深夜残業と、コンビニの袋
午後八時四五分。
新宿ダンジョンから二ブロック離れた、古びた二四時間営業のファミレス。
その一番奥のボックス席が、俺たちの「作戦会議室」だ。
「――で、話ってのはなんだ、カレン」
俺はドリンクバーの薄いコーヒーを啜りながら、向かいの席の女子高生を睨んだ。
カレンは、制服の上にパーカーを羽織ったラフな格好で、大盛りのフライドポテトを器用に割り箸で摘んでいる。
「いやー、先輩。今回のはマジで『当たり』っすよ。報酬額、相場の三倍!」
「三倍だと? ……裏があるな」
「さっすが先輩、話が早い! 実はターゲットがちょいと厄介でして」
カレンがタブレットをスワイプし、俺の前に突き出す。 画面に映っていたのは、全身が赤い毛皮と岩石のような筋肉に覆われた、巨大な熊のモンスターだった。
「『レッド・グリズリー』。地下五階層に出現した変異種っすね。皮膚が硬すぎて魔法が通じないうえに、性格が凶暴すぎて、正規の探索者パーティが二組、すでに病院送りになってます」
「……正規が逃げ出す相手かよ。協会……ギルドに任せとけ」
「それが、協会の腰が重くて。被害に遭った探索者の仲間たちが『仇討ち』したいけど自分たちじゃ無理だからって、闇掲示板に依頼してきたんすよ。……なけなしの装備を売った金でね」
カレンがニヤリと笑う。守銭奴のくせに、こういう「義理人情」が絡む案件ばかり持ってくるのが、この情報屋の悪い癖だ。
「……三倍でも安いくらいだな」
「でしょ? あ、ちなみにポテト代は経費で落ちます?」
「落ちるか。自腹で食え」
俺がため息をついていると、隣の席で山盛りのハンバーグ定食(ライス大盛り)を平らげていた金髪の美女が、満足げにフォークを置いた。
「主よ! この『デミグラス』なるソース、実に美味であるな! 我が故郷の宮廷料理にも匹敵するぞ」
「そりゃ良かったな、アイリス。……食ったら働くぞ」
「うむ、任せよ! 腹が満ちた今の我は無敵だ。その熊ごとき、我が盾で弾き飛ばしてくれよう」
元・異世界の女騎士、アイリス。
見た目はモデル並みの美女だが、中身は食い意地の張った忠犬だ。現代社会に適応できていない彼女の食費を稼ぐのも、このチームの重要な目的の一つである。
「へいへい、じゃあ行きますか。俺も新作の試運転したいしね」
通路側の席から、軽薄そうな青年が立ち上がる。
ソウジだ。首元には自作のシルバーアクセサリーをジャラジャラとぶら下げているが、その全てがダンジョン素材でできた「暗器」であることを俺は知っている。
「全員、準備はいいな。……サクッと終わらせるぞ。俺はまだ、コンビニで茶を買う用事が残ってるんだ」
俺は伝票(カレンとアイリスの食事代)を鷲掴みにし、レジへと向かった。 まったく、とんだ出費だ。
◇
午後九時一五分。新宿ダンジョン、地下五階層。
湿った洞窟の空気が、ピリリと張り詰める。
「GAAAAAAAッ!!」
鼓膜を揺らす咆哮とともに、赤い巨獣――レッド・グリズリーが突進してきた。
戦車のような質量。並の探索者なら、恐怖で足がすくむ迫力だ。 だが。
「遅い!」
真正面から迎え撃ったのは、アイリスだった。 彼女は空間収納から身の丈ほどの合金製大盾を展開し、さらに足元の地面を魔力で隆起させて踏ん張る。
ズドォォォォン!!
