女子高生ハッカーの憂鬱
水曜日の夜。
俺――黒木鉄也は、自宅のリビングで眉をひそめていた。
「……おかしいな」
スマホのメッセージアプリを開く。
俺が送った『今月の経費精算、どうなってる?』というメッセージに、半日経っても既読がつかない。 相手は、チームの情報屋兼オペレーターである女子高生、カレンだ。
彼女はスマホ中毒だ。普段なら一分以内に『今計算中っす! 催促しないでくださいよ~』と返信が来るはずだ。 それが、朝から音沙汰がない。
SNSの裏垢も更新が止まっている。
「鉄也、どうしたの? 怖い顔して」
「い、いや。ちょっと部下と連絡がつかなくてな」
妻の優美に悟られないようにスマホを伏せる。
嫌な予感がした。
カレンは裏社会の情報を扱っている。半グレや敵対組織に「居場所」を特定された可能性もゼロではない。
「……悪い、優美。ちょっと会社に忘れ物をした」
「えー? また? 気をつけてね」
俺はスーツの上着を羽織り、夜の街へと飛び出した。
◇
秋葉原の裏通り。
雑居ビルの隙間にある、会員制のインターネットカフェ『サイバー・アーク』。
その最奥にあるVIPルームが、カレンのアジトだ。
俺は受付を顔パスで通過し、個室のドアをノックした。
「カレン。いるか?」
返事はない。
俺は電子ロックを解除し、中へ入った。
部屋の中は、ブルーライトの光に満ちていた。
壁一面に設置されたサーバー機材と、六枚のモニター。床にはカップ麺の容器とエナジードリンクの空き缶が散乱している。
その部屋の隅にあるリクライニングチェアで、カレンは毛布にくるまって震えていた。
「……うぅ……寒い……」
「カレン!」
俺は駆け寄り、彼女の額に手を当てた。
熱い。三十九度はありそうだ。
襲撃されたわけじゃない。ただの風邪――いや、過労によるダウンだ。
「先輩……? なんで、ここ……」
「連絡がないから来てみたんだ。……ったく。医者には?」
「行ってない……保険証、使えないし……」
カレンは家出少女だ。
正規の病院に行けば、保険証の履歴から実家に居場所がバレる。それを恐れて、市販薬だけで耐えていたのだろう。
「馬鹿野郎が。金ならあるだろ」
俺はカレンを背負い上げた。
小柄な体は驚くほど軽かった。普段、ジャンクフードばかり食べているせいだ。
「ちょ、先輩……降ろして……汚いから……」
「黙って寝てろ。ウチの提携病院に連れて行く」
俺はカレンを運び出しながら、ふと、デスクの上に置かれたタブレットに目をやった。
画面には、とあるニュース記事が表示されたままになっていた。
『五大財閥の一角・九条グループ、総帥の孫娘が行方不明に――』
写真には、幼い頃のカレンと思しき少女が、豪奢なドレスを着て、つまらなそうに映っていた。
九条カレン。
それが彼女の本名か。
政略結婚の道具にされるのを嫌って飛び出した、という噂は聞いたことがあるが。
(……良家のお嬢様が、こんなゴミ溜めでハッカーかよ)
俺は見なかったことにして、画面を消した。
過去なんてどうでもいい。
今のこいつは、俺の優秀な「仕事仲間」だ。
◇
数時間後。 点滴を打ち、薬を飲んで落ち着いたカレンは、ネカフェの個室で目を覚ました。
枕元には、コンビニの袋に入ったお粥と、高級プリンが置かれている。
「……先輩?」
「起きたか。熱は下がったみたいだな」
俺はモニター用の椅子に座り、コーヒーを啜っていた。
ソウジとアイリスも駆けつけており、狭い個室はぎゅうぎゅう詰めだ。
「カレン! 無事か!? 我、心配したぞ!」
「お前なぁ、倒れるまで働くやつがあるかよ。これ、滋養強壮に効くマムシの粉末だ。飲め」
「い、いらないっすよ……」
騒がしい仲間たちを見て、カレンが力なく笑う。
そして、俺の方をじっと見た。
「……先輩。見ました? 私のパソコン」
「いや? 画面は真っ暗だったぞ」
俺は平然と嘘をついた。 カレンは数秒の間、俺の目を探るように見つめ、ふっと息を吐いた。
「……そっか。なら、いいです」
彼女はプリンを手に取り、一口食べた。
その甘さに、張り詰めていた何かが解けたのか、彼女の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「……美味しい……」
「そうか。食ったら寝ろ。明日は休みだ」
「無理っすよ……明日、新宿エリアの相場変動予測出さないと……」
「却下だ。これは業務命令だ」
俺はカレンの頭にポンと手を置き、立ち上がった。
「ゆっくり休め、九条さん。……あ、間違えた。カレン」
カレンが目を見開く。
俺はニヤリと笑って、部屋を出た。
背後から、「……先輩の意地悪」という、湿っぽい声が聞こえた気がした。
たまには、年長者らしく振る舞うのも悪くない。
俺は夜風に当たりながら、家に帰るための言い訳を考えていた。




