ベビーシッターは顔を隠す
土曜日の正午。 二階堂は、自宅のタワーマンションのリビングで、優雅にワイングラスを傾けていた。 目の前の大型モニターには、動画配信サイトの画面が映し出されている。
『――さあ、いよいよ地下七階層です! 今日は僕たち『暁の翼』が、新ルートを攻略します!』
画面の中で、リーダーの少年が剣を掲げている。 同接視聴者数は五万人を超えた。コメント欄も『頑張れ!』『二階堂Pの企画、楽しみ!』といった文字で埋め尽くされている。
「ハハハ! 順調、順調! 株価も上がっている」
二階堂は上機嫌だった。 昨夜、あの無能な黒木に作らせた資料によれば、この先のルートは安全そのもの。適度な雑魚モンスターが出るだけで、彼らの引き立て役には丁度いい。 全ては僕のシナリオ通りだ。
『じゃあ、行きます! ファイアーボール!』
画面の中で、魔法使いの少女が通路の岩壁に向かって魔法を放った。 道を塞ぐ岩を破壊する演出だ。 ドォォォン! と爆発音が響く。 派手なエフェクトに、コメント欄が盛り上がる。
――ズズズ……ッ。
異変が起きたのは、その直後だった。 画面が激しく揺れたのだ。
『え……? 地震?』 『キャァァァァッ!』
カメラが捉えた映像。 彼らの足元の床が、まるでビスケットのように脆く崩れ落ちたのだ。 崩落。 黒木が懸念していた通り、魔法の振動が引き金となって、薄皮一枚で支えられていた空洞の天井が抜けたのだ。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
二階堂がワインをこぼして立ち上がる。 画面には、砂煙と悲鳴、そして――暗闇の中で光る、無数の赤い目が映し出されていた。
『う、嘘だろ……これ、全部スケルトン!?』 『モンスターハウスだ! 罠だ!』
そこは、数百体もの骸骨兵士がひしめく死の広間だった。 配信用のドローンが、絶望的な光景を映し出す。 若者たちは完全に包囲されていた。
「馬鹿な……! データでは安全だったはずだぞ!? あの黒木、数値を読み間違えやがったな!?」
二階堂は叫んだ。 心配しているのは彼らの命ではない。自分の評判だ。 このまま彼らが全滅すれば、「安全管理を怠ったスポンサー」として、二階堂のキャリアに傷がつく。
「逃げろ! 配信なんて切って逃げるんだ! ……くそっ、僕の株が!」
◇
地下七階層、隠し部屋。 そこは阿鼻叫喚の地獄だった。
「やだ……来ないで!」 「魔法が間に合わない! 数が多すぎる!」
『暁の翼』のメンバーは壁際に追い詰められていた。 スケルトンの群れが、錆びた剣や槍を構えて迫ってくる。 リーダーの少年が剣を振るうが、倒しても倒しても、次が湧いてくる。 死。 それが明確な形をとって、彼らの喉元に迫っていた。
一体のスケルトンが、魔法使いの少女に飛びかかった。 少女が悲鳴を上げて目を閉じる。
ヒュンッ! カァァァン!