激突音。洞窟全体が揺れる。 だが、アイリスは一歩も退かない。
「ぬんっ! ……軽い、軽いぞ! さっきのハンバーグの方が胃に重かったわ!」
「相変わらずデタラメな腕力だな、あの姉ちゃん」
天井に張り付いたソウジが、呆れたように呟く。 熊の意識がアイリスに向いた、その一瞬の隙。 ソウジの手首から、極細のワイヤーが射出された。
「そらよっ!」
ヒュン、と空気が鳴く。 ワイヤーは生き物のように熊の足首に絡みつき、ソウジが指先を弾くと同時に強く締め上げられた。 バランスを崩す巨獣。
「GUGA!?」
「今だ、旦那!」
お膳立ては整った。 俺は岩陰から、ゆっくりと歩み出る。 走る必要はない。叫ぶ必要もない。 ただ、「仕事」をするだけだ。
『戦闘モード起動。右腕部、パイルバンカー形状へ移行』
脳内で、相棒(AI)のマリアが冷静に告げる。
俺のヨレたスーツの袖が波打ち、瞬時に形状を変える。
今回は「斬撃」ではない。硬い装甲を一点突破するための、巨大な「杭」だ。
「……悪いな。家で嫁が待ってるんだ」
俺は、体勢を崩して倒れ込んだグリズリーの懐に入り込む。 熊が本能的な恐怖を感じたのか、暴れようとしたが、もう遅い。
俺は右腕の杭を、熊の心臓部分――その分厚い毛皮と筋肉の上から、静かに押し当てた。
『射出』
ドシュッ。
火薬の爆発音ではない。 圧縮された流体金属が、超高速で弾き出された音だ。
俺の右腕から放たれた杭は、物理法則を無視した貫通力でグリズリーの胸部を突き破り、背中側へと突き抜けた。
心臓を一瞬で消滅させられた巨獣は、断末魔を上げる暇もなく、糸が切れた人形のように沈黙する。
「……終了だ」
俺が右腕を振ると、杭は再び液状化し、元の安っぽいスーツの袖へと戻っていった。 返り血一つない。完璧な仕事だ。
◇
戦闘終了後、ドロップアイテムの回収作業。 ここからはカレンの独壇場だ。
「うっひょー! 見てくださいよ先輩、この『赤熊の剛毛皮』! これだけで五〇万はいきますよ! 心臓の魔石もデカいし、今日は大漁だ~!」
カレンが手際よくナイフで素材を剥ぎ取り、収納バッグに詰め込んでいく。
俺はスマホで時間を確認した。 九時四五分。 ……ギリギリだな。
「カレン、換金は任せたぞ。俺の分はいつもの口座に頼む」
「了解っす! あ、ソウジくん、この爪の部分加工してペンダントにできない? 高く売れそう」
「お前なぁ……俺は芸術家だぞ、下請け業者じゃないんだ」
騒がしい仲間たちに背を向け、俺はダンジョンの出口へと急いだ。 ここからが、本当の戦いだ。
◇
「ただいま」
自宅のリビングのドアを開ける。 時計の針は十時を回っていた。
テレビを見ていた優美が、ジロリと俺を見る。
「遅いじゃない。コンビニに行くだけで何分かかってるのよ」
「悪い悪い。レジが混んでてさ」
俺は平然と嘘をつき、レジ袋を差し出した。
中に入っているのは、特茶が二本と、今の時期限定のハーゲンダッツ(苺味)。 もちろん、さっき駅前のコンビニで慌てて買ってきたものだ。
「……あら? これ、私が食べたかったやつじゃない」
優美の表情が、一瞬で緩んだ。 作戦成功だ。 俺の裏稼業の報酬の一部は、こうして我が家の平和維持費として消えていく。
「気が利くじゃない。……ま、たまには褒めてあげるわ」
「そりゃどうも」
俺はネクタイを緩め、ソファに深く沈み込んだ。
身体の芯には、SF装備を使った反動の気だるさが残っている。
だが、隣でアイスを食べている妻の横顔と、口座に振り込まれるはずの金額を思えば、悪くない夜だった。




