幻のスイーツと、Sランク指定区域
リビングのテレビ画面の中で、女性リポーターが黄色い声を上げていた。
『ご覧ください! ダンジョン深層でしか採れない奇跡の果実、「ジュエル・ベリー」をふんだんに使ったタルトです! お値段はなんとワンホール一〇万円! ですが、予約開始からわずか三分で完売です!』
画面には、宝石のように輝く真紅の果実が乗った、煌びやかなタルトが映し出されている。 それを見つめる、我が家の二人の女性。 妻の優美と、義母の悦子さんだ。 二人は食い入るように画面を見つめた後、同時に深いため息をついた。
「はぁ……いいなぁ。食べてみたいなぁ、宝石タルト」 「本当ねぇ。予約三分で完売じゃあ、私たち庶民には高嶺の花ね」
優美がソファで足をバタバタさせながら、恨めしそうに俺の方を向く。
「ねぇ鉄也。来週、私の誕生日なんだけど?」 「……ああ、覚えてるよ」 「プレゼント、このタルトが良かったなぁ。でも無理よねぇ、鉄也じゃ」
ドキリ、とした。 悪気のない、しかし確信を突いた一言。 すかさず義母の悦子さんが援護射撃を行う。
「優美、言っても無駄よ。お隣の旦那様は、コネを使って入手したそうだけど……ウチの『ムコ殿』は、しがない万年係長だもの。一〇万円のタルトなんて、逆立ちしたって買えないわよ」 「だよねぇ。あーあ、玉の輿に乗ったつもりだったのになぁ」
二人は顔を見合わせて、クスクスと笑う。 いつもの冗談だ。本気で俺を蔑んでいるわけではない。 だが、俺の胸中には静かな炎が灯っていた。
来週は優美の三〇歳の誕生日。節目だ。 ここで彼女の願いを叶えられるかどうかが、向こう一年の俺の家庭内カースト(地位)を、そして何より「晩酌のおかずの品数」を決定づける。
(……一〇万円か。裏の口座には十分な金がある。だが、モノがない)
俺は愛想笑いを浮かべながら、密かに拳を握った。 金で買えないなら、現地で調達するしかない。
◇
翌日。会社にて。 昼休みのオフィスで、課長代理の二階堂が携帯電話に向かって怒鳴り散らしていた。
「だから! 金に糸目はつけないと言ってるでしょう! 『ジュエル・ベリーのタルト』を一つ、なんとしてでも確保してください!」
電話を切った二階堂は、苛立ち紛れに高級ボールペンをデスクに投げつけた。 俺がコーヒーを啜りながら、知らんぷりをしてパソコンに向かっていると、彼が八つ当たり気味に絡んでくる。
「ハァ……これだから下民は困る。黒木さん、君もニュースで見ましたか? あのタルトですよ」 「ああ、妻が食べたがってましたが……売り切れだそうで」 「君の奥さんが食べたがっているのとは、わけが違うんですよ! 僕は今夜、取引先の社長令嬢との会食があるんです。彼女があれを所望しているんだ。ここで用意できるかどうかが、数十億の契約に関わるんですよ!」
二階堂は神経質そうに貧乏ゆすりをしながら、ブツブツと呟く。
「そもそも、材料の『ジュエル・ベリー』が市場に出回らなさすぎるんです。新宿ダンジョンの未踏破区域、『樹海エリア』にしか自生していないそうですが……あそこは協会が定めたSランク指定区域。正規の探索者でも、近寄れば命はない」
Sランク指定区域。 出現するモンスターの推定レベルは八〇以上。自衛隊の一個小隊が全滅する危険度だ。 二階堂は俺を見下し、鼻で笑った。
「ま、君みたいな魔力ゼロの一般人には、縁のない世界の話ですね。君ができることといえば、スーパーで半額のショートケーキを買って帰ることくらいでしょう?」 「……そうですね。身の丈に合わせますよ」
俺は力なく笑って見せた。 だが、心の中の手帳には、しっかりとメモを取っていた。 場所は新宿ダンジョン、未踏破『樹海エリア』。 ターゲットは『ジュエル・ベリー』。
二階堂くん。君には無理でも、俺には「仕事」の範疇だ。
◇
その夜。 俺は「急な残業が入った」と家に連絡を入れ、新宿の地下深くへと潜っていた。
一般の探索者が立ち入ることのできる安全地帯を抜け、警告テープが貼られたフェンスを越える。 そこから先は、地図にない場所だ。 鬱蒼とした古代樹が生い茂り、空気中のマナ濃度が肌を刺すように濃い。
『警告。周辺に多数の生体反応。キラー・マンティス、ポイズン・スパイダー、および変異種を確認』
脳内で、相棒(AI)のマリアが淡々と告げる。 俺は、いつもの安物のスーツ姿で、湿った腐葉土の上を歩いていた。 右腕はすでに戦闘形態へ移行している。 漆黒の流体金属が脈動し、俺の思考に合わせて形状を変える。
