パンドラの箱
地下二階、搬入口。 非常灯の赤い光だけが明滅する闇の中で、金属がひしゃげる音が響き渡った。
ガギィィィン!!
「……硬いな」
俺――黒木鉄也は、右腕の《重力甲冑》で、飛びかかってきた怪物の牙を受け止めていた。 敵は、大型犬ほどのサイズの節足動物型メカ。 見た目は蜘蛛に似ているが、その足は油圧シリンダーで駆動し、複眼は不気味な赤外線センサーになっている。
『敵性体識別。量産型自律兵器「スカベンジャー(掃除屋)」。本来は戦場の残骸を回収するためのドローンですが、攻撃プログラムに書き換えられています』 「なるほど。文字通り、俺たちをゴミとして処理する気か」
俺は鼻で笑い、右腕に力を込めた。 ブォォォォン……! 黒い流体金属が振動し、局所的な重力波を発生させる。
「悪いが、粗大ゴミはお前らの方だ」
ドチュッ! 圧縮された重力によって、機械蜘蛛のボディが一瞬でペシャンコに潰れた。 俺はそれをゴミ屑のように放り捨てる。 だが。
カサカサカサカサ……。 闇の奥から、無数の駆動音が響いてくる。 十匹や二十匹じゃない。百単位の群れだ。
『警告。下水網を通じて、エリア全域に侵入を確認。地上への到達まで、あと三分』 「チッ……。二階堂のバカがスイッチを入れる前に、制圧しきれるか?」
俺が次弾を装填しようとした、その時だった。 頭上の天井――つまり、一階のアトリウムの床から、凄まじい振動が伝わってきた。
ブツッ。 インカムから流れていた会場のマイク音声が、一瞬途切れる。 直後、鼓膜を劈くような高周波のノイズが響き渡った。
キィィィィィィィィィィィン!!
「ぐっ……!?」
俺は思わず耳を塞いだ。 マリアが緊急アラートを発する。
『高エネルギー反応! 対象「モノリス」、強制起動しました!』 「あのバカ……! まだ時間前だぞ!?」
どうやら二階堂は、自分の手柄を早く発表したくて、予定より早くスイッチを入れたらしい。 それが、地獄の蓋を開ける合図だとも知らずに。
◇
数分前。地上一階、アトリウム。
「さあ、歴史が変わる瞬間です! カウントダウンなど不要! 今ここで、私が新時代の扉を開きましょう!」
二階堂は興奮のあまり、台本を無視してコンソールの起動レバーに手をかけた。 会場の期待感が最高潮に達する。 彼は勝利を確信した笑みで、レバーを押し込んだ。
「システム・ブート!!」
瞬間。 スクリーンに映し出された地下保管庫のモノリスが、カッと目もくらむような閃光を放った。
「おおっ! 見ろ、あの輝きを!」 「素晴らしい魔力光だ!」
招待客たちが歓声を上げる。 だが、その光はすぐに、禍々しい紫色へと変貌した。
バヂチチチチチッ!! 会場のスピーカーから異音が鳴り響き、照明が一斉に爆ぜた。 悲鳴が上がる。
「な、なんだ!? 演出か!?」 「いや、停電だ! スマホも圏外になってるぞ!」
二階堂は慌てて手元のタブレットを確認しようとした。 だが、画面には『ERROR』の文字と、髑髏のアイコンが表示されているだけだ。
「な、何が……? おい、技術班! どうなっている! 電源を切れ! バックアップだ!」
二階堂が怒鳴るが、インカムからはザザッという砂嵐の音しか返ってこない。 その時、誰かが叫んだ。
「お、おい! 床を見ろ!」
ステージの中央。 二階堂の足元の床が、まるで波打つように隆起していた。 コンクリートの亀裂から、紫色の蒸気が噴き出す。
「ひっ……?」
二階堂が後ずさる。 次の瞬間、床が内側から爆発した。
ドガァァァァァァァン!!
瓦礫と共に飛び出してきたのは、地下から這い上がってきた「スカベンジャー」の群れだ。 赤く光るカメラアイが、逃げ惑う人々を捕捉する。
「ギシャアアアアアッ!」 「モ、モンスターだぁぁぁ!」 「嫌ぁぁぁ! 来ないでぇ!」
阿鼻叫喚。 ドレスアップしたセレブたちが、蜘蛛型ロボットに追い回され、出口へと殺到する。 二階堂は腰を抜かし、這いつくばって逃げようとした。 だが、目の前に一体のスカベンジャーが立ちはだかる。 油圧式の鎌が、二階堂の顔面めがけて振り上げられた。
「あ、あ……たす、助けて……僕は課長代理だぞ……!?」
死。 それが明確な形を持って振り下ろされる。 二階堂が目を閉じた、その刹那。
ズドンッ!!
横合いから飛んできた「何か」が、スカベンジャーを横殴りに粉砕した。 鉄屑となって吹き飛ぶモンスター。 二階堂がおそるおそる目を開けると、そこに刺さっていたのは――ひん曲がった鉄パイプだった。
「……たく。手間をかけさせる」
土煙の向こうから、一人の男が歩いてくる。 ヨレヨレのスーツに、緩んだネクタイ。 手には、瓦礫の中から拾った鉄パイプを握っている。 黒木だ。 彼は恐怖に震える二階堂を一瞥もしないまま、周囲に群がるモンスターたちを見据えた。
「く、黒木……!? き、君がやったのか!?」 「偶然ですよ。逃げる途中で転んだら、たまたま鉄パイプが当たったんです」
黒木は棒読みで答えると、顎で非常口をしゃくった。
「さっさと逃げてください、課長代理。ここはもう、あなたの手に負える『商談』じゃない」
その言葉に、二階堂は恥も外聞もなく頷き、四つん這いで逃げ出した。 黒木は一人、暴徒と化した機械の群れの中に残る。
「……さて」
彼は耳元のインカムに触れた。
「カレン。状況は?」 『最悪です先輩! モノリスからのジャミングで、新宿全域が停電! 信号機も電車もストップ! 完全に都市機能が麻痺してます!』 「敵の規模は?」 『測定不能! 地下鉄のトンネルから、数千……いや、万単位の反応が地上へ向かってます! これ、完全にスタンピード(百鬼夜行)ですよ!』
万単位。 正規の自衛隊が出動しても、鎮圧には数日かかる規模だ。 だが、俺がやるべきことは変わらない。
「元凶は、このビルの地下にあるモノリスだ。あれを破壊すれば止まる」 『でも先輩、この数を一人で相手にする気ですか!?』
俺はニヤリと笑った。 右腕の拘束具を一段階、解除する。
「一人じゃないさ。……それに」
俺はスマホを取り出し、とあるアプリの画面を見た。 『家族のスケジュール共有アプリ』だ。 そこには、妻・優美の予定が入っている。 『18:00 スーパーの特売(アイス半額)』
現在時刻、17:30。
「……嫁が楽しみにしているアイスが溶ける前に、片付けるぞ」
俺は右腕を漆黒のキャノン砲へと変形させ、迫りくる機械の軍勢に向かって引き金を引いた。 パンドラの箱は開いた。 なら、力ずくで閉じるまでだ。
(第20話 完)




