リミッター解除
一九時一五分。 新宿上空の風が、不気味に止んだ。
目の前には、アイリスが倒れている。 瓦礫の山には、ソウジが埋もれ、呻き声を上げている。 インカムの向こうのカレンは沈黙したままだ。
そして、眼前にそびえる破壊の神『アポカリプス・システム』は、その胸部に太陽のような輝きを収束させていた。 エリア浄化(焼却)砲。 発射されれば、この本社ビルはおろか、新宿区の半分が焦土と化すだろう。 もちろん、俺の家も、優美の待つ食卓も。
『――《充填率九〇%。カウントダウン開始》』
無機質な宣告が響く。 俺は、震える手でネクタイを外し、風に飛ばした。 不思議と、恐怖はなかった。 あるのは、静かな諦観と、底知れぬ怒りだけ。
「……マリア。状況を再確認する」
『はい。敵のエネルギー値は測定不能。現在のマスターの装備では、防御・回避ともに不可能です』
「そうか。なら、今の俺を捨てればいい」
俺は右腕を胸の前にかざした。 漆黒の流体金属が、ドクン、ドクンと脈打っている。
思い出す。 二年前、俺がこの力を手に入れた日のことを。
◇
【回想】
あの日も、俺は「無能」だった。 社内研修という名目で連れて行かれたダンジョン探索。 魔力ゼロの俺は、荷物持ちとして酷使され、モンスターの襲撃を受けた際、囮として置き去りにされた。
「置いていかないでくれ! 頼む!」
「悪いな黒木さん。あんた、魔法使えないし、足手まといなんだわ」
同期たちの冷笑。 そして俺は、ダンジョンの裂け目へと突き落とされた。 暗闇への滑落。 全身の骨が折れる音。 薄れゆく意識の中で、俺は優美の顔を思い浮かべていた。新婚だった。まだ、彼女に苦労しかかけていない。死にたくない。
その時だ。 俺が落ちた地底の遺跡――誰にも発見されていない『旧文明の保管庫』で、俺の血が床の黒い液体に触れた。
『――生体反応検知』
脳内に響く声。
『検索。魔力保有量……ゼロ。エラー? 再検索。……ゼロを確認』 『適合者を発見しました』
俺の体を、黒い液体が包み込んでいく。 それは温かく、そして懐かしい感覚だった。
『素晴らしい……。貴方の肉体には、不純物が一切ありません。ノイズのない、完全な空白。これほど美しい器は、数千年ぶりです』
皮肉な話だ。 現代社会で「欠陥品」と罵られた俺の体質が、魔法を否定する科学文明の兵器にとっては、「最高傑作」だったのだから。
『契約しますか? それとも、このまま死にますか?』
俺は迷わず、その手を握った。 世界平和のためじゃない。復讐のためでもない。 ただ、家に帰って、「ただいま」と言うために。
◇
【現在】
「……ああ、そうだ。俺はあの時、人間であることを半分辞めたんだったな」
俺は自嘲気味に笑った。 俺の体の中には、ナノマシンが共生している。 普段はリミッターをかけて、ただの人間として振る舞っているが――今夜だけは、例外だ。
「マリア。封印解除。カテゴリー・S」 『警告。カテゴリー・Sの使用は、マスターの肉体への負荷、および周囲への環境被害が甚大です。本当に実行しますか?』
マリアが、どこか嬉しそうな声で問う。 彼女もまた、この傲慢な「旧文明の同類」に対して、腹に据えかねていたのだろう。
「構わん。……俺の全てを使って、あの神様を否定してやれ」 『御意、マイ・マスター』
カッッッ!!!!
俺の心臓を中心に、爆発的な黒い閃光が奔った。 ドォォォォォン……! ビルが揺れる。いや、空間そのものが軋んでいる。
俺の体を覆っていたスーツが弾け飛び、より濃密な、闇そのもののような粒子へと再構成されていく。 右腕だけではない。両腕、両足、そして背中から伸びる六本の「黒い翼」。 頭部のバイザーは鋭角的に変形し、赤いラインが走る。
それはもはやスーツではない。 一人の人間を核とした、戦略級殲滅兵器。
『――《警告。高エネルギー反応検知。……測定不能、測定不能》』
アポカリプスが、初めて動揺を見せた。 そのカメラアイが、俺を凝視している。
『――《貴様は……何だ? 魔力反応ゼロ。なのに、この出力は……まさか、「同型機」か?》』
「兄弟? よしてくれ」
俺はゆっくりと宙に浮き上がった。 背中のスラスターから噴き出す重力波が、周囲の瓦礫を粉々に砕いていく。
「俺は、しがないサラリーマンだ。……お前らが『旧人類』と見下した、進化の袋小路さ」
『――《理解不能。排除する》』
アポカリプスが咆哮と共に、胸部の砲門を開放した。 極大の熱線が放たれる。 さっきアイリスの盾を粉砕した、必殺の一撃。
だが。
「……遅い」
俺は右手を前にかざした。 ただ、それだけ。
ズオォォォォォォッ!!
熱線が、俺の掌の数センチ手前で「曲がった」。 光が屈折し、四方八方へと霧散していく。 重力干渉による空間歪曲防御。 光すら直進できない重力の壁だ。
『――《馬鹿な……! 我が浄化の光が……届かないだと?》』
「お前の計算式にはなかったか? 『守るべきものがある男は強い』って変数が」
俺は握り拳を作った。 空間がミシミシと悲鳴を上げる。 周囲の空気が吸い寄せられ、右腕に漆黒の渦が生まれる。
「さて、反撃といこうか。……二階堂を返してもらうぞ」
ドンッ!! 俺が空気を蹴ると同時に、ソニックブーム(衝撃波)がビルを揺らした。 音速を超えた突撃。 アポカリプスが反応するよりも速く、俺はその巨大な懐へと飛び込んでいた。
『――《迎撃システム、全門開h――》』
「黙れ」
ズガァァァァァァン!!
俺の拳が、巨人の腹部に深々と突き刺さった。 バリア? 装甲? 関係ない。 超高密度の重力質量弾の前では、全てが紙切れ同然だ。
「ガ、アアアアア……ッ!?」
巨体がくの字に折れ曲がり、背中から衝撃波が突き抜けた。 夜空の雲が、その余波だけで真っ二つに割れる。
「……まだだ。まだ浅い」
俺は埋め込んだ拳の中で、さらに重力を回転させた。 狙うは、この装甲の奥深く。 囚われている二階堂と、このシステムの核。
「マリア。ロックオン。対象、コア・ユニット」
『照準固定。……いつでもいけます、マスター』
俺は、恐怖に引きつるアポカリプスのカメラアイを至近距離で睨みつけた。
「定時退社の時間だ。……消えろ」
俺は右腕の全リミッターを解除し、究極の一撃を放つ構えを取った。