「雑魚はいちいち報告しなくていい、マリア。俺が用があるのは果物だけだ」
ガサリ、と茂みが揺れた。 飛び出してきたのは、体長三メートルを超える巨大カマキリだ。鋼鉄をも両断する鎌が、俺の首を狙って振り下ろされる。 俺は歩みを止めない。 ポケットに左手を入れたまま、右腕を軽く振るった。
ヒュンッ。
《高周波カッター》。 超高速振動するナノマシンの刃が、カマキリの鎌を、胴体を、そして背後の大木ごと、抵抗なく切断する。 カマキリは自分が死んだことにも気づかず、二つに割れて崩れ落ちた。
『ナイスカットです、ダーリン。……ですが、本当にここへ? ここはSランク区域。あなたの奥様が待つリビングとは、環境が天と地ほど違いますが』 「違わないさ」 「?」 「嫁の機嫌を損ねる方が、ここのモンスターよりよっぽど生存率が低い。……俺にとっては、ここが安全地帯だ」
俺は冗談めかして言いながら、森の奥へと進む。 やがて、開けた場所に出た。 断崖絶壁の上。月明かりに照らされたその場所に、目指すものはあった。
岩肌に張り付くように生えた、一本の低木。 そこに、ルビーのように赤く輝く果実が鈴なりになっている。 『ジュエル・ベリー』だ。 甘い香りが、ここまで漂ってくる。
「あった……!」
俺が安堵の息を吐いた、その時だ。 上空から、暴風のようなプレッシャーが降り注いだ。
「GYAOOOOOOOOOッ!!」
鼓膜を劈く咆哮。 月を背にして舞い降りたのは、翼長二〇メートルを超える飛竜――ワイバーンだ。 このエリアの主。 正規の探索者パーティなら、遭遇した時点で「全滅」が確定する、災害級のモンスター。
ワイバーンは、自分の縄張りを荒らした矮小な人間に激怒し、口内に灼熱のブレスを溜め始めた。 圧倒的な熱量が、周囲の空気を歪ませる。 だが。 俺はネクタイを少し緩めると、面倒くさそうに呟いた。
「……おい、トカゲ。そこをどけ」
俺の言葉など通じるはずもなく、ワイバーンがブレスを吐き出そうとする。 その瞬間、俺の右腕が爆発的に膨張した。
「その実は、ウチの嫁の腹に収まる予定なんだよ!!」
《重力破砕砲》。 俺の右腕から放たれたのは、熱線でも実弾でもない。局所的な「重力崩壊」だ。 ワイバーンの頭上の空間が歪み、数千トンもの見えない重りが、音もなく落下した。
グシャアッ!!
悲鳴を上げる暇もなかった。 ワイバーンは巨大なハエ叩きで叩かれたように地面にめり込み、そのまま岩盤ごとプレスされ、肉塊へと変わった。 舞い上がった土煙が晴れると、そこにはぺしゃんこになった元・最強の生物と、無傷で輝く赤い果実だけが残っていた。
「……ふぅ。危ない危ない、実が潰れるところだった」
俺はスーツの埃を払い、丁寧に果実を摘み取っていく。 ついでに、カレンへの土産としてワイバーンの爪と牙(これだけで都内のマンションが買える)を回収するのも忘れない。 俺は夜空を見上げた。 月が綺麗だ。これで、明日の食卓も平和だろう。
◇
翌日の夜。 黒木家のリビングは、歓喜の声に包まれていた。
「嘘っ! これ、本物じゃない!?」 「すごーい! 鉄也、どうしたのこれ!? これ一〇万円するのよ!?」
テーブルの上には、俺が手作り(という設定で買ってきたタルト台に、摘んできた実を乗せただけの)特製タルトが鎮座している。 優美と悦子さんは、目をキラキラさせてスマホで写真を撮りまくっている。
「いやぁ、たまたま知り合いのツテでね。……形は悪いけど、味は保証するよ」 「形なんてどうでもいいわよ! いただきまーす!」
優美がタルトを一口頬張り、とろけるような笑顔を見せた。
「ん~っ! 美味しい! 最高! ありがとう鉄也! 大好き!」
彼女が勢いよく抱きついてくる。 俺はよろけながらも、彼女の背中を支えた。 昨日、Sランクモンスターを粉砕した右腕で。
テレビのニュースでは、『新宿ダンジョンの未踏破区域で、主であるワイバーンが謎の変死を遂げた』と騒いでいる。 二階堂は今日、目の下にクマを作って出社し、「タルトが手に入らなかった」と取引先に怒られたらしい。
だが、そんなことはどうでもいい。 俺は、口の端にクリームをつけた妻の笑顔を見ながら、安物の発泡酒を開けた。 この笑顔が見られるなら、Sランク区域への出張も、悪くない仕事だ。




