エリート課長代理の優雅なランチ
正午。
東京、丸の内。高層ビルの最上階にあるイタリアンレストランは、今日も成功者たちの薄っぺらい会話と、カトラリーが触れ合う音で満たされていた。
その窓際の特等席で、二階堂は優雅に白ワインを揺らしていた。
「うん、悪くない」
彼が満足げに見つめているのは、眼下に広がる東京の街並みではない。手元の最新型タブレットに表示された、株価チャートだ。
画面には、彼が個人で出資しているダンジョン関連ベンチャー企業の株価が、右肩上がりで推移している様子が映し出されている。
「これからの時代、汗水垂らして働くなんてナンセンスですよ。リスクは他人に背負わせて、自分は安全圏からその果実だけを搾取する。これこそが『スマート』な生き方ってもんです。十年前にダンジョンが出現したときはこの世の終わりかと思いましたけど、まさかこんな美味しい世のかなになるなんてね」
二階堂は独りごちて、冷えたワインを喉に流し込んだ。
彼、二階堂スグル。二十九歳。
一流商社に入社してわずか五年で課長代理にまで上り詰めたエリートだ。 ……もっとも、その実績の大半は、部下の手柄を横取りし、失敗を他人に押し付けることで築き上げたものだが。
「さて、次の『駒』の様子はどうかな?」
彼が画面をスワイプすると、SNSの画面に切り替わった。 表示されているのは、『暁の翼』という若手探索者パーティのアカウントだ。 フォロワー数は十万人越え。リーダーの少年は甘いマスクで、メディア露出も増えている。
「いいですねぇ。彼らが今週末、地下七階層を攻略すれば、僕の持っている関連株も爆上がりだ」
二階堂は、彼らのスポンサー契約書にサインをした時のことを思い出し、ほくそ笑んだ。 契約内容は、二階堂に極めて有利なものになっている。 彼らが成功すれば、利益の四割が二階堂に入る。 彼らが失敗、あるいは死亡しても、二階堂は違約金として装備品などの資産を没収できる。 どちらに転んでも、損はしない。
「若さとは愚かさですね。少しチヤホヤしてやれば、喜んで命がけのショーを見せてくれる」
ランチのメインディッシュである仔羊のローストをナイフで切り分けながら、二階堂の脳裏に、ふと一人の男の顔が浮かんだ。
自部署にいる万年係長――黒木鉄也だ。
(本当に、あの人は見ていてイライラしますね)
二階堂のナイフが、皿の上でカチャリと音を立てた。
ヨレヨレのスーツ。死んだ魚のような目。
上司である自分に媚びるわけでもなく、かといって反抗する気概もない。
昨日押し付けた面倒な書類仕事もそうだ。今朝見たら、完璧に仕上げて提出されていた。
だが、それだけだ。「二階堂さんのおかげです」という感謝の一言もなければ、「大変でした」という苦労アピールもない。
ただ淡々と、機械のように処理するだけ。
「ああいう『平成の遺物』みたいな社畜が、日本の生産性を下げているんですよ」
魔力適性ゼロの「旧人類」。 新しい時代の覇者である自分とは、住む世界が違う。 そう思わなければ、あの男の底知れない静けさに、何か不安を覚えることなどないはずだ。
「……おや?」
ふと、SNSのタイムラインに、奇妙なトレンドワードが上がっているのに気づいた。 『新宿の黒い始末屋』。 クリックしてみると、匿名の掲示板やブログの書き込みが並んでいる。
『昨日の夜、地下五階層で変異グリズリーが出たらしいけど、一瞬で消滅したらしい』 『黒いスーツの男がいたって噂だぞ』 『魔法じゃなくて、なんか凄い武器を使ってたとか』
「ハハッ、また都市伝説ですか。これだからネットの有象無象は」
二階堂は鼻で笑った。 魔法全盛のこの時代に、スーツ姿の男が物理攻撃で無双? ありえない。 もしそんな強力な「ジョブ」や「アーティファクト」が存在するなら、僕のような情報通のエリートが知らないはずがない。 どうせ、どこかの企業が株価操作のために流したデマだろう。
「くだらない。そんな噂話より、明日の接待ゴルフの方がよほど重要です」
二階堂は興味なさげに画面を閉じ、残りのワインを飲み干した。
彼は知らない。
その「ありえない噂話」の主こそが、自分が毎日見下している部下であるという事実を。
そして、自分が投資している『暁の翼』が、近い将来ダンジョンで孤立し、その男に泣きつくことになる未来も。
ウェイターが勘定書きを持ってきた。 二階堂は、経費精算用の法人カードを無造作に放る。
「さて、午後もあの係長をいび……指導してあげますか。無能な部下を管理するのも、上司の大切な『仕事』ですからねぇ」
二階堂は歪んだ笑みを浮かべ、レストランを後にした。 その背中には、破滅へのカウントダウンが静かに刻まれていることも知らずに。




