黒木鉄也
翌朝、九時〇五分。 都内某所、中小商社のオフィス。 俺は自分のデスクで、死んだ魚のような目をしていた。
「――で? また遅刻ギリギリですか、係長」
頭上から降ってくる、粘着質な声。
顔を上げると、神経質そうな銀縁メガネの男が、侮蔑の眼差しで見下ろしていた。
二階堂 課長代理。
俺より五つも年下の、直属の上司だ。
「いや、電車が遅れましてね……」
「言い訳はいいんですよ。ハァ……これだから旧世代は困るんです」
二階堂は、わざとらしく大きなため息をつき、タブレットの画面を俺に見せつけてきた。
「見てくださいよ、これ。営業三課の佐藤くん。昨夜ダンジョンで『初級魔法』を覚醒させて、臨時ボーナスが出たそうですよ? 彼、まだ入社二年目だ」
「へぇ、そりゃすごい」
「他人事みたいに言わないでくださいよぉ。あなたは入社して十年以上経つのに、スキルの一つもない。魔力適性検査、Eランクでしたっけ? 一般人以下じゃないですか」
二階堂が鼻で笑う。
オフィスの他の社員たちからも、チラチラと冷ややかな視線を感じる。「あの人、まだ居たんだ」「お荷物だよな」というヒソヒソ話。
……まあ、Eランクなのは事実だ。
俺の持っている『機工士』の適性は、既存の検査機では測定不能が出るから、便宜上最低ランクになっているだけなのだが。
「あのねぇ、係長。会社はボランティアじゃないんです。探索者としての才能がないなら、せめて事務処理くらい完璧にこなしてくださいよ。昨日の報告書、誤字がありましたよ?」
「あー、すいません。すぐ直します」
「『すいません』じゃなくて! あーもう、覇気がないなぁ……。本当に、あなたの代わりなんて幾らでもいるんですよ?」
二階堂はネチネチと小言を並べ立てた後、「これ、今日中に終わらせてくださいね」と、自分の仕事であろう分厚い書類の束を俺の机に放り投げた。
そして、踵を返しながら捨て台詞を吐く。
「まったく……昼間から眠そうな顔して。どうせ昨日の夜も、家でゴロゴロして酒でも飲んでたんでしょう? 少しは生産的な活動をしたらどうですかねぇ」
俺は「はは……」と愛想笑いを浮かべ、嵐が過ぎ去るのを待った。
書類の山を引き寄せる。
眠いのは事実だ。
なんせ昨夜は、二階堂が「すごい」と褒め称えた若手が泣いて逃げ出すような化け物を、残業で解体していたのだから。
(……やってられるかよ)
俺は誰にも聞こえないように小さく毒づくと、栄養ドリンクの蓋を開けた。
これが、俺の日常。
誰にも正体を知られてはいけない、しがないサラリーマンの朝だった。




