は一点の乱れもなく整えられている。だが、その白い襟の間からは、死地を潜り抜けてきた「龍」の尾が、忌々しい傷跡のように覗いていた。
「……様にならねえな」
誠司は、戦場で松田から託された「般若のお守り」を、軍服の内ポケットに深く仕舞い込んだ。布越しに感じるマイクロSDカードの硬い感触だけが、今の誠司にとって唯一の「現実」だった。
外からは、数万人規模の群衆による歓声が地鳴りのように響いている。
戦場での誠司たちの活躍は、新海の手によって「自分たちを犠牲にして市民を救う、刺青の聖者たち」として劇的に編集され、SNSやメディアを通じて国民の熱狂を呼び起こしていた。
「シリアル01、時間だ。……いや、今は『秋山一等義勇官』と呼ぶべきかな」
ドアを開けて入ってきたのは、新海恭平だ。
彼は誠司の姿を上から下まで眺め、薄く笑った。その瞳には、舞台衣装を着た動物を眺めるような、隠しきれない侮蔑が混じっている。
「最高の気分だろう? 昨日までドブネズミだった君が、今は国を救った救世主だ。街の女たちは君に花を投げ、男たちは君のようになりたいと夢想している」
「……あんたが書いた台本だろ、新海。俺たちは踊ってるだけだ」
「台本は君たちが血で書いた。私はそれを、国民に分かりやすい言葉で翻訳してやっただけだ」
恭平は誠司に近づき、その肩に付いた目に見えない埃を払う。
「さあ、英雄。……君を待ち望む、愚かな国民の前へ」
狂熱のパレード
銀座の目抜き通りを、装甲車に乗った誠司たちが進む。
沿道は人、人、人で埋め尽くされていた。日の丸の小旗が振られ、誠司の名を叫ぶ声が空を突く。
誠司の隣には、戦地で生き残った数名の義勇兵たちが座っている。かつては敵対組織で殺し合いを演じた男たちも、今は借りてきた猫のように強張った表情で、慣れない敬礼を繰り返していた。
「誠司……俺ら、本当に許されたのか?」
一人の男が、涙を浮かべて呟いた。
「まっとうな人間として、生きていけるのか?」
誠司は答えなかった。
歓呼の声を上げる群衆の中に、九州の戦場で見かけた、あの恐怖に震えていた母親の姿を幻視した気がしたからだ。
今、自分に花束を投げる人々も、誠司の背中に刻まれた龍の本当の意味を知れば、一瞬でその手を石を投げる手に変えるだろう。
この熱狂は、自分たちに向けられたものではない。
新海が作り出した、都合のいい「物語」に向けられたものだ。
深夜の解析
レセプションという名の、偽善に満ちた祝宴が終わった深夜。
誠司は監視の目を盗み、施設内の古いPCを起動させた。
震える手で、松田のお守りからマイクロSDを取り出し、ポートに差し込む。
画面に映し出されたのは、新海が国民に見せたものとは真逆の、泥と裏切りに満ちた「記録」だった。
自衛隊の精鋭部隊を撤退させる時間を稼ぐため、新海が意図的に誠司たちの位置情報を敵にリークし、包囲させた際の通信音声。
さらに、戦後に義勇兵たちを「再犯の恐れあり」として一括で隔離・処分するための計画書——『プロジェクト:スクラップ・ヤード』の全容。
「……親父も、こうやって消されたのか」
誠司は、銀のライターをデスクの上に置いた。
カチリ、と蓋を開ける。火はつかない。
だが、モニターに映るデータの中に、ライターの底と同じ紋章を見つけた瞬間、誠司の脳裏でバラバラだったパズルのピースが繋がり始めた。
このライターは、二十年前、政府が裏社会を利用するために設立した非公式組織の「鍵」だったのだ。
そして、新海の父・大吾が、その存在を隠蔽するために誠司の父を殺し、今また恭平が、誠司たちを同じ轍に追い込もうとしている。
「新海……あんたは俺を『バグ』だと言ったな」
誠司は、データを暗号化し、クラウド上の隠しサーバーへと転送した。
その瞳には、戦場での猛々しい怒りではなく、冷徹な復讐の炎が灯っていた。
「……バグがシステムを壊す瞬間を、特等席で見せてやるよ」
反転する風向
数日後、世論に異変が起きた。
テレビ番組では「元暴力団員による英雄的行為」への賛辞が鳴り止めば、ネット上では「彼らは本当に更生しているのか?」「武器を持たせたまま街に放つのは危険だ」という不安の声が、組織的に拡散され始めた。
これも、新海の台本だった。
熱狂という名の「光」を十分に浴びせた後、今度は「影」を強調することで、彼らを社会から排除する正当性を作り出す。
誠司たちの宿舎の周りには、昨日まで歓声を上げていた群衆の代わりに、右翼団体の街宣車や、「犯罪者の英雄化反対」を叫ぶ市民団体が集まり始めていた。
「——英雄の賞味期限は、驚くほど短いと思わないか?」
宿舎の廊下で、恭平が誠司を待ち構えていた。
恭平の手には、新しい「任務」の書類が握られている。
「君たちには、内地の最激戦区へ向かってもらう。……今度は、生きて帰ってくる必要はない。それが、君たちを恐れ始めた国民を安心させる、唯一の解決策だ」
誠司は恭平を直視し、初めて不敵な笑みを浮かべた。
「……安心しろ。俺らはゴミだ。ゴミにはゴミなりの、捨てられ方がある」
誠司の手の中で、火のつかないライターが一度だけ、火花を散らした。




