黒木家の危機
一八時〇〇分。 新宿区の外れにあるマンション『サンライズ新宿』の一室。 停電で真っ暗になったリビングで、二人の女性が深刻な顔で冷蔵庫の前に立っていた。
「……どうする、優美。このままじゃ全滅よ」 「分かってるわよ、お母さん。でも、今は外に出られないし……」
妻の優美と、義母の悦子だ。 彼女たちが深刻な表情で見つめているのは、少し溶け始めた冷凍庫の中身――特売で買い溜めした高級アイス『ハーゲンダッツ』の山だった。
「せっかくのラムレーズンが……ドロドロになっちゃうわ」 「お父さんの晩酌用の氷も溶けちゃったわねぇ。……まったく、早く帰ってきてくれないかしら、あの人」
外からは、断続的に爆発音や悲鳴が聞こえている。 普通なら震えて縮こまるところだが、黒木家の女性陣は肝が据わっている。あるいは、危機感が少しズレている。
ズズズズズ……! その時、マンション全体が激しく揺れた。
「キャッ! 地震!?」 「違うわ優美! 下よ! 下から何かが来る!」
ベランダの窓ガラスがビリビリと振動する。 直後。 ガシャァァァン!! リビングの掃き出し窓が粉々に砕け散り、巨大な影が飛び込んできた。
「ギシャアアアアッ!」
月明かりに照らされたのは、全身が刃物で構成された機械の蜘蛛――『スカベンジャー』だ。 しかも一体ではない。三体、四体と、外壁をよじ登ってきた個体が次々と侵入してくる。
「嘘……なによこれ! 怪物!?」 「優美、下がって!」
悦子が優美を庇って前に出るが、相手は鋼鉄の殺戮兵器だ。 スカベンジャーの赤いセンサーが二人を捕捉し、鎌のような前脚を振り上げた。 逃げ場はない。 優美は腰が抜けて動けず、ただ目を閉じて叫んだ。
「鉄也ぁぁぁぁッ!!」
ドゴォォォォォン!!
その叫びに応えるように、リビングの壁(玄関側)が爆砕された。 舞い上がる石膏ボードと粉塵。 その煙の中から、漆黒の弾丸が飛び出した。
「――ウチの敷居を、土足で跨ぐんじゃねぇ!!」
怒号と共に放たれたのは、超高速の回し蹴りだ。 黒い装甲に覆われた脚が、スカベンジャーの頭部を捉える。 バヂィンッ! 金属音が響き、一匹目の怪物がボールのようにベランダの外へ弾き飛ばされた。
「な、なに……!?」 「黒い……人?」
呆然とする優美たちの前に、その男は降り立った。 全身を流体金属のスーツで覆い、顔には黒いバイザー。 SF映画から飛び出してきたような姿だが、その背中からは激しい怒りのオーラが立ち上っている。
黒木だ。 彼は部屋を見渡し、惨状を確認して愕然とした。
(……あ、あぁぁぁッ!! 俺のマイホームが!!)
砕け散った窓ガラス。 泥だらけになったフローリング。 壁に空いた大穴(これは俺がやったんだが)。 三五年ローン。ボーナス払い併用。完済年齢六五歳。 血と汗と残業代の結晶が、無残な姿になっている。
「ギギギ……ッ!」
残った三体のスカベンジャーが、黒木に襲いかかる。 だが、今の黒木は「始末屋」ではない。 「激怒した世帯主」だ。
『敵性体、接近。殲滅モード推奨』 「当たり前だマリア。……オーバーキル(過剰破壊)でいくぞ」
黒木の右腕が変形する。 いつものニードルガンではない。近接粉砕用の大型パイルバンカーだ。
「俺のローンを……これ以上増やすなァァァッ!!」
ズドォォォッ!! 一撃。 先頭の個体が、杭に貫かれて原子レベルで分解された。 続けて二体目。黒木は左手で怪物の脚を掴むと、そのままジャイアントスイングの要領で振り回し、三体目に叩きつけた。
ガシャンッ! グシャッ! 同士討ちで鉄屑になった二体を、黒木はまとめてベランダから放り投げる。 わずか十秒。 リビングの制圧完了。
「……ふぅ」
黒木はバイザーの下で息を吐き、スーツの汚れを払った。 振り返ると、優美と悦子が口をポカンと開けてこちらを見ている。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます……?」 「あなたは……一体?」
正体はバレていない。 黒木はボイスチェンジャーで声を低く加工し、短く答えた。
「……ただの通りすがりだ。戸締まりはしっかりした方がいい」 「は、はい……」
黒木はチラリと冷蔵庫を見た。 扉が半開きになっている。 中から溶けかけたハーゲンダッツが覗いていた。
(……チッ。やっぱ溶けたか)
だが、家族は無事だ。 ならば、あとは元凶を断つだけだ。 黒木はベランダの手すりに足をかけた。
「おい、そこの黒い人!」
呼び止めたのは優美だった。 彼女は震える声で、しかし真っ直ぐに黒木を見て言った。
「ウチの旦那も……鉄也っていう冴えないサラリーマンなんですけど、まだ帰ってきてなくて。……もし外で見かけたら、伝えてくれませんか? 『アイス溶けちゃうから早く帰ってこい』って」
黒木は一瞬、動きを止めた。 そして、バイザーの下で微かに笑った。
「……ああ。伝えておく」
黒木は夜の闇へと飛び出した。 目指すは本社ビル。 全ての元凶である、二階堂とモノリスが待つ場所へ。
「待ってろよ優美。……すぐに終わらせて、新しいアイス買って帰るからな」




