そして日常へ
アポカリプス騒動から一週間後。 新宿の街は、驚異的なスピードで復興していた。
半壊した本社ビルは、魔法建築士たちの手によって、わずか数日で元の姿を取り戻しつつある。 世間では「ダンジョンの磁気嵐事故」というニュースも下火になり、人々は再び、満員電車に揺られる日常へと戻っていった。
そして、俺――黒木鉄也の日常もまた、元通りだ。
「黒木さーん。コピー用紙切れちゃったから補充しといてー」
「あ、黒木さん。ついでに蛍光灯もチカチカするんで交換お願い」
営業三課のフロア。 俺は「はいはい」と返事をしながら、複合機のトレイを引き出していた。 二階堂がいなくなったことで、課内の空気は劇的に良くなった。 俺に対する扱いも、「無能な係長」から「頼みやすい雑用係(縁の下の力持ち)」へと、少しだけクラスチェンジした気がする。
「……ふぅ。平和だ」
俺は交換した蛍光灯の埃を払いながら、窓の外を見た。 空は青い。 一週間前、あそこで神殺しの一撃を放ったなんて、誰も知らない。
『マスター。平和ボケしていませんか?』
脳内でマリアが呆れたような声を出す。
『先日のログ解析の結果、懸念事項が残っています。カレン様からの報告にあった「未確認の観測者たち」……彼らの使う信号コードは、私の構成プログラムと極めて近い「同系統」のものです』
「……分かってるよ」
俺は小声で返した。 あの夜、マリアのセンサーが捉えていた白い影。 奴らは俺たちの戦いを見ていた。そして、手を出さずに去っていった。 それが何を意味するのか。
「敵か味方か分からないが……向こうから来ないなら、こっちから探す必要はない」
『消極的ですね』
「違うさ。今の俺には、もっと優先すべき重要任務があるんだよ」
俺はスマホを取り出した。 画面には、優美からのメッセージ。
『今日の夜ご飯、ハンバーグにするね! 早く帰ってきてね』
「……これだよ」
俺は緩みそうになる頬を引き締めた。 世界の謎? 未来からの侵略者? 知ったことか。 俺は、ハンバーグが冷める前に帰らなきゃいけないんだ。
◇
定時。一七時三〇分。 チャイムと同時に、俺は席を立った。
「お疲れ様でした!」 「おっ、黒木さん早いね。デート?」 「ええ、まあ。妻が待ってるんで」
同僚たちに手を振り、俺はオフィスを出た。 エレベーターホールに向かう途中、清掃員の格好をしたソウジとすれ違う。
「お疲れ、旦那。……裏口の方、少しきな臭い気配がするぜ」
すれ違いざま、ソウジがボソリと囁く。 どうやら、二階堂派の残党か、あるいはチンピラ業者がうろついているらしい。
「任せた。……派手にやるなよ」 「へいへい。骨の一、二本で勘弁してやらぁ」
ソウジがニヤリと笑い、モップを持って消えていく。 ロビーに出ると、受付嬢の制服を着たアイリスが、来客を笑顔の圧力だけで撃退していた。 ビルの外では、カレンがシステムメンテナンスを装って、街中の監視カメラを掌握している。
俺のチーム。 最強の部下たちが、俺の定時退社を守ってくれている。
自動ドアを抜けると、夕焼けの風が吹いた。 俺はネクタイを少しだけ緩め、駅へと歩き出した。
俺は、黒木鉄也。 しがない商社の万年係長。 魔力ゼロの「旧人類」。 そして――この街を影から守る、最強の始末屋だ。
だが、今の俺は、ただの「夫」でいい。
「……さて、帰るか」
俺は雑踏の中に紛れ込んだ。 どこにでもいるサラリーマンの背中。 だがその影には、世界を背負うだけの強さと、愛する日常への執着が宿っていた。