乾いた音が響き、スケルトンの頭蓋骨が宙を舞った。 少女が目を開けると、目の前には首のない骸骨と――天井から逆さまにぶら下がった、見知らぬ青年がいた。
「へへッ。新人くんたち、ここは通行止めだぜ?」
ストリートファッションに身を包んだ青年――ソウジだ。 彼の指先からは、肉眼では見えない極細のワイヤーが伸びている。 彼が指を弾くと、ワイヤーは網のように展開し、後続のスケルトンたちの足を切断して転倒させた。
「だ、誰だ!?」 「通りすがりの芸術家さ。……おいアイリス! そっちは任せたぞ!」
ソウジの叫びに呼応するように、横合いから巨大な影が突っ込んだ。
「下がっていろ、ひよっこ共! 我が背中は城壁より堅いぞ!」
ズドォォォン!! アイリスだ。 彼女が構えたのは、身の丈ほどもある合金製の大盾。 スケルトンアーチャーたちが放った数百本の矢が、その盾に吸い込まれるように弾かれる。
「くはは! 痒い、痒いわ! 貴様らの攻撃なぞ、昨日の激辛ラーメンに比べれば児戯に等しい!」 「な、なんだあの人……矢を全部防いでる……?」
呆然とする若者たちの背後から、不意に低い声がかかった。
「……突っっ立ってる暇があったら、出口へ走れ」
振り返ると、いつの間にかそこに「彼」がいた。 安物のスーツ。顔半分を覆う黒いバイザー。 ただのサラリーマンに見えるのに、全身から放たれるプレッシャーは、周囲のモンスターを威圧して寄せ付けない。 黒木だ。
「あ、あんたたちは……?」 「お前らの雇い主には内緒にしとけよ。……追加料金を取られるからな」
黒木はぶっきらぼうに言うと、一歩前へ出た。 右腕がドロリと液状化し、漆黒の光沢を放つ。
『敵性体多数。殲滅モード推奨』 「ああ。今日は土曜だ。さっさと片付けて、家で寝るぞ」
黒木が右腕を突き出す。 《拡散・ニードルガン》。 袖口がガトリングガンの銃身のように変形し、そこから硬質化されたナノマシンの針弾が、暴風雨のように発射された。
ドガガガガガガガガッ!!
圧倒的な暴力。 針の一本一本がライフルの弾丸以上の威力を持ち、スケルトンたちを粉々に粉砕していく。 骨の破片が砂嵐のように舞い上がる中、黒木は一歩も動かず、ただ事務的に「掃除」を続けた。
「す、すげぇ……」
リーダーの少年が、震える声で漏らす。 魔法でも剣技でもない。未知のテクノロジーによる蹂躙。 数分もしないうちに、部屋を埋め尽くしていた数百体のスケルトンは、ただのカルシウムの山へと変わっていた。
「……終わりだ」
黒木が右腕を振ると、兵装は液状化してスーツの袖に戻った。 彼は若者たちの方を向きもせず、崩落した天井の上――脱出ルートを指差した。
「道は開けた。あとは自分で帰れ」 「あ、ありがとうございます! あの、お名前は!?」 「……名乗るほどの者じゃない。ただの通りすがりだ」
黒木はそれだけ言い残すと、アイリスとソウジを連れ、煙のように姿を消した。
◇
後日。月曜日のオフィス。 二階堂は、青ざめた顔で電話を握りしめていた。
「えっ……け、契約解除!? どうしてだ! 君たちは生還したじゃないか! 僕のプロデュースのおかげで、再生数も伸びて……」
電話の相手は、『暁の翼』のリーダーだ。 受話器から漏れる声は、冷ややかだった。
『二階堂さん。あなたのくれたデータ、デタラメでしたよね? 僕たちは死にかけました。……それに、本物のプロっていうのがどういう人たちか、見せつけられましたから』
ガチャン、と電話が切れる。 二階堂は呆然と受話器を取り落とした。 有望な投資先を失っただけでなく、業界内での信用も失墜するだろう。
「くそっ……どうしてだ……! あの黒木が、データをミスったせいだ……!」
二階堂がギリギリと歯ぎしりをするその向こうで。 俺――黒木は、何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいた。
PCの画面には、カレンから送られてきたメッセージが表示されている。 『入金確認しました。二階堂さんの損失分、ウチがガッポリ頂きましたよ♪』
今回の救出劇の映像は、カレンが「匿名」でネットに流し、広告収入を得ている。さらに、助けた『暁の翼』からは、個人的な感謝料も振り込まれていた。 二階堂は損をしたが、俺たちは得をした。 それでいい。
「……黒木さーん。ちょっと、コピー頼めます?」
機嫌の悪い二階堂が、俺に八つ当たり気味に雑用を振ってくる。 俺は「はいはい」と立ち上がった。
「分かりましたよ、課長代理」
その背中で、俺は小さく舌を出した。 ざまぁみろ、エリート様。 世の中、最後に笑うのは「現場を知っている人間」なんだよ。




